子供を心配するな! (2)



これは(2)です。子供を心配するな! (1)から読むのをおすすめします。



例2: 帰宅時間と門限

 子供が、いつもの時間を過ぎても帰ってこない。母親はだんだん不安になってくる。子供がさらわれたのではないか、事故にあったのではないか、と心配して怖くなってくる。遠くに救急車が通る音が聞こえる。自分の子供に何かあったのではないか、という気分がどんどん大きくなってくる...。

 最近、自分がレストランで食事をしていたら隣の席の女の人たちが、その親の話をしていた。その人が小学生だった頃、学校から家に帰るときに、友達と別れ際に立ち話をして、少し遅くなった。そのとき、親は、不安感情に襲われ、子供はどうなったのかと極度の不安に陥り、学校にまで電話したそうだ。そして、いつもより1時間くらい遅れて子供が帰ってきたときには、それに対して、激怒したそうだ。

 だが、これでは、子供は親に対してびくびくしてしまい、下校するときに、友達と遊びながら、途中でいろんなものを見つけたりしながら、のびのび育つことはできない。学校帰りに花を摘んだり、近所の犬と遊んだり、川をのぞいたり、公園で鬼ごっこをしたり、友達の恋の相談を受けたりするのは、子供にとって大切な経験である。そういう機会を最大限確保してあげることこそ、あるべき親の役割である。それなのに、親の勝手な不安妄想で、子供を実質的に幽閉してしまうなど、もってのほかである。

 そして、子供に門限を設ける場合も多い。高校生なのに門限を19時とか20時とか、不自然に早く設定する親もいる。
 高校生にもなれば、友達とご飯を食べたりして遅くなることもある。他の友達は、門限がそんなに早くないから、友達同士で楽しくご飯を食べて帰る。だが、親の心配の支配下にある子供は、友達とのそういう楽しい時間を持てないのである。子供からそういう貴重な時間を奪って、何がうれしいのか。
 連絡をすれば、許される例もあるが、連絡だってできるときとできないときがある。友達との話が盛り上がっていて忘れてしまうこともある。連絡がなくても、高校生にもなれば、12時くらいまでは怒る必要はないだろう。

 子供の帰りが遅いとき、実際に、子供がさらわれていたり、事故に遭っていたりする確率は0ではない。だが、もし、さらわれていたら、早めに気づこうが遅く気づこうが、実際には大きな差がないことが圧倒的に多い。また、事故に遭っていた場合も、早めに気づこうが遅く気づこうが、こちらも実際には大した差はないことが圧倒的である。それに気づくのが致命的な影響を与える可能性も0ではないが、非常に低い。
 そんなことよりも、子供の日常を縛って、子供がのびのびと自我を成長させ、友達との楽しい時間を持つ大切な時間を奪うことの方が、全体として考えれば、はるかに悪影響が大きく、罪深い。この悪影響は多かれ少なかれ、ほとんどの場合に起きているからである。役に立つ確率が宝くじの一等を当てるより低いことのために、子供の毎日毎日を20年間以上不幸にするなど、価値判断が大いに間違っていると自分は思う。的外れな不安を増長させるのではなく、本当の悪影響をよく考えてほしい。

 こういう親は子供を守りたいと思っているのかもしれないが、実際にやっていることは、子供の監禁・虐待に近い。


例3: 受験

 自分は、大学時代、家庭教師をしていたことがある。そのとき、母親と子供との親子関係が非常に悪い家庭がいくつかあった。そうした家庭では、母親が受験に極端に熱心になり、それについていけない子供との間で激しい葛藤が起こっていたのである。子供の中には、勉強がかなり嫌いな場合もあったが、そういう場合には、そもそもいくら親が小言を言っても無駄である。無駄なのに、わざわざ小言を言って、子供にいやな思いをさせることはない。また、中には子供もそれなりにはがんばっている場合もあった。なのに、親は心配で心配でたまらず、追い打ちをかけるようにいろいろ言うのである。こんな親の小言は確実に逆効果である。子供自身で子供なりに考えているのに、もっとやれと言われたらイヤになるだけである。
 親は、こういうとき、受験が非常に重要なものであり、受験に失敗したりすれば、子供の人生が台無しになると思い詰めてしまう場合がある。だが、それは親の未熟な妄想である。だいたいが、子供が受験で失敗して浪人しても、偏差値が少し下の大学に行っても、それほど大したことにはならない。
 でも、もし、子供に少しでも受験のための勉強時間を増やしてほしいと思ったら、どうすればいいのか?小言を言ってはならないとしたら、どうやってそれを実現すればいいのか?
 簡単である。
 親のすべきことは、高校別、大学別の就職率、年収、結婚の率などのデータを集めてきて、子供に見せればいいのである。「勉強しなさい。」「いい大学に入れないと、いい会社に就職できないのよ!」などという、親の抽象的な小言は何の意味もない。情報価値もないうえに、子供をいらいらさせるだけである。与えるべきは子供が参考にできる正確な情報、データである。これを子供に手渡せばよい。だが、ここで、いつもの小言を言っては、子供はいやになって、データをまともに見ないであろう。せっかく苦労して集めたデータが台無しになってしまう。ここは、手渡しながら、冷静に、そのデータのポイントを簡単に解説をすればいいのである。そして、あとは子供にそのデータを渡す。そうすれば、子供は自らそのデータをよく見るであろう。そして、そのデータを見て現実を知れば、今勉強をすべきだということは、子供のほうで勝手に自覚する。もし、これを見せても、子供が特に勉強しようと思わないならそれはもう仕方ない。その場合は、その子供は、将来年収が低くて貧乏な生活をし、結婚もできなくなるといったような覚悟をしているということだ。勉強するのは大嫌いで、勉強するくらいなら、そういう将来の方がまだましだと思っているということである。この場合は、親が何を言っても無駄である。無駄なのに、小言を言って、親子関係を悪化させ、子供にストレスを与える必要はない。
 また、こういうデータを収集する努力もせずに、小言ばかり言っている親は、とてもまともな人間とも思えない。それこそ小言を言うのが趣味なだけである。こんな親の人格を疑う。今は、インターネットでも何でもあるのだから、そうしたデータはすぐに集めることができる。それもしないのは、怠慢である。それくらいの努力もしない親には、小言などそもそも言う資格もないし、子供に努力をせよという資格ももちろんない。そんな親の遺伝子を持つ子供が、努力をするわけはない。


