永遠の0


「永遠の0」    山崎貴 (監督)  岡田准一(主演)  2013年

評価: 64点


 あの、右翼的お騒がせ人物、百田尚樹の作品である。

 日本軍を創設することを主張し、南京大虐殺はなかったと主張し、NHKの経営委員に選ばれていた時ですら、偏った発言を繰り返し、2015年6月の自民党の保守派若手議員の会合では、「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」などと語った、バリバリの右翼人間である。

 この人が書いた小説を元にした映画と言うことで、自分は、最初から、この映画はろくなものではないだろうと思っていた。

 で、やっぱり、ろくなものではなかった。

 だが、危惧していたほど、国家主義的・軍隊賛美ものでもなかった、というのも確かである。


○ 懸念

 まず、自分は、百田尚樹は、かなり偏った右翼人間だと認識している。右翼的思想を強く持った、頭の悪い安倍晋三らと親しく、はじめに書いたとおり、中立が求められるNHK経営委員になったときにも右翼的発言を繰り返していた。だから、この映画も、相当な戦争賛美、特攻隊は命を捧げてすばらしい、国家が大事で個人は我慢をして当然、...などという映画ではないかと危惧していた。
 したがって、観るのはあまり気が進まなかった。3時間もの長い映画だし、時間ももったいない上に、3時間も憎々しい思いをするのもイヤだったのだ。だが、原作本も売れていたし、敵を知ることも必要だと考え、観ることにした。もちろん、こんなものにお金を払いたくはなかったから、テレビで放映されたときに観たのである。


○ 意外

 しかし、見終わっての感想は、この映画を観た人は、戦争や特攻に対して、賛美の意識を持つよりも、むしろ、それらに対する憎しみの方を感じるのではないか、というものであった。

 自分としては、かなり意外であった。

 主人公は、かなり尊敬すべき人物だ。軍国青年ではない。軍国青年ではないが、日本が勝つためという必要性から、国の方針に従うことが重要だと説くわけでもない。
 むしろ、家族を守るためには、自分は死んではならないと強く思っていて、戦闘を避け、新兵たちにも死んではならないと強く迫る。普通の感覚で言えば、これを見たときに感じるのは、あの戦争は理不尽に国民に死を迫るものであったのであり、戦争はイヤだという感覚であろう。
 主人公が上官から理不尽に殴られる場面も出てくる。普通は、こういうシーンを見たら、軍隊に対して嫌悪感を持つであろう。

 よく知られているように、宮崎駿は反戦意識を強く持っており、逆に、百田尚樹は、戦争を厭わない安倍晋三を強く支持し、極右に近い田母神俊雄を支持し、本人もかなり右翼的な人物なので、戦争を憎んでいるとはとてもじゃないが思われない。
 そして、宮崎駿は、同時期に、やはり特攻に使われたゼロ戦を題材に「風立ちぬ」という映画を作っていたが、「永遠の0」を意識して、「嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語を作ろうとしているんです。神話のね捏造をまだ続けようとしている。「零戦で誇りを持とう」とかね。それが僕は頭にきてたんです。」と述べている。宮崎駿としては、「永遠の0」が零戦を賛美しようとするものと思ったのであろう。

 しかし、自分には、「風立ちぬ」からは、ほとんど反戦の意識は感じられなかった。(批評「風立ちぬ」もぜひ読んでほしい。)むしろ、戦闘機を作ることが、非常に価値のある、創造的行為であり、その主人公も、ゼロ戦が特攻に使われたことにほとんど反省も後悔もないように見えた。「風立ちぬ」を見て、反戦の意識を強くした人は、ほとんどいないのではないか。むしろ、牧歌的でやりがいもあっていい時代のように思った人すらいるかもしれない。
 それに対して、「永遠の0」を見て、戦争はやっぱりイヤだと思った人はそこそこいるのではないかと思う。この映画を見て、特攻の精神はすばらしかった、こういう事態になったら、自分も是非特攻に志願したい、国家の危機の時には、個人は自分を滅して国家に尽くすのが当然、などと思った人は、ほとんどいないだろう。
 当然のことながら、自分は、宮崎駿の反戦の立場は、百田尚樹の立場よりはるかに好ましいと思う。しかし、この2つの映画を比べたら、戦争はイヤだという意識を観る者に与えるという観点からは、永遠の0のほうがかなりましだと思えたのである。


○ 不足

 だが、やはり、この映画で、あの戦争の残忍さ、残酷さ、悲惨さが十分に表現されているかといえば、全くそうではない。

 空軍や飛行機ばかりを描いていれば、かっこよく見えたり、悲惨な部分はほとんど見えなかったりする。

 実際には、ほとんどの兵士は、陸軍の兵士として戦地に赴き、非常に悲惨な戦闘を強いられた。多くの兵士が、暑く、ヒルのいるジャングルで、マラリアにかかり、敵の兵士の攻撃に怯え、飢餓に苦しんだ。多くの者が亡くなり、幸運にも生き延びた者の中でも、手や足がなくなった者も多い。国内でも、多くの人が飢え、栄養失調で死亡し、爆撃されて死亡し、戦争反対を言おうものなら、特高警察に捕まって拷問された。そういう部分を、挿入的にでもいいから描かないと、あの戦争が、きれいなものだと誤解されかねない。

 さらに、もっとひどい経験をしたのは、日本が侵略した外国の人たちである。彼らが平和に暮らしていたところに日本兵がきて略奪し、殺し、レイプし、残酷に虐殺した。日本人は、自分たちの被害には敏感だが、加害には無神経で目をつぶる傾向がある。(あまり知らない人は、「日本の戦争責任」を読んでほしい。)

 こういうことが描かれていないのは、戦争を憎む態度とは言えないだろう。何十分もそういうシーンを入れろと言っているのではない。3分でいいから、そうしたシーンを入れることで、悲惨な戦争を理解するのに大きく役立つのである。

 そういったことを少しも描いていないのだから、自分は、この映画を基本的には評価できない。

 さらに、自分は読んでいないから知らないが、この映画の原作本は、映画にはないシーンがいろいろ描かれているようである。そこには、百田尚樹の右翼的側面も大いに表れているらしい。

 そうしたことから、自分は、この作品は、本当に戦争を憎むものだとあまり思えないのである。


○ 結論

 というわけで、結論としては、この映画は、危惧していたほど悪くなかったし、「風立ちぬ」よりはかなりましであると思ったが、それほど見る価値があるかというとそうでもなかったということである。
 この映画を観て、特攻隊や当時の少年たちの生き方などをダイレクトにかっこいいと受け取る者はあまりいないとは思われるが、こうした映画を作る際は、くれぐれもそう受け取られることのないよう、戦争の残酷で悲惨な側面は、短いシーンでいいから入れてほしいと思う。
 そうでないと、作者の戦争に対する態度も疑念を持たれることになるだろう。

(完)

光太
公開 2015年9月6日

気に入ったら、クリック!  web拍手 by FC2
光太の映画批評・ドラマ評・書評・社会評論