東日本大震災


 東日本大震災が起きた。
 マグニチュード9.0(暫定値)という超巨大地震(1900年以降、世界でも4番目の規模)と、それに続く、15mの高さにも達する大津波により、多大な人命が失われた。

 この大災害自体はとても痛ましいものであるが、この大災害をきっかけに、日本人のすばらしいところ、そして、一方で、あまりよくないところも見えてきた。また、たいへん感動的なエピソードもたくさん生まれた。いろいろ感じたことも多かったので、復興を願う観点からも含めて、ここにまとめてみたい。

 この大震災による被害はあまりにも甚大で、日本にとって、たいへん痛ましいものであった。

 しかし、この大震災に関連して、たいへん感動するようなことが数多く起こり、報道された。

 ここでは、被災者の方々、そして、たいへん困難な状況にある日本人を勇気づける意味でも、感動したことから述べることにしたい。

 一番、感動したのは、100以上の国と地域(2011年3月25日の時点で、132の国と地域)が、非常に早い段階で、次々と日本に支援を申し出てくれたことである。

   日本がたいへん困難な状況の中、そんなにも多くの国々が日本のことを心配してくれ、迅速に支援を申し出てくれたことは、本当に涙が出るほどうれしかった。

 日本人の一人として、これらの国と地域には、心からお礼を言いたいと思う。

 国連の潘事務総長は、「日本は世界中の困っている人を援助してきた最も寛大で強力な援助国の一つだ」と称え、「今回は国連が日本国民を支援し、日本国民の力になりたい。できることは何でも、全てやるつもりだ。」と表明した(Wikipediaより)。

 アメリカのオバマ大統領は、日本は最も密接で強固な関係のある同盟国の一つだとして「いかなる必要な支援も提供する」と強調し(2011年3月12日の共同通信の記事より)、アメリカは、空母「ロナルド・レーガン」を三陸沖に派遣して、友達作戦(Operation Tomodachi)を展開してくれた。救助活動はもちろんのこと、アメリカ軍は、日本の被災地に救援物資を直接持ってきてくれたり、東北地方の港に沈んだ瓦礫を取り除いて、港に船が入れるようにしてくれたり、瓦礫や泥に覆われてしまった仙台空港を使えるようにしてくれたりした。被災地の学校などでの瓦礫の撤去などもしてくれており、報道ステーションでは、家を流された住民の方が、瓦礫の撤去をしてくれているアメリカ軍の支援に対し、感謝していると、涙していた様子が放送されていた。日本が危機的状況に陥っている中で、これだけの作戦を展開してくれたことは、本当にありがたいことであると思う。こうしたアメリカ軍の活動はあまり大々的に報道されていなかったが、日本人は、こうした支援を受けたことをしっかり共有し、忘れてはならないと思う。

 そして、多くの国々が、毛布や水などの救援物資、儀損金を日本に送ってくれた。

 さて、日本は、これまでいろいろな国の災害に対して支援をしてきており、2008年5月の中国の四川大地震でも、2011年のニュージーランドの地震でも、、国際緊急援助隊を派遣し、捜索活動を懸命に行った。
 そうした日本の行動は、国際社会から、きちんと見ていただいていたのだと思う。

 中国の国営の通信社である新華社通信は、論評記事の中で、「四川大地震で日本から支援を受けた恩に報いたい」と書いた(2011年3月13日の時事通信の記事より)。華声在線は「過去の遺恨による民族主義は天災や人道とは関係ない」とし、四川大地震の際に日本が援助したことを受け「民族の感情を超越した人道主義」と評し「必要なのは学ぶことと助け合うこと」と伝えた(Wikipediaより)。華声在線は、この記事の中で、「2008年に発生した四川大地震の時に日本政府が5億3000万円とサウジアラビアに次ぐ多額の義援金を送ったこと、日本のコンビニエンスストアではいたるところで四川大地震向けの募金箱が設置されていたこと、パナソニックやソニーなどの大企業が相次いで寄付を行ったことなどなど、全部合わせると12億元以上の資金援助を受けていたことや、外国の救援隊としては真っ先に31名の国際救援隊を派遣してくれたことを紹介し、「これらはいずれも民族の感情を超越した人道主義を表している」と評価した(Searchinaの2011年3月14日の柳川俊之氏編集の記事より)。
 また、台湾の馬英九総統は演説で「日本が1999年9月の台湾中部大地震や一昨年8月の南部台風災害で台湾を支援してくれた」ことに触れ、「われわれも同様に積極支援する」と語った(2011年3月12日の産経新聞の記事より)。
 そして、ニュージーランドのキー首相は、2011年2月のニュージーランドの地震で、日本が捜索活動を行ったことなどに言及し、「私たちの惨事に対し日本は多大な支援をしてくれた。友人である日本国民のために、今度は私たちが必要なあらゆる支援を提供する用意がある」と表明した(2011年3月12日の共同通信の記事より)。

