東日本大震災


感謝

 東日本大震災では、たいへん困難な状況の中で、様々な場所で、様々な人たちが、多くの一般市民のために、危険を冒して本当にがんばっていた。

 ここでは、そうしてがんばってくださっていた方々に、感謝の言葉をささげたいと思う。

 やはり、もっとも感謝すべきは、福島第一原発の炉心溶融に対応すべく、本当に過酷な状況で命をかけて作業をしてくれていた人たちであろう。具体的には、東京電力や関連会社、自衛隊、東京消防庁などの人たちが、水素爆発も起こるような危険な状態にある原子炉に近づき、高いレベルの放射線を受けながら、原子炉をなんとか冷却しようと懸命に取り組んでいた。原発からある程度離れたところでは、観測される放射線の量は、人体に影響を及ぼすほどではなかったが、原子力発電所の建屋の中や敷地内では、人体に有害とされるレベルの放射線が観測されていた中で、身を挺して作業に取り組んでくださったことは、本当に感謝してもし足りない。福島周辺、及び、日本に住んでいる人たち全体を守るために、自らの身を犠牲にして作業に取り組んでくれたのである。そして、実際に、建屋にたまった水に足を浸し、被曝してしまった作業員の方もいる。彼らは、社会のために、自らの身の危険を冒してまでも、そうした活動に取り組んでくださっていた。
 原子力発電所の中で、上空のヘリコプターで、発電所の建物のすぐ隣の放水車の近くで、こうした活動をするのは、たいへんな恐怖だったかもしれない。放射線の量も周囲と比べて桁違いに大きく、爆発の可能性もあるところでの作業である。その家族の方々の心配や心痛も、たいへんなものであったと思う。そういう中で、この方々は作業を続けてくださったのである。

 本当に頭の下がる思いである。

 そればかりではない。大地震の直後、津波を止める水門を閉めに水門に向かった役場の職員の方々、大多数の人々が避難してしまった被災地で、病院に残り、少ない人数で、たいへん過酷な過労の中、動くことのできない入院患者の世話をし続けた医師や看護婦の方々、被災にあい、電気も水もストップした状況で、地域の被災者の方々のために、店を開いたスーパーの方々、こうした多くの方々の行動は、本当にすばらしかったと思う。
 学校や幼稚園、保育園などでは、先生たちが、たいへんな揺れと余震で、不安な中、子供たちを勇気づけた。また、被災地のある中学校では、中学生が、避難訓練で学んでいたとおり、近くにある小学校の小学生をしっかりと引率して高台に避難した。

 そして、大津波から特に1週間ほどの間は、瓦礫の下で助けを求める人たちの捜索に関わっていた人たちもとても大変だったと思う。とても寒く、いつまた大津波が襲って来るかもしれないという恐怖の中、危険な瓦礫をかき分け、捜索活動をしてくださっていたのである。そして、地震や津波に伴う火災のあったところでは、消防士の方々や、地域の消防団の人たちが、炎の危険だけではなく津波の危険もある中、少しでも人々の財産の損失を食い止めようと、懸命に消防の活動に携わっていた。

 この大災害において、職業的な倫理感・使命感から、自らの危険への恐怖を抑え、大きな困難を受容して、きちっと役割を果たした人々を本当にすばらしいと感じる。こういった人たちの行動に、心からの敬意を表したいと思う。

 そして、たいへん残念なことだが、今回の津波で、他の人を助けようとして、亡くなってしまった人たち、人々に避難を呼びかけたり誘導中に亡くなってしまった人たちも多い。水門を閉める担当になっていた消防団の人たちの中には、後に遺体で見つかった人もいる。そして、病院の看護婦の中には、入院しているたくさんの患者の人たちを津波から守るために屋上に避難させている最中に亡くなった人たちもいる。

 ここで、殉職された方々から数名を、最大限の敬意をこめて、ここに書きとどめておこうと思う(週刊新潮4/7号などから)。
 宮城県南三陸町役場の危機管理課に勤務していた、24歳の遠藤未希さんは、役場で最期まで防災放送のアナウンスを続け、住民に避難を呼びかけた。そして、その放送は、最期に、”あっ”という声とともに途絶えた。未希さんは結婚式を9月に行うことになっていたとのことである。
 また、岩手県大槌町では、消防団員の越田冨士夫さんが、仲間が消防車に乗るよう声をかけたのを断って、停電のために壊れたサイレンの代わりに、人々を一人でも多く避難させるため、最期まで屋上にある鐘を鳴らし続けたそうである。そして、宮城県名取市では、消防車に乗って避難を呼びかけていた3人の方々が津波にのみこまれた。その翌日、大破した消防車の中から発見された遺体のうち、桜井歩さんの手には、拡声機のマイクがしっかりと握られていたそうである。

 そして、警察庁によれば、東日本大震災で殉職した警察官は23人、行方不明になった警察官は7人とのことである。

 後に詳しく述べるが、残念ながら、日本のメディアは、こうした人たちを十分に讃えていたとは言いがたい。

 だが、自分は、この大災害時に、こうした行動をとった人たちがいたことを、本当に誇りに思う。本当に大きな、心からの感謝の言葉を贈りたい。

 そして、自分は、この東日本大震災において、自らの使命を最後まで果たそうとし、亡くなっていった方々がいたことを、いつまでも忘れたくないと思う。

光太
公開 2011年4月24日

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