東日本大震災


被災地を助けるために

 東日本大震災に対して、被災地を助けるために、今後、国として、一般国民として、何が最も必要なのか。

 最も必要なのは、義援金やボランティアだろうか?

 いや、そうではないだろう。

 本気でそう思っている人は、以下の文章を読んでよく考えてもらいたい。

 いずれにしても、ここでは、非常に重要なことを論じている。この文章を読んで、それぞれが本当に真剣に考えることを、切に期待したい。

 今、一番必要なのは、菅首相、自民党の谷垣総裁、復興会議、民主党の一部も提案・検討している(た)ようだが、恐らく、ある程度の規模の災害復興税のようなものをただちに導入するのが最も重要かつ効果的な政策だろうと思う。
 震災の復興や補償に関連していろいろやるべきことはあるが、お金がなくては瓦礫の片づけも、被災者たちへの補償も、町の復興もなにもできない。そうした金銭的な裏付けがあって始めて、そういった政策を充実して行う計画を立てることができる。

 今、被災地のために、何かをしたいと考えている人はたくさんいる。

 大震災からあまり時間が経たない間は、救援物資を送ったり、ボランティアとして現地でいろいろなことを手伝ったりすることは有効であろう。しかし、被災地にとって、今後数年間で一番必要なのは、やはりお金である。瓦礫の片づけなども、善意のボランティアによるだけではとうてい間に合わず、作業のための膨大な人員が必要である。それにはそれに携わってくれる人たちに払うお金が必要である。そして家、車、工場、船、道路、橋、それに町役場や港の施設など、被災者たちの失った多くのものを建設・購入していく必要がある。もちろんこれには莫大なお金が必要である。

 義援金の募集がいろいろな組織によって多数行われている。多くの人がこれに協力している。そして、大手の企業や、有名人も多額の義援金を送っている。これはすばらしいことだと思うし、そうやって多くの人たちが善意でお金を送っている現実に、うれしい気持ちになる。幸いにして、今回はあまり聞こえてこないが、こういうことがあると、すぐに売名行為だとか悪口を言う人がいる。しかし、そういう悪口を言っているような人たちは、どのくらい、被災地や困っている人たちを助けるようなことをしているのだろうか。義援金を送られれば、被災地にとっては確実にありがたいのである。そして、こうした企業や有名人たちがいち早く義援金を送ることで、一般の人たちも、触発されて義援金を送るという効果もかなりあるだろう。自分も義援金を送らせてもらった。できるだけ多くの人がこれを送ることが望ましいと思う。

 しかし、義援金や募金の力は、実際にはかなり限られている。義援金にはできるだけ協力する方がよいのはもちろんだが、義援金を集める活動に加わったり、義援金に協力する場合にも、冷静に、義援金の及ぶ力をできるだけ客観的に知っておくことは非常に大切なことである。でないと、義援金集めが、単なる自己満足で終わったり、東北の困っている被災者たちを本当に助けることはできないからである。
 仮に、国民一人あたり、1万円の義援金を送ったとする。5人家族であれば、5万円である。これは、義援金や募金としては、人々にとってかなりの額であると思う。そして、義援金に、一人で1万円を出した人はそれほど多くはないのではないだろうか。ところが、国民一人当たりが思い切って1万円もの額を出しても、総額で1兆円にしかならない。阪神大震災の時の被害は10兆円とされているが、今回の被害は、それよりはるかに大きいと考えられており、数十兆円(家や建造物だけで16兆円から25兆円の被害だと試算されていた)の被害であると言われている。

 これでは、義援金をいくら一生懸命集めても、追いつかない。人々の善意に頼るだけでは、明らかに限界がある。そういうときに頼れるのが、国家である。
 この震災に関連して、テレビを見ていても、ニュースキャスターやテレビのコメンテーターは、「避難所や仮設住宅に関しても、国が責任持って対応すべきだ。」、家を失った被災者は、「国に援助してほしい。」、自治体関係者も「自治体にできることは限られている。これだけに規模になると、国にやってもらう以外にない。」、船や港を失った漁業関係者や放射能の影響などで大量に作物を処分しなければならなくなった農家も、「国に補償してもらわないと困る。」...。もちろん、この大災害の被害にあった人たちは、国に頼ってよいと思う。自分は、日本が、こういうときに、いきなり財産の大半を失ってしまった人々を助けるような国であってほしいと思う。

