リーガルハイ (第2シリーズ) (1)


「リーガルハイ (第2シリーズ)」   (フジテレビ) 2013年

評価: 68点


 黛弁護士が、第2シリーズでは、どうも、おかしい。

 リーガルハイの第1シリーズでは、理想を持ち、古美門弁護士の方針を嫌っているようだったが、どうも、第2シリーズでは、古美門を尊敬しているように見える。
 まあ、それによって、黛弁護士が古美門事務所にいることの不自然さはなくなるが、古美門を尊敬するのはいかがなものかと思う。

 また、新しい登場人物、羽生弁護士のキャラはなかなかいい。
 前のシリーズの、古美門の宿敵である三木弁護士よりはるかにいいと思う。

 しかし、自分には、このドラマは、第1シリーズに比べて、どうも、しっくりしないものになっていっている気がする...。


○ 第2話

 第2話では、ホリエモンのような、青年実業家が出てくる。事業で大成功をおさめるものの、その後、凋落して逮捕され、服役した後出所し、メディアを次々に訴える。
 ラストでは、この青年実業家が、実はこの一連の裁判を、自分のことを書いた漫画家への贖罪でわざと起こしたということが明らかになる。
 そして、この青年実業家は実はいい人だった、みたいな終わり方になっている。
 しかし、ここに微妙に違和感を感じた。そんなことまでするいい人が、町工場の経営者をだまして捨てるようなことをそもそもするだろうか?服役中に反省したというのも違うだろう。裁判では、田舎でひっそりと暮らしているこの経営者が詐欺で捕まったことなども大々的に証言して、全国に知らしめ、その経営者の傷口を広げた。
 ドラマでは、途中までは確実にひどい人物であった。最後に、実はいい人だったというどんでん返しをしたいというのはわかるが、これでは、ストーリーの整合性がとれていないと思う。
 テレビなどで見ているかぎり、実際のホリエモンは全然悪い人ではないと思うが、このドラマのストーリーは不自然ではないか?


○ 第3話

 第3話は、なかなか深遠な問題を取り上げていた。美人の妻が整形しているのを知らずに結婚した夫が、妻の過去の不細工な顔を知り、離婚訴訟をするのである。
 普通のドラマなら、顔は関係ない、中身だ、ということに途中で気づいてエンディング、というのが一般的であろう。
 だが、例によって、このドラマはそうはならない。

 裁判中、古美門は、重要なことを言う。
 顔は、人が他の人を判断するときの一つの条件であり、それを重視する人がいて何が悪いのか、という論理である。その相手が好きだから、将来介護をしてもらうため、性交渉の相手を確保するため、など、いろいろな理由で人間は結婚する。だから、顔がいい子供を授かりたいという理由できれいな人と結婚したいと思うことのどこが悪いのか。そして、古美門は自宅での食事中の会話でも、次のようなことを言っている。人は、高学歴、頭がいい、無口、など様々な好みを持っている。顔がいい人が好きだと思うのを一方的に非難するのはおかしい...。
 これは少なくとも正論だと思う。
 そして、裁判中、社会では、企業での人の採用や、広告などに魅力的な顔の人だけを載せていることなどを挙げ、口では顔にこだわるのはよくないと言っておきながら、実際には顔は重要なファクターとして使われていることも指摘している。

 また、重要なことは他にもある。
 一般的なドラマでは、結局は、夫婦は一緒にいることが幸せだ、また一緒にやっていくのが理想的な結末だということになっている。(特に、アメリカの映画では、こうした単純すぎるストーリーが多い。)  しかし、実際上、そうでない場合も非常に多い。間違った組み合わせで結婚してしまう場合も多い。その場合は、一生、お互いが苦痛の日々に耐えていかなくてはならない。また、夫が、家庭内暴力やアルコール中毒、働かない、など、深刻な問題を抱えている場合もある。そうした場合、それが解決することを願いながら一緒に生活し続けるのは、多くの場合、誤った選択である。それは、そうしたことは、なかなか直らないからであり、離婚を選ばなければ、妻は一生苦しむことになるだろう。
 このドラマは、そういうことにはならないのである。夫は、裁判の最後まで、妻が妊娠してもうれしくなかったということを貫き通す。それならば、妻とは離婚した方がいいだろう。

 さらに、この回のもう一つ重要な点は、妻が、新しい恋人ができて言う一言である。不細工な顔をしている人の方が、きれいな心を持っていると思っていたけど、そうではない、不細工な顔をしていて不細工な心の人もいるし、きれいな顔をしていてきれいな心を持っている人もいる、ということに気づいた...。一般的なドラマでは、顔と内面は逆相関であるという感じで釣り合いをとっている。それは、一つには、顔がよくなくて内面も悪いというのはあまりにも気の毒であり、顔がよくない人は内面はいいとするのは、一つの人道的考え方に基づいているとも感じる。しかし、現実は、多少、そういう傾向はないとは言えないかもしれないが、この妻が気づいたように、両方ともいい人も、両方とも悪い人もいるのである。それを堂々と指摘したのは、ドラマとして非常に好感が持てる。

 さて、とはいいながら、この夫は、最後の方で、結婚生活をしていたときの妻の心遣いや思いやりを実感することになる(それでハッピーエンドにならないのがこのドラマだが...。)。それにより、内面を見ることの大切さもさりげなく描いてもいる。
 この両面を描くやり方は、このドラマの特徴、かつ優れた点と言える。

 この回は、なかなかよくできていた。


○ 第5話

 第5話は、仲良く経営してきた会社に対して、ある社員が、自分が考案したキャラクターに対する報酬を得る権利があると主張し、莫大な金額を要求する内容であった。
 ドラマでは、この会社の経営者たちが非常にいい人たちであり、この会社が非常にいい会社に描かれている。そのため、一見、仲良く経営してきた会社に対して、強硬に多額の費用を個人が請求するのは、ひどいことであると印象づけている。確かに、古美門たちが請求した金額は、法外なものであると言っていい。
 が、一方、現実の社会では、会社で個人が発明したものの特許が会社のものになってしまうことがある、という問題もある。こちらだけ考えれば、会社に対して多大な貢献をすることになったアイデアや発明に対して、正当な対価を支払われないのはおかしいと感じる人が多いだろう。

 普通のドラマなら、後者の視点を重視して、個人の権利を勝ち取るという設定にするだろうが、このドラマは、会社側をよく描くことで、物事には両面性があることを描いている。
 個人的には、請求額をもっと低くしてそれをもらえれば、このケースは簡単に解決できたとは思うが、ここで取り上げられているエピソードも、おもしろいテーマだと言っていいだろう。


「リーガルハイ (第2シリーズ) (2)」に続く!



光太
公開 2014年9月15日

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