「かぐや姫の物語」 高畑勲 (監督) 2013年
評価: 85点
この映画は、ジブリ映画の中では、相当よくできていると思う。
同時公開された、「風立ちぬ」よりはるかにいい。
何しろ、ストーリーがおかしくないのである。
宮崎監督の映画は、ストーリーが矛盾に満ちており、不条理なことが多い。「ハウルの動く城」といい、「崖の上のポニョ」といい...。
高畑勲監督の作品は、その点、安心して見ることができる。
それだけでも、評価に値する。
(ここで、宮崎映画が深いとか難解だと思っている人たちは、大いに勘違いしているので、「ハウルの動く城」の批評もぜひ読んでほしい。)
○ よかった点
では、この映画のよかった点を挙げよう。
個人的には、この映画で描かれている、特に、主人公が山に住んでいた頃の、自然の描き方は、本当にすばらしいと思った。
日本のいいところが凝縮されて表現されている(自分は、別に、日本が他の国よりすばらしいと言っているのではない。どこの国にも、それぞれすばらしい点はたくさんあるのは当たり前のことである。)。
竹林や、うり坊たちと主人公が遊ぶところや、きじを捕るところ、山の上から、家々を見渡すシーンなど、本当によかった。最後の方の桜のシーンも、非常にいい。
また、主人公が赤ちゃんだったときの、赤ちゃんの動きのおもしろさなども、本当によく表現されている。
カエルをまねしているところなどもよかった。
そして、自分個人は、それほど興味はないものの、この作品の独特の絵の描かれ方がすばらしいと思う人もたくさんいるだろう。
○ 竹取り物語のすばらしさ
そもそも、竹取り物語(かぐや姫)という物語は、相当よくできていると思う。
日本の古典文学の中で、ものすごく質の高いものだと自分は思っている。
かぐや姫の物語で、一番重要なところは、最後には、月に帰らなければならないところである。
この悲しさは、胸に迫るものがある。
竹取りのおじいさんやおばあさんたちと一緒にいたいのに、そして、四季がめぐる地球の自然の中で、ずっと生活したいのに、かぐや姫は、月に帰らなければならない。
そうした別れは、月ほど遠くなくても、多くの人が経験しなければならないことであり、それが故に、多くの人が感情移入するところである。
そればかりではない。
この物語は、単なる、離別の悲しさを描いているだけではないのだ。
なんと、かぐや姫は、地球での記憶も失うことになるのである。
こんなに悲しいことがあろうか。
ここで、我々は、記憶というものがどんなに決定的に重要であるかということにも気がつくのである。
通常、生活していて、我々はそんなことはあまり気にもとめないが、記憶自体が消去されてしまうというのは、本当にやりきれない。
誰かと引き離されてしまったとしても、普通は、別れてしまった人たちのことをいつまでも想うことはできる。月並みな言い方をすれば、「心の中で生きている」ということになる。その場合、確率は低くても、いつかまた再会できる可能性もあるかもしれない。しかし、記憶自体がなくなってしまっては、もはやどうしようもない。
本当につらすぎる。
実は、このことは、物語だけで起こることではなく、我々の身の回りにもたくさんある。
たとえば、痴呆症の老人。これは、記憶を失ってしまう代表的な例である。いやいや、表面的な記憶は失っても、心の奥底には...、などと思いたい気持ちもわかるが、我々は、このことの悲しさと残酷さを正面から捉えた方がいいと思う。
されに、人が亡くなれば、当然、彼らの記憶も失われる。少なからぬ人々は、それがあまりにもつらいことなので、死後の世界や魂などの存在を信じようとするが、残念ながら、それはむなしい希望であろう。本当につらいことだが、実際には、人が亡くなれば、彼らの記憶も確実に消滅する。
つまり、かぐや姫が、記憶を失うというのは、死にも値することであると言えるのである。
○ 結婚の残酷さ
さらに、この物語での捨丸とかぐや姫の関係というのも、大きなテーマであると思う。
端的に言えば、かぐや姫は捨丸のことが好きであり、捨丸もかぐや姫のことが好きである。
でも、捨丸は、物語の最後では既に結婚してしまっている。ここで、捨丸の奥さんは、魅力的ではない容姿をしており、捨丸は、かぐや姫と一緒にどこかへ行きたいと思うが、結局、そうはならない。
少なからぬ人が、実際に同じような経験を持っているかもしれない。
結婚というシステムは、残酷でもある。両想いの二人がいたとして、この物語のように、結婚の後に再会したとしても、そして、結婚の後で、両想いになった二人がいたとしても、もはや、どうにもならないのである。この物語のように、子どももいたりすればなおさらである。
このテーマは非常に深い。
○ 最後に
この映画の興行収入は、25億円であり、「風立ちぬ」の120億円や支離滅裂の「ハウルの動く城」の196億円に比べて、かなり少ない。
自分としては、この作品の方が、はるかに質が高く、観た人を感動させると思うのだが、映画館に来た人の数としては、この作品はかなり少なかったようである。
この原因は、おそらくは、宮崎駿という名前と、あとは、事前の宣伝の規模などによるものではないか。
自分は、多くの人が両方を観れば、必ず、この「かぐや姫の物語」の方に高評価を与えると思う。
誠にもったいないことである。
今後、多くの人たちが、この映画を目にし、すばらしさに気づくことを願ってやまない。
(完)
光太
公開 2015年5月7日