 しかし、もちろん、「国」というのは、殊更に強く声を上げて要求すれば国民たちに恩恵を与えてくれるお金持ちの国王でも、神様でもない。むしろ、借金で疲弊し、倒産寸前の、非常に危機的な状態にある存在である。数十兆円ものお金をどこかから魔法のように出すことができるわけではない。国が復興にお金を使うということは、その国民がそれを負担するということである。つまりはお金を国民から集めるということである。とりあえず国債を発行してこれを補えばよいという人もいるかもしれない。しかし、それは、将来の世代がそれを返すことを意味する。だが、この負担を将来の子供たちの世代にまわすことは絶対にいけない。なぜなら、既に膨大な借金が国にはあり、今の子供たちはそれを返さなければならないばかりか、2、30年後には、老人の数が圧倒的に多くなり、数少ない人数の働くことができる非老人世代が、過去の世代が作った膨大な借金を返しつつ大人数の老人世代を支えるという恐ろしい時代になるからである。今も苦しいかもしれないが、今後は、今よりはるかに過酷な時代がくることは確実なのである。(多くの人が思っているよりも事態ははるかに深刻である。これについては、「少子化」で詳しく論じている。非常に重要な問題であるので、ぜひ読んでほしい。)ニュースキャスターやコメンテーターなどの中には、被災地への補償は迅速にしっかりとやるべきだと声高に批判しながら、同時に、国民に負担を押し付ける増税にも反対としか言わない人々もいる。こういう人々を見ていると、将来の日本がどんなことになってもいいのかと憤りを感じる。

 今、日本は、景気もそれほどよくなっていない中、経済的に厳しい状況にある。しかし、東北の被災地の人たちの中には、家がなくなり、住むこともできなくなった人もかなりの人数にのぼる。高齢者の人たちは、年金だけで、これからどうやって生きていけばいいのかもわからない。そして、将来の日本は、今の経済状態よりはるかに厳しいことがほぼ確実である。景気が悪い間は税負担は上げられない、などと言っている人たちもいるが、日本の今後の数十年を考えた時、高齢化が急速に進み、景気ははるかに悪くなるのではないか。今やらなくてはやるときは永久に来ないのではないだろうか。

 ここは、災害復興のための税金として、消費税5%アップをするくらいのことが最低限必要であろう。消費税を上げることは、国民に等しくその重荷がかかってくる。苦しい人たちもいるに違いない。しかし、大津波で家が流され住むところがなくなり、仕事を失ってしまった人たちは、苦しいとか何とかいうレベルではないのである。(消費税以外でこうした税を作ることができればそれに越したことはないと思うが、法人税は国際的にみて高すぎるレベルだし、所得税を増やすはある程度はできるにしても、限度がある。消費税は、低所得者にもかかってくるので、たいへんだとは思うが、ここは、ヨーロッパ諸国に比べてはるかに低い税率を設定している消費税を増やすことが一番妥当なのではないかと考えられる。だが、消費税以外で国が安定的に収入を得られるような案があれば、ぜひ教えてほしい。)

 ここで、日本全体が、東北地方の被災者のために十分なお金を出す前例を作るということは、今後、他の地域に何らかの大災害が起こり、そこの人々が路頭に迷ったとき、国を挙げて助けてもらえるということなのである。それにより、人々は国を信頼して、より安心して暮らせるようになるであろう。これは、今の被災地以外の人たちにとっても、決して悪い話ではないと思う。

