子供を心配するな! (3)



これは(3)です。子供を心配するな! (1)から読むのをおすすめします。



○ 心配の正体

 さて、ここで、ではなぜ、親たちは、心配という著しい迷惑行為、そして身勝手で恥ずべき行動をするのか考えてみよう。

 それは、一つには、親が子供を所有物とみなしていることの現れである。子供が、親の支配欲の犠牲になっているのである。親が子供を産んで育てているのは確かだが、だからといって、子供を何でも思い通りにしようというのは間違っている。自分で育てた野菜なら、どう食べようと育てた人の勝手である。生で食べようが、天ぷらにしようが、鳥に食べさせようが、ほっておいて腐らせようが、好きなようにすればよい。だが、子供は人間なのだから、子供にとって一番いいことを考えてあげなくてはいけない。子供を思い通りのペットにしようというのは親の思い上がりである。心配したり小言を言うのは、子供のためであるというのだが、それは大ウソである。子供のため、という建前で子供をダシにしてストレス解消をするのだからたちが悪い。子離れできず、子供を支配下においていなければ気が済まない困った親たちは、子供の人格形成をゆがめているのだから、非常に罪深い。

 また、親が子供を「心配」するもう一つの理由は、親の未熟さからくる不合理な不安感情である。これは本当に恥ずかしい。自分自身に、まともな分析能力がなく、価値判断が大いに未熟であり、感情的で精神が不安定なことを公言しているだけである。理性ある安定した人物はそんなことはしない。だが、残念ながら、これは本能に基づくものであるため、心配する人間を、心配しないような人格に修正することは極めて難しいのも事実ではある...。


○ これを読んでいる、親たちへ

 もし、これを読んで、自分はこれに当てはまるのではないか、と感じた母親たちは、よくよく反省して、心配という名の抑圧をすぐにやめてほしい。子供のいろいろな経験の可能性を奪い、子供から積極性や新しいことをしようという意欲を奪い、子供の成長を害することはすぐにやめてほしい。
 いつか、子供が成長すれば、他の子供たちはそんな「心配」の圧迫を受けずに、自由に伸び伸びと育ち、やりたいことをやってきたという事実を知るだろう。そして、母親の身勝手な「心配」によって、過去にどれだけ自分が可能性を奪われてきたかを深く認識したとき、母親を強く追求するかもしれない。
 だが、そのときには、もう、取り返しはつかないのである。

 しかし、ここに一つ、大きな問題がある。この問題の解決が難しいことの一つの理由は、母親たちが、自分たちの行為を自覚していないことなのである。あろうことか、「心配」が本当に子供のためになると信じているのである。そして、自分たちの行為が、子供に害を及ぼしているなどとは、少しも思っていないことなのである。そういう親たちは、この文章を読んだとしても、残念ながら、書いてある内容をなかなか理解できないかもしれない。

 でも、これを読んだ母親たちの中で、自分に少しでもそういうところがあるかもしれないと思った母親たちは、自分のしていることをじっくりと振り返ってほしい。
 そして、感情的ないらいらを日常的に子供にぶつけるのではなく、子供たちが自分自信の将来をきちんと考えられるような情報を子供たちに提供してあげられるような、冷静で思慮深い親になってほしい。


○ これを読んでいる、子供たちへ

 親が、子供を極度に心配し、いつも小言ばかり言っている。そして、子供の行動をいろいろ制限する。子供の方からすると、それは、とても心配するようなことだとは思えない。だが、ちょっと反論すると、「あなたのためを思って言っているのよ!」「お母さんがこんなに心配しているのになぜわからないの!」と言い返される。
 子供は、何か変だ、と思いながらも、そして、多少の反発はしながらも、親の言うことに従う。特に優しい子供ほど、そうした親に抵抗せずに、それに従ってしまう。変だと思っても、親は偉いと思っていたり、長年生きている親に対して、十分な理屈を言えなかったりして、そのままになってしまう。
 こうした子供たちの中には、そういう親に悩んでいる子供もたくさんいると思う。

 このように、小言ばかり言う、困った母親を持つ子供たちがこれを読んでいたら、自信を持って、親に立ち向かってほしい。もう、親の身勝手な「心配」の犠牲になる必要はない。親の未熟な「心配」のために、いろいろな可能性を奪われるのはもうやめよう。

 はっきりと断言できるのだ。そうした小言を言うのは、親が不完全だからである。しっかりした冷静な親の忠告は、もちろん真剣に聞くべきだが、小言ばかり言う親の言うことは、ほとんど意味がない。本当に子供のことを考えて、必要な忠告をする親は、毎日のように小言ばかり言ったりしない。それは100%断言できる。そういうきちんとした親は、小言ばかり言うのは意味がなく有害であることをよくわかっているし、重大な忠告は、ちゃんと子供の考えを聞きながら、じっくり行うはずである。ヒステリックに毎日小言を言う親の言うことを聞く必要はない。こうした小言は、あなたのためではない。迷惑きわまりない、親のストレス解消である。子供がそれにつきあう必要はないのだ。

 こうした親たちに悩まされている子供たちが、この文章を読んでいたら、これを参考にして、親に論理的に反論してほしい。もしくは、この文章をプリントアウトして、親に見せて、親のやっていることがいかに罪深いことかを親に認識させ、親を説得してほしい。

 こういう親に、心配という名の幽閉をされてしまうと、そういう子供たちの、人生におけるいろいろな機会は、悲劇的に奪われてしまうだろう。そして、ストレスいっぱいで窮屈な子供時代を送ることになるだろう。

 そんな呪縛の人生は今すぐ終わりにしたほうがよい。
 そんな小言におどおどしながら我慢する必要はもうない。

 「小言を言う親は未熟で、それは教育ではなく親のストレス発散だ。」

 「ただただ感情的にそういう心配をするのはおかしい。心配しない親の子供の方がのびのびと育っている。」

 「子離れしてもらわないと困る。他に好きなことを見つけてほしい。」

 「私のことはもう心配しなくていい。もう小言も聞かない。後で、あの時あれがしたかったのに、と後悔したくないから。」

と親に言おう。

 そして、今日から、親の心配や小言を気にすることなく、どんどんいろいろな経験をしてほしい。
 そして、エキサイティングで楽しい、悔いのない人生を送ってほしい。


○ 最後に

 これを読んで、子供を無意味に心配し、子供に小言ばかり言う困った親が一人でも減ることを期待する。
 そして、一人でも多くの子供が、そうした親の心配から解き放たれ、毎日生き生きと楽しく生活し、いろいろな経験をするチャンスが増えることを心から願っている。

(完)

光太
公開 2013年7月23日

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