日本の戦争責任 (2)



これは(2)です。日本の戦争責任 (1)から読むのをおすすめします。



 日本では、特に夏の時期になると、戦争に関する番組やニュースが流される。戦争の記憶は次第に失われてきているとは言え、今でも、過去の戦争の時に、日本人がどんなに過酷な状況であったのかを描くドラマや、当時の証言などは放送されている。
 多くの、将来ある少年たち、結婚して間もない若い夫、小さな子供を持つ若者たちが出兵されられた。そうした者たちの出兵時の恐怖や無念、彼らが二度と戻ってこなかったときの家族の悲しみ、...。戦争に反対するような発言をしようものなら、特高警察に密告され、拷問を受けるような窮屈な恐ろしい社会。出兵する若者に、生きて帰ってきて、と言うことさえ許されず、お国のために死んでくることを願うのが当然とされた狂った日本。今考えると信じがたいが、それが現実であった。さらには、軍隊内部での強烈ないじめ。戦争を始めたせいで日本が陥ったたいへんな貧困の中で、十分な食べ物が食べられずに死んでいった人たち。原爆で一瞬にして吹き飛ばされた街、そして、原爆によってもたらされた、その後、何十年も続く悲惨な被爆の被害...。
 戦争によって日本人が受けた、こうした多くの苦難についてのドラマや映画などは、比較的たくさん放送されている。「火垂の墓」、「二十四の瞳」、「私は貝になりたい」...。もちろん、こうした苦難は決して忘れてはいけないし、繰り返し報道され、日本人は、それらをよく心にとどめておく必要がある。

 しかし、である。

 アジアの人たちが当時、日本から受けたたいへんな苦痛についての映画などは、日本ではあまり見ない。

 これでいいのだろうか?

 自分たちが戦争を始めておきながら、自分たちが受けた苦痛のみを記憶し、相手に与えたおびただしい被害については、省みない。

 若者が出兵し、帰ってこないのを描いたドラマがある。日本人はそれを見て、理不尽に思う。
 だが、相手の国の側から見れば、平和的に暮らしていたところに、日本の兵士がやってきて、村を襲い、略奪をし、一般の人たちを殺していった。しかも、数多くの日本の兵士たちが後に証言しているように、たいへんひどいことがたくさん行われた。抵抗できない一般市民を銃剣で突き刺して殺し、現地の普通に暮らしていた女性をレイプし、村を放火して焼き払った。日本のせいで犠牲になったアジアの人々のうち、どのくらいがこうやって残酷に殺されたのか自分はわからない。だが、いずれにしても、そうやって残酷に殺された人々も含め、数百万人が死に追いやられたのである。そして、これを行ったのは、日本の兵士たちなのである。
 相手の国の立場に立ったドラマもきちんと作成し、それを見ることで、相手の国が受けた理不尽さなども、我々は公平に理解しておく必要があるのではないか?

 相手の国々では、そうした歴史を当然、自国民にきちんと教えている。
 日本のみがそれを知らずにアジアの国々の人々と接すれば、当然のことながら、いろいろな問題が生じるだろう。


 最近は、アジアの国々に謝る必要はない、という人も多い。
 従軍慰安婦の強制の証拠はなかった、などとして、韓国などを声高に批判する人もいる。もちろん、国による強制があったかどうかは、一つの重要な問題である。だから、実際にどうであったのかは、徹底的に明らかにする必要がある。しかし、仮にそこで国による強制がなかったとしても、それを鬼の首を取ったように掲げて、日本が行ったことから目を背けるのは全くの間違いである。国による強制はなかったとしても、意に反して連れていかれ、毎日のように数多くの日本の兵士たちとセックスをさせられた女の子たちがたくさんいたのである。
 そして、あれは自衛のための戦争であった、侵略ではなかった、などという人も多い。そういう人々は、日本の戦争責任を否定しようとする。
 しかし、日本が始めた戦争で、相手の国に入っていって、数百万人の人々を殺したという事実は、非常に重大である。


 確かに、中国が、理不尽な反日教育をしていた時期もあるようだ。そういうことはもちろんやめるべきだ。対立をあおるようなことをするのは、双方ともだめである。そんなことをしている両国の人々は、同類である。声高に相手を批判し合って対立をあおっている人々は、実は、一番嫌っている相手と同類である。日本にも尖閣諸島に上陸して喜んでいるような人々がいるが、そういう人々は、中国で過激に日本を非難して喜んでいる人々と、全く同じ種類の人間である。そういう日本人たちは、嫌っているはずのそういう中国人と同じことをしていて、全く同種の人間であることに早く気づいたほうがいい。反中を声高に叫ぶ日本人たちは、もし、中国に生まれていたとしたら、反日を声高に叫ぶ中国人になっていたことは間違いないだろう。
 また、中国が軍備を拡張し、周りの国々を脅かし、いろいろな国との間で領土紛争をしたり、しかけたりしているところは、当然非難すべきである。日本は、中国の軍備拡張などを大して非難していないが、もっと非難すべきである。チベットを抑圧するのももちろん非難されるべきである。さらに言えば、中国が自国民の人権を抑圧しているところも徹底的に批判すべきだと思う。


 だが、過去に日本がしてきたことを絶対に忘れてはいけない。やられた方はずっと覚えている。

 少なくとも数百万人のアジアの人々を死に追いやった日本の罪は、ものすごく大きい。

 この歴史に対して、何万回でも、謝罪の言葉を述べて当然だろう。
 それは、自虐的でもなんでもない。
 人間として当然のことである。

 今、日本人の多くは、外国人に対して親切だ。非常にすばらしいことだ。そして、多くの海外の人々と、少なくとも市民レベルでは、たいへんいい関係にある。本当にすばらしい。
 でも、日本が過去に周りの国々に対してしてしまったことの記憶は、日本人自身がずっと持っているべきであろう。

 日本を含め、世界のどの国の人であっても、過去に犯した過ちは、きちんと直視して反省し、その上に立って、他国の人々と友好的な関係を構築し、信頼関係を結び、より平和的な世界を我々は作っていくべきだと思う。

(完)

光太
公開 2013年11月15日

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