二十四の瞳


「二十四の瞳」   (テレビ朝日、スペシャルドラマ) 2013年

評価: 92点


 「二十四の瞳」は非常に有名な作品であるが、これまでドラマも映画も見たことはなく、小説も読んだことはなかった。

 これは、松下奈緒主演のテレビドラマの批評であるが、ここから述べる感想は、小説でも、これまでの映画などの作品でも、共通のものであろう。


○ 数々の理不尽な出来事

 この作品のメインテーマは、戦争の理不尽さである。

 ストーリーの中で、それを象徴するたくさんの状況や出来事が描かれている。

 以下、端的に挙げていこう。

 当時、国民はお国のために死んでくるのを願うことが当然とされた。人々は、戦争に無理矢理駆り出される兵士たちに、本当は、生きて帰ってきてほしい、と切に願いながら、そんなことを言うのは、決して許されない狂った社会だった。

 学校では、教師たちは、本当に思ったことも口にできず、意に反して、子どもたちに、国のために死ぬことを教えなければならなかった。そして、思ったことを発言しようものなら、密告されて逮捕されかねない恐ろしい社会だった。

 まだ十代にも関わらず、決して行きたくない戦争に、多くの少年たちが無理矢理かりだされた。もちろん、実際には、内心で本当に大きな不安と恐怖を覚えていた少年たちも多かった。だが、それを正直に言うことさえ許されなかった。

 我が子が、当時の学校の軍国教育を真に受けて、軍国少年になってしまうこともあった。そうした結果、子どもとの間で意見の大きな食い違いと悲しい対立も起こり、家庭まで険悪になることもあった。

 そして、この作品では、いつも優しかった夫も、戦争に行ったまま帰ってこなかった。
 戦争中の極度の貧困状態のため、義理のお母さんも亡くなり、また、まだ幼かった娘も亡くなってしまった。

 出兵した5人の教え子のうち、3人が亡くなり、帰ってきた2人のうちの1人は、盲目になってしまった...。


○ 全く間違っていた戦争

 日本が始めたあの戦争を、自衛のための戦争だった、などとして、間違っていなかったと思いたがる人たちも多い。

 しかし、そういう人たちは、戦争のために、こうした悲劇がたくさん起きていたことを、いったいどう思っているのか?
 こんなに辛く悲しいことが、再び、日本人全体に起こっても全然かまわないのだろうか?


 あの戦争をしなければ、この作品で描かれているようなたくさんの理不尽なことは、起きなかったはずである。

 戦争に負けて、日本には、民主主義がもたらされた。発言も自由になり、どんどん豊かになった。誰も戦争に連れて行かれることもなく、誰も死ぬこともない。無理矢理かり出される戦争で、目が見えなくなったり、手足がなくなったりすることもない。外国の人たちを残虐に殺すこともない。何を言っても自由で、逮捕されることはない。
 戦争中の極端な貧困に比べれば、夢のような生活ができるようになった。貧困のために、子どもが幼くして、奉公に出され、家族から引き離されることもなくなった。勉強がしたいのに、将来の夢があるのに、高校に行かせてもらえず、家を継がねばならないような子どもも、ほとんどいなくなった。病院に行くお金もなく、若くして死ななければならない子どももいない。
 戦争中より何万倍もいい世界になった。

 敗戦後の日本を見れば、日本が戦争をする必要は全くなかったことがよくわかる。

 日本は、戦争に負けて占領されてすら、こんなにいい社会になった。もっと早く戦争をやめていれば、原爆で亡くなる人もいなかったし、東京大空襲もなかったし、多くの命が助かった。そして、最初から戦争をしなければ、もっとよかったはずである。
 戦争を始めたのは、明らかに判断ミスだ。

 あれは、全く、自衛のための戦争ではなかったのだ。

 おびただしい数の国民を無駄に死なせ、苦痛を強いただけの、全く馬鹿げた戦争だったのだ。

 この作品では、悲惨なことはさらりとしか描かれていない。でも、実際には、原爆でたくさんの人が苦しみ、東京大空襲などでは、多くの人が焼け死に、沖縄では、日本兵によってもたくさんの沖縄の人が殺された。この作品に描かれていない、もっと悲惨なことは、数限りなくある。

 関連して、「私は貝になりたい」、「日本の戦争責任」も是非読んでもらいたい。


 あの戦争で亡くなった人たちは、名誉の戦死などではない。国家の間違った戦争で犬死にさせられた犠牲者である。
 彼らの戦死を無駄にしないためにできることは、こうした悲劇を直視し、あの戦争が間違っていたことを深く認識し、二度と戦争をしないと強く誓うことである。あの戦争は間違っていなかった、などと苦し紛れの強弁をすることではない。戦死者たちの大きな犠牲の代償として、我々は、戦争は非常に悲惨なものであり、二度と繰り返してはいけないという大きな教訓を得たのである。
 この教訓を大事にし、二度と戦争を起こさないことが、彼らの犠牲を無駄にしないために、我々が唯一できることである。

 戦後、既に68年がたち、戦争の経験者たちは数少なくなっている。戦争の記憶を引き継いでいくことがどんどん難しくなっている。
 「二十四の瞳」のように、当時の戦争の理不尽さを伝えてくれるストーリーは、とても重要なものである。そうした作品は、ドラマでも映画でも小説でも、媒体を問わず、これからもたくさん作られ、多くの日本人の目に触れることを心から願う。


 あの戦争を正当化し、戦争の悲惨さ、理不尽さを忘れてしまえば、犠牲者たちの死は、本当の犬死にになってしまう。

 あの戦争の犠牲者たちの死を、犬死ににさせてはいけない。

(完)

光太
公開 2013年11月15日

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