例4: 結婚

 結婚しなさい、もこれに類することである。親が、20代後半を過ぎた娘に向かって、結婚しなさい、と小言を言う。親は、娘が結婚できないことを心配するわけである。

 この親の心配は、実は非常に正しい。これについては、別の項で詳しく書く予定であるが、結婚しないと、女の人は、40代、50代、そして老後に、非常に不幸なことになる可能性が高い。だから、20代後半に達しているなら、すぐに結婚へ向けた活動をはじめなければならない。

 だが、ここで親が心配になって、小言を言うのは、やはり大きな間違いである。「早く結婚しなきゃしょうがないでしょ!」「いつになったら結婚するの!」「お母さんは、あなたの将来が心配で心配で...。」
 またまた、娘にストレスを与え、娘を不愉快にさせるだけの話である。こんなことを言われて婚活をするくらいなら、最初からしている。
 では、娘が不幸になろうとしているのに、どうせよというのか!と思うかもしれない。

 そんなことを言う前に、ちょっとは自分で考えてほしいと思うのだが、教えてあげよう。

 娘に、現実をわからせるデータを、淡々と見せてあげればいいのである。例えば、生涯独身の女性の年収データである。結婚しないとすると、どれだけ貧困な生活を送らなければならないかを、データで見せてあげるのである。さらに、生涯独身の女性が、どれだけ孤独を感じて生きているのかの体験談をたくさん集めて、読ませてあげるのもいい。周囲の友達は結婚して子供もいるのに、自分だけ子供も家族もおらず、男の人から声をかけられることなどもちろんなくなってしまう。それが、どれだけ孤独なことか...。そして、結婚においては、女の人の場合、年齢が圧倒的に重要なファクターであるという現実を教えてあげることである。30歳を越えてしまったら、結婚は著しく困難になるのである。(最近は、女性の結婚について、年齢が大事だといったようなことを言うと、差別だとか、外見だけで人を判断するのか、とかいったことを言う風潮もある。何歳になっても、人間は中身だ...、などという人もいるが、それは現実を無視した、極めて無責任な意見である。実際にそうであればよいが、そんなことはなく、現実には年齢が圧倒的に重要である以上、そうした情報をきちんと与えないと、取り返しのつかないことになるのが実情であり、そうした情報はきちんと与えておく必要があるだろう。)
 こうしたデータを淡々と見せればいい。小言は必要ない。こうしたデータを見て、恐ろしくなれば、娘は自発的に婚活を始めるはずである。娘がこれを見ても、それは覚悟済みだというなら、もはや何を言っても変わらないので、素直にあきらめればよい。極端な低収入に苦しみ、誰にも声をかけられなくなり、孤独死が待っている人生を既に覚悟しているのなら、もう仕方ない。何も変わらないことがわかっているのに、小言を言って親子関係を悪くする必要なはい。


例5: 旅行

 別の例をあげよう。
 昔、友達とオーストラリアに旅行に行く約束をしていた。ところが、その1ヶ月前くらいに、アメリカで911のテロが起こった。その友達の家族は、危険があるから、オーストラリアに行かないでほしい、と言った。そして、その友達はオーストラリアへの旅行をキャンセルした...。

 もちろん、その当時、アメリカに行くというなら、多少の心配をしてもいい。だが、客観的に考えて、オーストラリアは関係ない。むしろ、テロが起きて、空港などの警戒レベルは最大限に引き上げられているのだから、いつもより安全なくらいである。それを、実際の危険性を吟味することもなく身勝手に不合理な心配をして、子供から旅行でいろいろな体験をする機会を奪おうとするなど、とんでもない。いつでも行けるならいいかもしれないが、海外旅行なのだから、いろいろな日程を苦労して調整して、やっとのことで計画を立てたのだ。なのに、こんな、何の意味もない身勝手なわがままで、子供がいろんな貴重な経験をするのを妨げるなど、とんでもないことである。

子供を心配するな! (3)に続く!



光太
公開 2013年7月23日

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