風立ちぬ


「風立ちぬ」    宮崎駿 (監督) 2013年

評価: 28点


 何も感じない映画だった。

 映画を見ながら、退屈だなあ...、と何度も思った。

 まあ、最近の他の宮崎映画に比べれば、明らかにおかしい展開があまり見られなかったことくらいが評価できる点かもしれない。


○ 不自然な点

 それでも、引っかかった点はある。

 二郎と菜穂子が結婚することになったのは、軽井沢のホテルであり、ストーリーの展開上重要な場所であるが、なぜ、そこに滞在することになったかが、さっぱりわからないのである。滞在が突然のことのように感じてしまい、ただ、二人を会わせるために、あまりにも唐突に用意された場面のように感じてしまったのである。菜穂子の方は、お嬢様なのだから、ホテルに滞在することもあるだろう。それはいいとして、二郎の方は、なぜ、そのホテルに滞在することになったかが、全く不明であり、一人でそんなところに滞在するというのは、非常に不自然で、二人を再会させるためという目的があまりにもありありに思えたのである。

 また、二郎がホテルで菜穂子の父親に、娘との結婚を申し込むところも、あまりにも唐突である。
 二人が再会して、二人で少し話をして、恋愛感情を持った、というところまではわかる。しかし、菜穂子とも何の相談もせず、いきなり父親に、娘との結婚を申し込むとは、あまりにもありえない展開ではないか?菜穂子が、恋愛感情は持ち始めたが、結婚したいとまでは思っていない可能性もある。それなのに、いきなり勝手に結婚を父親に持ち出すとは、唐突すぎる。
 ドラマチックな展開にしたかったのかもしれないが、その魂胆がありありで見ている方が恥ずかしいし、実際にこんなことをすれば、ただのおかしい人である。
 父親に菜穂子との結婚を申し込んだ後、菜穂子が、「私は、まだそこまでは... (^^; 」などという展開になったら、どうするつもりなのだろうか...。
 結婚は重大な事柄なのだから、そういう展開にしたいのであれば、それが不自然でないように、二人の会話や関係の深まりをもっと描くべきであったと思う。


○ 主人公の目的がわからない

 映画を見ていて、主人公が何を完成させたいのか、よくわからなかった。
 もちろん、飛行機が好きなのはわかる。
 しかし、何を目的に、何を作ろうとしていたのか、全くわからないのである。
 そもそも、そうした部分を説明しないのは、宮崎映画の多くに共通することでもあるので、今さら驚かない。でも、もし、何を目的に、何をしようとしているのかがはっきり示されていて、主人公がそれに対して、失敗してもくじけずに取り組み、それが最後に成功すれば、見ていて非常にうれしくなる。
 しかし、主人公は、何をしているかよくわからないが、ただ、毎日、飛行機の設計に関連することを何かしている、というのでは、ストーリーに感情移入することもなく、ただただ、映像を淡々と眺めるだけ、ということになってしまう。他のいくつかの宮崎映画でも同様である。


○ 戦争なのに...。

 主人公が作ったのは、悪名高い特攻に使われた戦闘機、ゼロ戦である。
 それを作ってしまったため、結果として、多くの若者が、死の恐怖におののきながら、しかも、その恐怖を口にすることも許されないままに、強制的にそれに乗り込まされ、亡くなっていった。
 本当にバカげた作戦であり、亡くなっていった若者たちやその家族にとっては、本当に残酷としかいいようのない史実である。

 この主人公は、こともあろうに、その戦闘機を作ってしまった。
 もちろん、主人公は、戦争を推進しようとして戦闘機を作ったわけではない。
 しかし、作ってしまったその戦闘機により、多くの命が、本当に悲惨な形で失われていったのに、それに対して、主人公はほとんど何も思っていないように見える。
 そんなことでいいのだろうか?

 例えば、原爆を作ってしまった科学者や技術者は、そのせいで多くの人が一瞬で亡くなり、後遺症に苦しんだ責任を、全く負わないのであろうか?法的には責任はないかもしれない。だが、「俺は、原爆の開発は本当にエキサイティングで楽しかったし、破壊力のある原爆を完成させることができて、満足している。だが、俺は仕事として原爆を開発しただけだ。だから、それで人が何人死のうが、それは、使った人間、使うことを命令した人間の責任であり、俺が責任や負い目を感じる必要は一切ない。」などと平然と言う人間がいたとしたら、人間としてどうなのだろうか?
 ゼロ戦の場合は、さらに責任は大きいと言えるかもしれない。原爆は、その科学者たちが開発しなかったとしても、いずれ別の科学者が開発していたかもしれない。しかし、ゼロ戦の場合は、二郎が開発していなければ、他の人は開発できなかったかもしれない。その場合、特攻隊に行かされ、「天皇陛下万歳」を叫びながら突撃して自らの命を絶たねばならないような若者もいなかったかもしれないのだ。 

 自分は、主人公には、深刻に反省をしてほしいと思った。
 作った飛行機が何に使われるのかは、主人公も当然知っていたはずである。
 その上で、敢えて作ったのである。

 「僕は飛行機が好きなだけなんだ。ただ美しい飛行機を作りたかったんだ。」ということであったとしても、その結果として多くの人の命を奪い、多くの家族を悲劇のどん底に陥れた責任はあるだろう。

 最後に「一機も帰ってこなかった」と言っていたが、そんなことは、最初からわかっていたはずである。その目的のために作ったのだから。

 なんて無責任な...。


○ 感じられない反戦

 この映画では、戦争はむごいものだということが、全然感じられない。

 この時代は戦争中で、ものすごく苦しい時代だったのに、主人公たちは、ただ優雅に暮らしている。
 東京大空襲などで多くの人が焼け死に、原爆で一瞬にして数万人が亡くなった。食べ物も不足し、栄養不足などで亡くなった人も数多い。戦地でも兵士たちは餓死し、多くのアジアの人を残酷な方法で殺した。軍隊では、壮絶ないじめがはびこった。
 このひどい時代を描いた作品には、「私は貝になりたい」、「二十四の瞳」、「火垂るの墓」、「少年H」などいろいろあるので、戦争の現実を知らない人は、そうした作品を見るといいだろう。

 ドイツ人カストルプと話すシーンで、カストルプが、その戦争について、否定的な趣旨のことを一言述べているが、戦争について、ほとんどこれだけしか言及がなく、これでは全く何も伝わらない。

 特高警察が主人公を調べに来たというシーンもあるが、これも一言で終わってしまい、結局何も起こることはなく、全然危機感が伝わらない。
 戦争反対を言うだけで密告されてとらえられる恐ろしい社会に人々がおびえていたことや、捕らえられた人々は、ひどい拷問を受けたりしたはずなのに、そんな深刻さは全然伝わってこない。

 こんなにのどかで他人事の戦争時代を描けば、戦争はその程度の大したことのないものだと勘違いする人もたくさん出てくるだろう。

 むしろ、こんな牧歌的でいい時代なら、戦闘機を作る充実感もあるし、戦争の時代はすばらしい時代だったんだと、誤ってとらえてしてしまう人も出てくるかもしれない...。


   宮崎監督は、戦争が嫌いである。

 それならば、素直に、それを全面に出せばよかったと思う。

 「火垂るの墓」に迫るくらいの、戦争のむごさを描く名作を残して、多くの人にそれを伝えて最後を飾るのがよかったのではないか。

 宮崎さん、既に何度も最後という言葉を撤回しているので、もうみんな驚かないので、最後に、ストレートに思いを伝える映画を作ってはいかがか?

(完)

光太
公開 2015年5月7日

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