「ドクターX 〜外科医・大門未知子〜」 (テレビ朝日) 2012年、2013年
評価: 85点
○ はじめに
このドラマは、古い体質を持つ、権威ある場所に、それには縛られない一匹狼が現れ、自由に振る舞いつつ、人道的に振る舞い、正義を実現するという、ドラマの王道をいくものである。
大学病院を描いたドラマというのは、やはりおもしろい。「白い巨塔」でもそうだが、大学病院は、理不尽な権威を非常にはっきりと描きやすい。我が物顔で権威を振り回す医師たち、医師たちが総出で院長の後についてぞろぞろと行列する院長回診、目上の教授たちにこびへつらう准教授や助教たち、利害関係・権力闘争が明瞭な形で現れる教授選挙、多額の謝礼を受け取る医師たち、そして、教授夫人たちの会も欠かせない。
こうした権威の中、それに対抗する存在も、鮮やかに表現されやすいわけである。
大門の活躍を見ていて、やはりスカッとする。
定番とはいえ、この設定は非常にいい設定だと思う。
また、大学病院を描いたドラマは、政治家を描くドラマなどと同様、ドラマに重厚感がある。権威と知性にあふれる雰囲気の中、威厳がある俳優たちが配置され、ドラマのワンシーン、ワンシーンが非常に重厚なものになっている。
さらには、手術の内容をわかりやすく説明してくれたり、手術の名称を漢字で表示してくれたりする配慮も、内容を理解するのに非常に助かる。また、このドラマは重厚なだけではなく、蛭間統括部長などが時折見せるコミカルな演技も見ていて楽しい。
視聴率も比較的高いし、自分もこのドラマは好きである。
だが、例によって、ここでは敢えて、微妙な点を挙げておくことにしよう。
念を押しておくが、自分は、決して、このドラマが嫌いではなく、好きなのであるが、わざわざ微妙な点を挙げるわけである。
○ ナレーション
まず、最初のナレーションは全くおかしい。
「大学病院の医局は弱体化し」と言っているが、現実はそうなのかもしれないが、ドラマの中ではそうは見えない。
それから、「命のやりとりをする医療も...」と言っているが、別に、医療現場は、命のやりとりをしているわけではないだろう。「命のやりとり」という言葉を冒頭のナレーションに入れることで、医療現場は、お金で命を売ったり買ったりするような場所であり、何となく、不正な臓器移植のようなものを彷彿とさせ、スキャンダラスな印象を見ている人に抱かせようとする、あざといやり方に思えてしまう。
その後、「ついに弱肉強食の時代に突入した。」と続くが、ここでの「弱肉強食」という言葉は、全く意味不明である。何を指して弱肉強食と言っているのかもわからない。文脈を考えれば、これは、医師と患者や、患者同士ではなく、医師同士のことを指しているのだと思うが、そうだとしても意味が分からない。この言葉は、強いものが弱いものを蹴散らして、または、犠牲にして成功する、といったことを指すのではないかと思うが、医師同士が、そういう時代に入ったとは思えない。弱肉強食というのは、普通に考えれば、強い者、つまり医療技術の高い者が、弱い者、つまり医療技術の低いものより上に立つことができるということであると思う。でも、それならば、それは、過去の権威主義的な医学界の序列から、少しでも実力を認める時代になってきたということであり、歓迎すべきことである。それを、弱肉強食などという、否定的なニュアンスを含む言葉で表現するのも意味が分からない。
そして、「その危機的な医療現場の穴埋めに現れたのが、フリーランス、すなわち、一匹狼のドクターである。」というのだが、まず、ここまでのナレーションが意味不明なために、医療現場がどう危機的なのかも全く理解不能である。そして、その意味不明な危機的な医療現場を、フリーランスの医師たちがどう”穴埋め”するのかも全くわからない。
....というように、このナレーションは意味のない言葉の羅列であり、とてもじゃないが、まともな日本語能力のある人間が考えたものだとは思われない。
光太
公開 2014年3月21日