ALWAYS 三丁目の夕日 (3) −昭和30年代はよかったか?−



映画自体の評価については、ALWAYS 三丁目の夕日 (1)をお読みいただければと思います。



○ 昭和30年代はよかったか?

 さて、これらの映画を見て、昭和30年代を懐かしいものに感じ、当時はいい時代だった、といったような感情を持つ人も多いようである。だが、それは、物事の一面しか見ていない、非常に安易な郷愁であるとしか思えない。

 昭和30年代は、戦後復興と高度経済成長まっただ中で、現代に比べて確かに活気に満ちた時代ではあったと思う。未来への希望に満ちたそういう時代の雰囲気は確かに好ましい。
 だが、今より悪い面もたくさんあった。というよりは、今より悪い面が圧倒的に多かった。そして、人々が今よりも善良で温かい心を持っていたとも自分は全く思わない。

 例えば、この時代を、凶悪犯罪も少なく、牧歌的でいい時代だ、などと思っている人々は、メディアリテラシーが完全に欠如しているし、自ら考える力があるとも思えない。こんなふうに思っている人たちは、簡単にメディアにだまされるだろう。というよりは、既にだまされているのだが...。

 凶悪犯罪の統計を見ればすぐにわかることだが、この時代の凶悪犯罪は、今よりはるかに多かった。殺人も、強盗も、強姦も、放火も、今より圧倒的に多かった。そんなはずはない、嘘だ、と思うなら、警察白書でも何でも自分で調べてもらいたい。嘘でないことはすぐにわかる。(では、どうして、現代の方が凶悪犯罪が多いなどという愚かな認識を持ってしまったのかについては、重要な問題だから、十分反省して、個々自分の頭で考えるように!)
 凶悪犯罪が今より遙かに多い時代が平和でいい時代なのだろうか。

 また、昔の人は精神的なものを大切にしていたが、今は人々はカネやモノにばかり関心があり、拝金主義・物欲主義の時代になってしまった、などと言う人もいるのだが、これも全くの間違いである。豊かになれば、相対的にお金への関心は低くなる。豊かになりたい、金持ちになりたいと思っていたのは、現代ではない。昭和30年代の方が、人々はよっぽどそう思っていたのである。社会が十分に豊かになり、精神的なものに関心を持ち出したのは、むしろ現代である。今の20代を見れば顕著だが、お金に関心などあまりないし、モノへの関心もない。物欲主義は昔の話である。こちらも、ウソだと思うなら、「欲しがらない若者たち」を読むとよい。この本では、きちんとした信頼できる大規模な調査により、現代の若者がいかに拝金主義・物欲主義でないかを、データから明らかにしている。今の20代は、車にも興味はなく、旅行にも興味はなく、お金は使わず、モノにも興味を示さない。若者たちは、慎ましく、淡々と暮らすことで満足する傾向が非常に強い。むしろ、現代の人々が物欲主義ではなく、お金持ちになりたいという欲求もほとんどないことが、問題視されている。そして、「若者がモノに興味を示さず、購買意欲がなく、堅実に貯金ばかりするから、製品が売れず、景気がよくならない」、「お金持ちになりたい、豊かになりたい、という欲求もないから、成功したいという目的意識も、意欲もない」といったことがむしろ最近の批判の傾向となっている。
 そればかりではない。昔の若者に比べて、今の人たちには殺伐としたところやとがったところもなく、優しく、他人を傷つけないことにかなり配慮している。こうしたことは、多くの家庭がそれなりに豊かになって、欲しいものは手に入れられるようになり、また、社会も抑圧的ではなくなって、先生も親も子供を尊重するようになって、子供が強い反抗心を持つ必要もなくなったことなどが背景にあるだろう。
 こんなことも知らないで、紋切り型に、現代人は物欲主義だなどと言っている人たちは、自分たちの浅はかさをよく反省してもらいたい。世の中をもっとよく観察し、少しはまともに考えた方がよい。

 さて、話を戻そう。
 昭和30年代は、実際にはどんな時代だったかである。

 この時代、貧しい人は本当に貧しかったし、映画でも出てきているように、洗濯機のない家庭では、洗濯物を洗濯板で洗ったりもしていた。洗濯板で洗濯をすることの苦痛について、真剣に考えたことはあるだろうか?もちろん、水道からお湯など出てこない。寒い冬も、水を使って洗濯板で洗濯をするのである。それは非常につらいことだ。それに耐えられる人がどれくらいいるだろうか。もちろん、まともなハンドクリームなどもないから、手は荒れ放題になる。
 それに、家の中は、冬は寒く、夏は暑い。エアコンはもちろんない。家だって、今みたいに密閉性の高い構造ではないから、冬はすきま風が入ってくる。こたつの中だけは暖かいかもしれないが、家の中は、トイレも風呂場も凍えるような寒さである。そこで、冷たい水で洗い物などもしなければならない。
 そして、貧乏だから、毎日の食事も非常に貧素である。現在では、おいしいケーキなどを食べたければ、ほぼ誰でもそれくらいのお金の余裕はある。だが、この時代、多くの人たちは、そういうものを買うお金の余裕はなかった。シュークリームを買うことすらままならなかったのである。おいしい食べ物に少しでも興味がある人(ほぼ全ての人がこれに当てはまるだろうが)は、おそらく、当時の一般の人たちがふつうに食べていたものに、とても満足できないだろうし、それらを食べ続けることに耐えられるかどうかもわからない。

