借りぐらしのアリエッティ (2)



これは(2)です。借りぐらしのアリエッティ (1)から読むのをおすすめします。



 また、人物たちの描写もかなり変である。

 まずは少年翔である。

 最初に庭でこびとを見たとき、少年は何も驚かない。この世界でこびとが大して珍しくもない存在という設定ならそれでもいい。しかし、この世界でも、こびとは一般には存在しないものとして受け止められているようである。また、少年が5歳以下程度なら、こびとを初めて見ても、それを何の驚きもなく受け入れることもあるかもしれない。しかし、中学生くらいの少年がそれを驚きもなく受け入れるのは、少年がオカルト少年だったとしてもありえるとは思えない。少年の心が純粋であることを描いているのだと反論されるかもしれないが、最初にこびとを見たときさえも全く驚かないというレベルになると、少年には通常の人間的な感情が全くないということになる。人間の感情と全く異なる行動原理で動いているとなると、登場人物たちへの感情移入は難しい。見ている人は、少年が驚かないことに驚いてしまい、映画を見る集中力が乱され、唖然とするばかりである。

 そして、翔の言動で一番不可解なのは、アリエッティと友達になりたがっていたのに、会っていきなり「君たちは滅びる種族なんだ」と言う場面である。このこびとの種族が世界に数人しかいなければ、少年の言っていることは科学的にはもちろん正しいが、友達になりたいと思っていた相手にいきなり言う言葉だろうか?
 少年は重い病気で手術を控え、極度の不安に陥っていたり、自暴自棄になっていたということかもしれないが、そうだとしても、物語の展開からしてあまりに不自然である。例えば、相手とはずっと顔見知りで仲がよかったが、ちょっとしたことをきっかけに口げんかが始まり、手術などの不安の中、気を許している相手であるため、ついこうしたことを言ってしまった、などという状況なら理解できる。だが、友達になりたいと思っていた相手に初めてまともに会えた時にいきなりこんなことを言うのはありえない。なんのきっかけもなく、また、友達になりたいと思っている相手に対して、こんなケンカを売るようなことをいきなり言うのは理解に苦しむ。これではただのおかしい人である。
 この展開には、観ていた人のほとんどが驚いたことだろう。

 少年は、こびとの家に、ドールハウスのキッチンをプレゼントするが、いきなりこびとの家を壊してキッチンをおくのも常軌を逸している。中に住んでいるこびとたちにとってはもちろん恐怖であるし、こびと家族の側にもいろいろ事情もあるはずである。こびと家族にとってこれだけ大きな大工事を行うなら、少なくとも事前にアリエッティには断っておくべきだし、もっと丁寧にやらなければいけない。あんなふうに強引に何の配慮もなく家を壊せば、こびと家族はけがをする可能性も大いにあるし、ひどければ重体に陥ったり、生涯半身不随になったり、即死してしまう危険性もある。
 それに、あのドールハウスのキッチンのオーブンなどは電気を使って実際に使えると言うことであるが、あんな乱暴なやりかたで、どうやってそれが使えるようになるのか?
 いきなり家が壊されるシーンを入れることで、映画に迫力のあるシーンを加え、映画をおもしろくしようという魂胆なのだろうが、これでわくわくドキドキする人と、翔のあまりにも配慮のない野蛮なやり方の不自然さに困惑する人とでは、後者の困惑する人の方が多いのではないだろうか?
 そして、少年がどうやってこのこびとの家の場所を特定したのかも全くわからなかった。

 そして、最も変なのは、家政婦ハルの行動である。こびとを執拗に捕まえようとする怖い変な人に描かれている。
 だが、その目的が全くわからない。
 昔、こびとを見たのに信じてもらえなかったことがあるようだが、それだけでは、あの家政婦の醜悪な表情や行動の理由になるとは思えない。また、こびとたちを泥棒呼ばわりしていたので、こびとに対して何か深い恨みがあるのかもしれないが、それも見ている人には全くわからない。

 そして、こんな変な家政婦を、あの奥さんがこの屋敷においておくとは思えないという疑問も出てくる。少年の部屋に外から鍵をかけてしまうような精神の持ち主を、家政婦として長い間雇うだろうか?

 物語にとって、こびとたちを脅かす悪役が必要なのはわかる。でも、それなら、この悪役は単純に子どもにすればよかったのではないかとも思う。子どもなら、好奇心からこびとを捕まえようとするだろう。そして閉じこめて飼おうとするだろう。子どもはそういうのに集中するから、徹底的にこびとの家を探し回るだろう。それなら自然である。もしくは、こびとを見せ物小屋に売ってお金を儲けようとする近所の柄の悪いおじさんでもよい。わざわざ、意味のわからない家政婦を登場させる必要は全くない。

 ...といったように、なんだかよくわからない点はいくつもあるのだが、これでも、「ハウルの動く城」で、物語の非常に重要な要素となっていた戦争を、いつでもやめられるのにやめさせなかった理由や、「崖の上のポニョ」の、洪水で海に沈んでもへらへらとしている人々に比べたら、はるかにましである。

 少なくとも、「アリエッティ」におけるここで述べてきたような指摘は、「ハウルの動く城」や「崖の上のポニョ」への指摘に比べて、はるかに高尚である。

 この映画の監督は、宮崎駿ではなく、米林宏昌である。
 またしても、宮崎駿よりも、ストーリーの支離滅裂さが少ないという点で、宮崎駿の近年の作品より、この作品に相対的に高い点数を与えたいと思う。(宮崎駿の近年の作品がどんなにおかしいかは、ぜひ、「ハウルの動く城」や「崖の上のポニョ」を読んでもらいたい。)




 最後に、スタジオジブリさんへ。

 ここ何作かのジブリ映画を辛抱強く見てきましたが、ストーリーの破綻や登場人物の行動のおかしさ、物語の整合性のなさに対して、監督や脚本担当に、進言・指摘ができるスタッフは、ジブリ内部にはいないように見受けられます。

 今後の作品では、ジブリにいい映画を作ってほしいと思っている光太が、ストーリーにおかしいところや不整合がないか、登場人物たちに不自然な行動がないかなどを事前にチェックして、矛盾点や修正点をアドバイスしたいと思います。これにより、ジブリの作品は、近年の矛盾や疑問点に満ちたものとは見違えるようなすばらしいものになると思います。もう、心ある映画ファンから厳しく批判されることもなくなるでしょう。ジブリ映画をいいものにしたいという思いからの申し出ですので、もちろん、お金はいりません。
 遠慮したり恥ずかしがることなく、作品の案の段階で事前に光太までご相談いただければと思います。
 今後のジブリ映画を、一緒にすばらしいものにしていきましょう!


(完)

光太
公開 2012年1月7日

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