私は貝になりたい (1)


「私は貝になりたい」    福澤克雄 (監督) 2008年

評価: 90点


 この映画は、非常に重要なテーマを描いている。
 これは、かなりいい映画だといえるだろう。

 そして、これを観て泣いた人も多いようだ。

 だが、自分も、この映画はかなりいい映画であると思うのだが、残念ながら、全く泣くことはなかった。

 この結末は、あまりに悲惨である。

 自分は、このストーリーの結末を全く知らなかったので、ずっと、この主人公は、最後には助かるのだと思って映画を観ていた。
 結局、主人公が釈放され、家族で暮らせるようになるところが、感動のエンディングなのだと考えていた。

 だが、違った。

 そして、ラストは、全く泣かなかった。

 このラストには、全く救いがなかった。

 でも、この映画が訴えたかったことを考えれば、この結末が一番よかったのだろうと思う。


 この映画が描いている最も重要なテーマは、戦争というものの悲惨さであると思う。
 そして、具体的に描いているポイントはいくつかあろう。

○ 戦争は嫌だなどとは決して言うことができない当時の時代の風潮

 これは、世界的に見ても異常なレベルであった。戦争に否定的な発言をしたり、戦争に行きたくないなどと言おうものなら、それだけで特高警察が来て捕まってしまうのだから、恐ろしいことこの上ない。拷問まで受ける。日本人の完璧主義は、工業製品を作る際などには非常によい形で発揮されるのだが、戦時などの状況下で、思想統制に発揮されると、本当に過酷なものになる。
 ばかげた戦争、決して勝つ見込みのない、ウソで塗り固められた戦争、国民の命を何とも思わずに無駄死にさせるだけの戦争に対して、批判することすら許されないとは、何と過酷なことだろうか。そして、赤紙一枚で家族と引きはがされて戦争に行かせられるときの悲しみ、理不尽さ、死への恐怖すら口にしてはいけないなど、なんとむごいことだろうか。


○ 当時の軍隊において、上官への異論などは全く許されなかったこと

 そして、この映画でも描かれているとおり、その命令の一番上には、形式的に天皇がおかれており、天皇の命令に逆らうなど決してありえなかった。
 もちろん、一般的に軍隊には統制が必要だから、どこの国の軍隊でも、指揮系統はある程度整っている。だが、日本では現代においてさえ、年齢が違うだけで明白な上下関係、支配・被支配関係がある。日本でしか生活していないとそれが当然と思うかもしれないが、海外ではそんな上下関係などほとんどない(韓国など、上下関係が厳しい国もなくはないが、それは例外的である)。日本は、ただでさえそういう下地がある国だから、戦時などに、そうした支配・被支配制度が極端に厳格に運用される。その最上位に、神と位置づけられてしまった天皇がおかれるに至っては、もう、手のつけようがない。「天皇って言ったって、単なる普通の人でしょ?それに全部従う必要なんてあるわけ?ばかばかしい...。」なんていう正当で真っ当な意見を口にしたりしたら、それはたいへんなことになってしまう。
 当時の日本に近いことを今でもやっている国が、日本のすぐ隣の朝鮮半島の北部にある。ウソで塗り固めた巨大な信仰システムを作り、人々を強制的に従わせる。そこに生きる人々は、自由に考え自由に行動するという最も人間らしい行動を奪われ、従うだけの機械として生きることを強制される。最も人間らしい行動を奪われる苦痛というのは人間にとって耐えがたい。そして、そうした従うだけの人生を強いるというのは、人々が人間として生きる意味を奪っているのに等しいと思う。(日本は過去に、そういう同様の経験を持ち、そういう環境下におかれた一般民衆の苦しみがわかるのだから、北朝鮮の一般市民を今の状況からできるだけ早く解放してあげられるような外交努力をして行くべきだろう。)


○ 軍隊内部における、上官の横暴と下士官へのひどいいじめ

 現在の学校でも、いじめは大きな問題だが、中には、それを現代特有の問題で、昔はいじめなどなかったと考えたがる人々もいるようである。しかし、それは大間違いである。(そんな浅はかな分析をしていては、いじめを減らすことは絶対にできないだろう。)戦争中の軍隊内部のいじめに関しては非常に多くの物語が語られていることからも、当時の軍隊では、現代よりももっと頻繁に、しかも過酷ないじめがあったのはほぼ間違いないだろう。この原因としては、一つには、当時の、あまりにも抑圧された生活があろう。ほぼ全ての人たちが貧困の極致で、まずい食べ物すら手に入れられず、言いたいことも言えずに、天皇や軍隊への見せかけの忠誠を誓わされる。そして死への恐怖もあろう。軍人でもない一般市民が、どんどん兵隊が死んでいく戦場に行かされ、死体もたくさん見て、死の恐怖を身近に感じているのだから、怖くてたまらないだろう。そういう抑圧と恐怖の中では、人々の精神は極限におかれ、はけ口を求める。その一つが軍隊内部の過酷ないじめであろう。はけ口を求め、下士官をいじめる方は、それで快楽が得られるかもしれないが、いじめられる方は、いじめる方と同じ過酷な環境にありながら、さらに徹底的にいじめられるのだから、悲惨きわまりない。
 また、軍隊における階級は、別に人間的に優れた者が高い階級を得るような仕組みになっているわけではない。したがって、この映画に出てくるような頭の悪い、愚かで、人間的にも悪いところしか持っていないような者が、小さな権力を持ち、二等兵たちを牛や馬以下とみなして理不尽な暴行を加える。
 憤りがわいてくるが、こんな理不尽きわまりないことががまかり通っていたのである。(困難な中にある、抵抗できない者たちに対して、このようなひどいことをした愚か者たちこそ、真に死刑に値すると思う。)

私は貝になりたい (2)に続く!

光太
公開 2012年9月1日

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