福島原発事故の放射線は危険なのか? (4)



これは(4)です。福島原発事故の放射線は危険なのか? (1)から読むのをおすすめします。



○ 一番の深刻な影響は風評被害

 福島原発の事故による放射線が、ある程度離れているところではほとんど影響はないということを示すこれだけの事実がありながら、不正確で、科学的でなく、人々を恐怖に陥れる情報を流している人々には、風評被害を拡大させていること、また、震災直後には、ペットボトルの水などの買い占めを発生させて社会を混乱させていたことに対する責任がある。風評被害で、農産物、牛乳、魚、そして工業製品に至るまで、福島や周辺の県の人々を苦しめていることの責任がある。長年、農業や畜産業をやってきた人の中にも、風評被害のせいで廃業に追い込まれて、生活の手段を失ってしまった人たちもいる。そういう中、なんとか生活を維持していこうと、必死になって方法を考え、努力している農家や漁師、工場の方々がいる。そして、離れたところに住む一般の人々の中には、こうした農家の人や漁師の方々を助けるために、福島や周辺の県の生産しているものを、あえて買ってあげよう、食べてあげようとしてそれを実践している親切な人たちもいる中で、こうした情報を流布している人々の罪はきわめて重大である。
 こうした人々は、風評被害に対する賠償責任の少なくとも一端は負うべきではないだろうか。

 また、海外から日本への旅行客が大きく減っており、日本の観光産業は、西日本に至るまでたいへんな苦境に陥っている。そして、海外から、日本の工業製品に対して、放射能検査をしないと購入しないといった要求がくる事態も発生し、日本の企業の中には、それに苦しめられているところもある。これは、基本的には、海外のメディアが、日本が遠くにあるのをいいことに、放射能の影響を誇大に報道していることが大きい。しかし、日本にいる我々は、放射線の本当の影響を知っているし、福島を除けば、旅行をするのに放射線は全く影響ないレベルだということも知りうる立場にある。インターネットも発達している現在、我々個人個人が、放射線の影響は少ないから安心するようにと、海外に発信すべきところを、内側から、そんないわれのない恐怖を振りまいていては、こうした観光業や製造業が困っているところに追い打ちをかけているようなものではないだろうか。

 そればかりではない。福島県には、原発から20km圏より外ではあるが、住み続けなければならない人もいる。住居を移るといったことは容易なことではないからである。一般の人たちでも、全く別の県などで受け入れ先を見つけるのは簡単ではないだろうし、職場から離れられないという問題もある。農家や畜産農家なら、そこから離れることはできない。また、現に福島原発で事故の対応に当たっている方々は、その周辺から遠くに行くことはできない。その周辺地域に住んでいても全く問題はないのであるが、無責任に、放射能は怖いはず、という報道に毎日接していれば、そうした人たちの心理に重大な負担を強いることになる。チェルノブイリ事故後の周辺住民の心的外傷ストレスについては、(2)で述べたが、福島の場合、健康被害が全くないにも関わらず、怖いはずだという根拠のない報道やデマよって恐怖に陥って、心的外傷ストレスになってしまう人たちが多く現れることが予想される。小さい子供を持つお母さんたちなどには、相当な心理的負担が生じているだろう。科学的に根拠のある内容ならよいが、そうでない場合、そういった恐怖をあおる内容を無責任に流布するのは、暴力的な行為であるいえると思う。
 そして、どこか受け入れ先を見つけることができた人にとっても、避難所暮らしは大きな心理的負担が伴うし、見知った人々から切り離されて、全く新しい人間関係を一から築いていくのも大変であろう。また、親戚などの家に住まわせてもらうにしても、長期になってくると肩身の狭い思いを抱く人も多いだろうと思う。職場を長期休業すれば、解雇の対象にもなってしまうかもしれない。子どもに将来健康被害が起こるかもしれないという恐怖に怯えているお母さんたちの中には、福島に仕事を持つ夫を残して、小さい子供と一緒に県外の受け入れ先に滞在しているお母さんたちも実際におり、滞在費用の問題も重くのしかかるだろうし、夫と離れて暮らすことの不安も大きいだろう。そのまま福島に住み続けても実際上何の問題もないにもかかわらず、恐怖をあおる報道によって恐怖に陥り、避難した場合のこうした精神的ストレスや実際の損害はかなり大きい。本当に危険なら避難するのはとても重要なことだが、危険でないのに、無責任に恐怖をあおって、ただでさえたいへんな思いをしている人たちを、こうした生活に追いやるようなことをしてはいけないと思う。

 放射線に関する無知・無理解から残念なこともたくさん起こっている。
 震災から半年ほどたった8月、津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の松原の松で作った薪を京都の大文字の送り火で使おうという、心温まる計画が提案され、それに向けた準備が進められていた(朝日新聞2011年8月7日朝刊より)。この薪には震災で亡くなった家族や復興への思いが書かれており、実現すれば、被災地の人たちを大いに励ましたと思う。だが、「放射性物質はだいじょうぶか」「灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される」などと不安がる声が電話やメールで寄せられたという。この計画をしていた団体は、全ての薪を検査し、放射性物質が検出されないことを確かめたが、最終的に苦渋の決断をし、この薪を使うことを断念したとのことである。この団体の理事長は、陸前高田市でこの薪を集めた方のところに行き、結果として、被災地の方のつらい思いに追い打ちをかけてしまったことを詫びたそうである。
 なんというむごいことだろうか。
 実際の危険性を科学的に冷静に判断もせず、被災地を励ますこうした活動を中止に追いやった人たちには、自分たちのしたことの残酷さをよく考えてもらいたい。
 (注: この件については、この決定に対して、後に京都市などに抗議の電話が殺到したため、この決定は再考され、大文字の送り火で薪が使われることになった。使う予定だった薪は、陸前高田市で迎え火として既に燃やされてしまっていたため、別の薪を使うことになったが、抗議をした人も含め、多くの人がこれに怒りを感じたのは頼もしいことであるし、結果的に薪を使うことになったのは喜ばしい限りである。)
 そして、つくば市の役所の窓口では、福島県の住民の方がつくば市に転入しようとする際、放射能検査の受診証明書を出すように求める、ということまで起こった。
 そればかりではない。玄葉大臣は、福島ナンバーの車が止まっていると、止めるなと言われたり、ホテルや旅館で、福島県の人たちの宿泊を拒否するようなことが起きたり、福島から避難している子供が、学校で、いじめのようなことを言われることまで起きている、と述べていた。
 放射能の恐怖が世間に広まってしまっていると、おびえから、こうした排他的な行動がどうしても出てきてしまう。だが、これらは、完全に、放射能に対する無理解からくる、差別的な言動である。科学的根拠など全くないのに、怖いといって排除しようということが起こっているのだ。ここまでくると、無知は罪であると思う。広島、長崎で原爆を受けた人たちは、もっとひどい差別を受けたらしい。
 ただでさえ、苦難に見舞われている福島の方々が、こんな目にあっているというのは、理不尽にもほどがある。
 しかし、科学的に正しい知識をきちんと持っていれば、こんな事態は発生しないと思う。

 東日本大震災で起きているいろいろなことのうち、なかなか人間の対処が難しいことも多くある。しかし、このような風評被害や差別的な言動は、人々がきちんとした情報を手に入れて、冷静に落ち着いて考え、行動することでほぼ完全に対処できる問題なのである。正しい情報に基づいて行動するだけでいいのである。

 科学的に正しくない情報を広めて、不安心理をかきたててることは、絶対にやってはいけない。

(完)

光太
改訂 2011年8月08日
公開 2011年4月23日

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