福島原発事故の放射線は危険なのか? (3)



これは(3)です。福島原発事故の放射線は危険なのか? (1)から読むのをおすすめします。



○ 陰謀を好む人々

 そもそも、放射能の恐怖におびえている人たちの中には、インターネットの情報などを頼りに、「政府は隠している。マスコミも隠している。テレビにでている専門家たちも信用できない。○○さんだけが私たちに真実を教えてくれている。」というような人も多い。しかし、これは論理としてかなりおかしい。どうしてマスコミや専門家が全く信用できないのに、(あまり専門的な知識もなさそうな)素人が一人だけ真実を知っていたりするのか。こういう、一人だけ真実を知っているというような人々は、概して、恐怖をあおる情報を流していることが多い。そして、何かを不安に思っている人々は、全く信用できない情報であるにも関わらず、より恐怖を呼び起こす情報を信頼したいと考える傾向が強い。政府もマスコミも原子力の専門家も信用できない、と思っている人たちは、自分自身が、恐怖のあまりそうした信頼性の低い情報を自ら選びとって信用してしまっているという状態に陥っていないか、自分でよく考えてみる必要があるだろう。

 911テロ攻撃は陰謀だ、宇宙人やUFOを政府は隠している、地球温暖化はうそだ、陰謀だ、といったたぐいの情報の多くも、政府や科学者は隠している、という単なる憶測と願望に基づいている。政府や、多くの科学者が、うそをついており、一部の変わった人が言うことだけが正しいと考えたがる人々は常に存在する。福島原発の放射性物質に関する扇動も、こういったものときわめて近い種類の発言だと思う。
 映画など、フィクションの中では、そうした変わった人が正しい、というモチーフはよく使われるが、現実社会において、そういうことが起きることは、これまでもほとんどなかった。


○ とにかく原発が嫌いな人々

 この社会には、原発がとにかく嫌いだという人々が存在する。そうした人々は、原発は恐ろしいという証拠を求めて躍起になっている。一部の大学研究者の中にもそうした人がいる。そして、こうした人たちは、原発が恐ろしいという情報を誇大に述べる傾向が非常に強い。
 もちろん、原発の悪いところや危険性は指摘すべきだし、適切な批判をし、改善点などを提案するのは重要な行為である。そして、こうした人々の主張することの中には、実際に参考にすべきことも多い。だが、こうした人々は、原発を憎むあまり、時として、実際のリスクを何万倍も増幅させて、人々の感情に訴えるような言い方をすることがある。だが、非科学的な情報を流して恐怖をあおるのは、やってはならないことである。さらに、こうした人々は、福島原発事故の放射線は人体に影響はほとんどないという情報があっても、それらを全て無視したり、それは情報コントロールで、政府や多くの学者たちは事実を隠している、などと言って、人々を安心させる情報に人々が接するのをとにかく阻止しようとする性質がある。しかし、原子力発電について、きちんと議論しようと思うなら、実際にどれくらいの危険性があるのかを正しく共有しておくことがとにかく重要である。
 また、あえて名前は挙げないが、日本の大学の先生の中にも、原子力発電への嫌悪感が強いあまり、二酸化炭素による地球温暖化が起きていない、などと言っている人もいる。だが、いろいろなデータを見れば、二酸化炭素の増加によって、近年温度が上昇していることは、紛れもない事実であり、それを否定することは不可能である。原子力発電が嫌だからと、黒を白と言ってしまうような学者も一部に存在することは、頭に入れておくべきことだと思う。原子力発電に対しては、そこまでして嫌悪感を持つ人がいるのである。
 だが、当然のことだが、原発が嫌だという結論が先にあって、それに対して都合が悪い情報は全部なかったことにして、原発の危険性を印象づけるためにはなんでもする、というような態度は間違っているし、そんなアンフェアな態度の人たちには、今後、日本のエネルギー政策をどうしていくかを冷静に話し合う余地が全くないから、そういった人たちは、そうした重要な話し合いにも加えてもらえないことになるだろう。