 公害も深刻だった。社会や経済が発展しているという希望はもちろん大きかったが、水俣病、四日市ぜんそく、大気汚染...といった公害が大きな問題だったのである。これらは、現代では、より進んだ科学技術の力により解決され、大気も川も当時に比べてかなりきれいになっている。汚染された大気と川に取り囲まれて育ちたいだろうか。福島原発から放出された放射性物質に怯えている人たちがたくさんいるが、当時の大気や川の汚染は、それよりも遙かに人体にとって有害であったのだが...。

 近所・親戚づきあいも濃密だった。一見、それは仲良く助け合っていていいように見えるかもしれないが、当然プライバシーもなかった。近所や親戚の人が、ずけずけとプライベートな部分に入り込んでくる。この映画でも、親戚の子どもを突然あずからねばならなくなったりしているが、そういうことを現代のどれだけの人が躊躇なく受け入れられるだろうか。
 それに、これだけ濃密な人間関係の中で過ごさなければならないとなると、もちろん、うまくいっているときはいいかもしれないが、うまくいかなくなったりすると地獄の苦しみを味わうであろう。また、社会には、もともとかなり嫌な人間も一定の割合で存在するが、そうした人々とも、かなり濃密に一緒にいなければならないことも多かっただろう。
 当時の濃密な人間関係の社会は、何も、当時の人たちが好きでそういう社会を築いていたわけではない。社会が非常に貧しかったりして、そうせざるを得なかったわけである。現代では社会が豊かになり、社会保障も充実してきたことなどもあり、そうしなくても人々が生きていけるようになったから、今のようなプライバシーも守られる生き方ができるようになったのである。昔は選択肢がなかっただけの話である。
 だが、そもそも、現代社会では、どちらの生き方も許される環境にある。もし、現代社会において、昭和30年代のような生き方がしたいのであれば、濃密な人間関係の中で生きることはその人次第でいくらでもできる。だから、もしそんなに濃密な人間関係の環境で生きたいというのなら、時代のせいにしないで、自分たちでそれを実現すればいい。濃密な人間関係がそんなに心地よいのなら、自分の身の回りの人たちと、そういう関係を築けばよい。周りにそういう人がいないと文句を言うのなら、インターネットで、昭和30年代のような人間関係を作りたい人たちを募って、共同体を作ればよい。現代は何でもできるいい時代なのだ。それもしないで、昔はよかった、というようななことを口先で言っているのは、全く無責任でばかげているとしか言いようがない。行動力がなさすぎである。

 さて、昭和30年代の話に再度戻ろう。
 昭和30年代には、もちろん、インターネットも携帯もメールもないし、DVDを見ることもできなければ、テレビさえない家庭が多かった。これらを全く使わない覚悟があるなら、昭和30年代がいい時代だと思う権利がある。インターネットで情報を検索したり、きれいな音質のCDを聴いたり、大画面で映画を見たり、といったことを一切しないというなら、そう思う権利がある。だが、これらを毎日使っていながら、昭和30年代はよかったなどといったことを言うのは、大いに矛盾がある。こういう矛盾したことを平気で言うのは、恥ずべき行為である。
 情報も、文化的な活動も今よりはるかに少ない生活に耐えられる人が実際どのくらいいるのか。

 そして、もちろん、人々は貧乏だから、お金のかかる海外旅行など行けるはずもなく、国内旅行さえほとんど行くこともできない。自分の県から外に出る機会もあまりなかっただろう。もちろん、広い視野ももてないし、いろんな体験もできない。海外の食べ物も食べられない。

 こういうことを全部ひっくるめて受け入れられるなら、昭和30年代はいい時代だったと、大いに思えばいい。


 もし、今、日本人全員の前に、現代に住むか、昭和30年代に生きるかの選択肢が突然与えられたとする。どちらに住むかを決めたら、それ以降、時代を行き来することはできずに、その時代に一生住み続けなければならないとする。
 ここで述べてきたようなことをちゃんと考えたとき、これらを全部受け入れられ、昭和30年代を選択する人は、どんなに多く見積もっても、1000人に一人もいないだろう。いや、1万人に一人いるかどうかもわからない。
 だが、もし、本当にその覚悟があるなら、昭和30年代はいい時代だったと今後も言い続ける権利があるだろう。

 いずれにしても、この映画を見て、昭和30年代はよかったなどと、安易な郷愁にひたるのはやめてほしいと思う。


 現代を否定するのではなく、もっと、現代を素直に評価しよう。
 現代は、歴史上かつてなかった、最もいい時代なのである。
 自分は、その現代に生きていられることを、心から感謝したいと思う。
 そして、過去の社会の悪い面を無視したり、美化された過去を賛美するのではなく、この現代社会をさらにいい社会にしていけるよう考えることに時間を使いたいと思う。


(完)

光太
公開 2012年2月5日

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