 中でも、中国が、これだけ四川大地震の時の日本の活動に感謝してくれていることの裏には、そのときに日本の救助隊が生んだ、一つのエピソードがある。日本の国際緊急援助隊救助チームが、四川大地震の救助活動において、四川省青川県の倒壊現場で、母子の遺体を発見した。この時、救助隊のメンバーたちは、その遺体を前に整列して、黙とうをささげた。そして、これを撮った1枚の写真が、新華社通信によって配信され、日本の救助隊が、遺体に対して示した敬意が、中国の人たちをたいへん感動させた。普段は反日的な書きこみの多い中国のインターネットでも、日本に対する絶賛の言葉があふれたそうである。この時に救助活動に参加していた日本の救助チームの誠実な対応は、本当にすばらしいと思うし、その時の日本の救助隊の四川での活動についても改めて、お疲れさまでしたと言いたいと思う。

 そして、これだけ多くの国々が日本に支援を申し出てくれていることは、恐らく、これまでの日本が国際社会から信頼してもらっていたことの一つの表れであると思う。日本は、第二次世界大戦が終わって以降、軍事力によって、外国の人たちを一人も殺してはいない。そして、発展途上国の発展のため、多額の資金的援助や技術支援をしてきており、そうした国々の発展に大きく役立ってきた。そして、性能が高く、しかも価格も比較的安く信頼性の高い電化製品・自動車などを世界に供給している。海外においても、日本人には礼儀正しい人が多く、勤勉に働いている。こうした多くのことが、日本の信頼につながっているのだと思う。

 日本が、そうして世界の国々から信頼してもらい、支援の手を差しのべてもらっていることは、たいへんありがたいことである。

 日本は、今回の恩を返すためにも、今後も、他国が困っているとき、積極的に、そして、迅速に、こうした支援を続けていくことはとても重要なことだと思う。

 そして、感動したのは、こうした海外からの国家レベルの支援の申し入ればかりではない。

 いろいろな国の方々が、各国で募金活動などをしてくれた。ニューヨークや香港など、世界の多くの都市で募金活動が行われ、台湾ではチャリティー番組が放送されて、日本へ送るお金を集めてくれた。こういう、政府レベルではない、市民レベルの活動も、日本人を本当に励ましてくれた。遠くにある外国である日本のために、募金活動をしてくださった方々、そして、募金に応じてくださった方々に対し、心からお礼を言いたいと思う。

 2011年4月4日には、東日本大震災の被災者たちを励ますため、ニューヨークのエンパイアステートビルが世界のタワーに呼びかけて、日の丸をイメージした、赤と白のライトアップをいっせいにしてくれた。世界の7カ国から、マカオ・タワーやクアラ・ルンプール・タワー(マレーシア)、CNタワー(カナダ)、Nソウルタワー(韓国)などが参加した。テレビでライトアップの映像を見たが、とてもきれいで、こうやって世界が、日本のことを応援してくれたことに、本当にうれしい気持ちになった。

 また、海外のメディアや人々は、日本人が、このたいへんな災害の中にあって、取り乱したり混乱に陥ったりすることなく、落ち着いて、整然と行動し、忍耐強く辛抱している様子をきちんと見てくれ、日本人のそうした部分を敬意のまなざしで見てくれていることにも、本当に感動した。例えば、ニューヨークタイムズの電子版では、阪神大震災の時に日本に滞在していたニコラス・クリストフ氏が、当時を振り返り、「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった。」と日本人を称賛した記事を載せてくれた。
 被災地において、暴動や混乱、治安の悪化は、あまり起きなかった。今回の東北地方の被災地において、倒壊した家やスーパーなどの品物の盗難などは、ゼロではないものの、恐らく、他のどの国で災害が起こった場合よりも少なかったと思う。

 こうしたことが海外で報道されていることを知ることは、日本人にとって、どんなに支えになったかわからない。

 海外でそういうところを見てくれている人たちがいることに感謝するとともに、たいへんな寒さと食糧不足、衛生状態の悪化の中で、混乱などを起こさずに尊厳を保ち、ひたすら忍耐に忍耐を重ねていた被災地の方々には本当に敬服する。そして、日本人が、こういう面で世界から尊敬のまなざしを受けたことを誇りに思う。

 これからも、日本人のこういう性質は、大切にしていけたらと思う。


 東日本大震災は、日本にとって非常に厳しいものであった。だが、こうした破滅的状況においては、多くの感動的な物語が生まれることもまた事実である。
 「東日本大震災 −感謝−」の項でも述べるが、最期まで職務を全うし、殉職した方々もたくさんいる。
 東日本大震災という大きな悲劇の裏で、こうしたたくさんの感動的な行為や心遣いなどがあったことは、温かな気分になるし、こういうことをこそ、我々はしっかりと記憶にとどめておくべきであると思う。
 これからも、しばらくの間、日本は厳しい状況に置かれると思う。そうした中、こうしたエピソードは忘れずにがんばっていきたいと思う。

光太
公開 2011年6月18日

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