 また、原子力発電をとにかく嫌だという人たちは、原発がなくてもだいじょうぶだとして、太陽光や風力や波浪などをはじめとする自然エネルギーを過大に評価したり、それらを使えば原発はいらない、と言ったりもする。しかし、彼らの言っていることをよく聞くと、コストを全く考えていなかったり、実際の実現可能性が全くないようなことを言っていたり、電力は、天気が曇っていて、風もなく、波もない状態でも安定して供給しなければならないことを無視していたりすることが多い(真夏の午後に、曇っていて風のない日もあるわけであり、そうしたときにも、使用する最大電力を常に発電していなくてはならないのである。)。だが、本当にそうした自然エネルギーを使う方向に日本を変えていきたいなら、そうしたネガティブな要因を無視してはいけない。
 そうした自然エネルギーについては、コストがかかってもできるだけ使えるように今後、国を挙げて努力をしていくべきだと自分個人としては思う。ソフトバンクの孫社長が、太陽光パネルを一気に広める計画を提唱し、多くの知事がそれに賛意を示した。菅政権もそうした計画に積極的なようである。自然エネルギーを使いつつ電力の安定性を保証するためには、かなり大規模な蓄電の技術も必要になるだろうが、それが可能な見通しがあるかどうかも含めてよく検討し、目処がつきそうであれば、こうした技術に大いに投資し、日本がこうした技術を海外にも輸出できるようになることを個人的には期待する。
 だが、現時点では、太陽光発電には数々の問題があることも確かなのである。現実的な問題を少し考えてみよう。まず、自然エネルギーを使うには、今よりもはるかにコストがかかる。現状では、太陽光発電のコストは、原子力発電のコスト(←これは、事故が起こらない場合のコストだが)の10倍である。風力発電では2−3倍である。つまり、太陽光発電を使うなら、電気料金が、そのまま10倍ではないとしても、3倍くらいにはなるかもしれない。こうなると、家計もたいへんだし、企業もたいへんであろう。また、自然エネルギーの利用を促進、さらに発展させるには、そうした研究開発にも資金投入をしていくことになる。そこにこれまで以上に資金を投入するには、政府ならば、何かに対する支出をカットするか、税金を上げる、そして電力会社なら電気料金を上げて対応するということになる。政府が何かに対する支出をカットするということになれば、今の日本の財政は切り詰めるところは既に非常に少なくなっているので、削減対象は社会保障費になるかもしれない。そして、自然エネルギーの使用によって、電気料金が上がるということは、企業活動に打撃を与え、経済にかなりのダメージを与えることになるだろう。そうなれば企業が払う税金は減り、国の収入は減る。日本全体の景気も悪くなる。そして、電気料金の安い海外に工場を移す企業もたくさん出てくるだろう。こうなると、国の収入はますます減る。その分の財政収入が目減りする分は、増税などで対応するしかない。さらに、企業が海外に工場を移せば、日本国内の大量の労働者が解雇され、日本の失業率は上がることになる。自分は、その決意をしても自然エネルギーを使えるようにしていくことにある程度賛成だが、こうしたネガティブな要因はフェアに提示して議論していくべきである。コストや実現可能性を全く無視して人々に偽りの期待を与えてはいけないと思う。そんなことをしていては、利用の実現の前に横たわっている数々の問題点が解決されることもなくなってしまい、いつまでたっても実際に自然エネルギーを使うようにはならないだろう。真剣にその方向を目指したいなら、真剣に議論すべきである。
 では、原子力発電よりコストが少し上がるが、火力発電をすればいい、と思う人もいるかもしれないが、火力発電をすれば、当然のことながら、二酸化炭素を大量に発生させることになるので、その場合には、世界が二酸化炭素削減に向けて努力している中で、日本が二酸化炭素をどんどん排出し続けてよいのか、という倫理的な問題も出てくる。そして、例えば、水力発電でも、ダムを作らなければならないから、自然破壊にもつながるし、そもそも立地に適した場所も少ない。

 自然エネルギーの開発にはこれまで以上に力を入れていくにしても、原子力発電を今後すすめていくかどうかは、安全性やコスト、電力の安定性、火力発電の二酸化炭素の排出量などをきちんと考慮しながら、みんなで今後冷静に議論していくべきであって、そういう議論においても、科学的にきちんと裏付けのあるメリット・デメリットを公平に示しながら、きちんとした議論を行っていく必要があるだろう。


福島原発事故の放射線は危険なのか? (4)に続く!

光太
公開 2011年4月23日

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