 そして、消費税を5%アップして、復興にあてるというのは、決して、被災地だけが恩恵を受けるわけではない。被災地では、瓦礫の片づけ、そして、家や道路、橋やビルなど、様々なものをこれから建設していく必要がある。これは、すなわち、税金として集められたお金は、すぐに使われるということである。そうなれば、建設業界、運送業界など、どんどん儲かるわけである。そして、こうした復興事業は東北地方の企業だけではとても間に合わないから、日本全国の建設業者たちがどんどん東北に駆けつけ、次々と仕事をすることになる。仕事をすれば、収入が増えて、お金を使う。それが経済を刺激して、日本経済全体を上向かせることにもつながるだろう。建設業界が元気になるということは、建設業界だけではなく、その資材の会社から始まって、関連する多くの企業にお金が回っていくということである。これをバネにして、日本全体の景気を押し上げたりすることもあるのではないだろうか?さらに、日本人全体が、こうしたときに国から助けてもらえるという安心感を持つことで、今、将来に備えて貯金をしているお金を、消費に回しても大丈夫なんだと感じて、もっとお金を使うようになるかもしれない。そうすれば、経済はより活性化される。戦後の復興や高度経済成長で日本が躍進したようなことがもう一度再来することもあるのではないだろうか。

 ここのところ、日本は、無駄削減の観点から公共事業が削られ、各地の建設業界は疲弊している。小泉政権以降の、公共事業を削るという政策は、日本にとって適切な選択であったと思う。だが、東日本大震災が起き、東北地方の多くの町がたいへんな壊滅的状態となっている今、ここには明らかに、膨大かつ早急に必要な建設需要が発生している。供給が過剰で需要がない、どうしたら需要を生むことができるのかと日本は近年ずっと苦悩してきた。今、ここに、大規模な需要が発生したのである。この大災害をバネにして、むしろ日本全体を立て直すくらいの力強さが、今、必要ではないだろうか。

 ここは、政治家の決意と決断のしどころだと思う。

 将来の恐ろしい高齢化社会が迫っている中、膨大な借金を抱え、さらに収入を上回るほど大量の借金を重ねている状態にあるにも関わらず、他の国に比べて非常に税が低い状態にあるのを、かなりの割合国民もよく気づいている。増税という、当然誰が考えても嫌なことに対して、世論調査などでも、半数近くの国民が賛成であることがそれを示している。だが、政治家は、日本がそんな危機的事態にあるにも関わらず、選挙で落選することを恐れて、増税を後回しにしてきた。国を担っている自覚があるとは思えない。
 さらに、世論調査によれば、特に地震直後は、災害復興税的な税を導入して復興を助けていくことに多くの国民は賛成であった。ところが、政治家たちの中には、この期に及んでも、増税は必要ないなどと無責任なことを言っている者が多い。国民の痛みを伴うことは言わず、甘いことだけをいって次回も当選したいなどというのは、なんというあさましい考えだろうか。他の党の中に危機感を持って増税を唱える者があると、それを批判に利用して、自党の支持率を上げようとする。こういうのを見ていると、本当に憤りを感じる。そして、政治家たちがそういうことを言っていると、視聴率を下げたくないメディアも国民に甘いことを言い、このままではおかしいと思っていた国民も、増税はやっぱり嫌だと思い始める。政治家が責任を持って、増税が必要なことを訴えるべきところを、政治家が率先して国民を扇動して税金を上げられなくし、将来の国の行く末を危機的なものにしている。
 なんという無責任な態度だろう。
 国の将来を考えるべき政治家が、こんなに覚悟のないことでよいのだろうか。

 今、多くの人たちが、被災地に対して何ができるのかを考えている。

 一般国民として、こうした災害復興税的なものに対して、政府や政治家が国民の反発をおそれて躊躇しているようなら、そうした無責任で将来を真面目に考えていない態度をきちんと批判すること、災害復興税的なものを積極的にサポートすること、または少なくともこれらの税に反対しないということは、被災地を助けるばかりでなく、日本を安心して住めるよい国にするために、今、我々のできる重要かつ責任ある行動であろう。

光太
公開 2011年6月18日

気に入ったら、クリック!  web拍手 by FC2
光太の映画批評・ドラマ評・書評・社会評論