遺留捜査


「遺留捜査」   (テレビ朝日) 2011年

評価: 55点


 このドラマは、まあおもしろかった。

 ドラマの本筋とはあまり関係ないかもしれないが、まず、一番よかったと思ったエピソードを挙げよう。

 それは、第5話である。店の経営に行き詰った経営者・土屋が、昔の友人である会社社長・中沢にお金を貸してもらうため、中沢に会いに行った。だが、土屋は、中沢と会っている間、結局お金を貸してもらうことについて言い出すことはなく、子供の頃に中沢たちと一緒に遊んだ思い出話をして帰っていき、昔の友達に会えて本当に楽しかったと家族に言い残して、自分は自殺を選んだという話である。このエピソードは、自分は本当によい話であると思った。土屋の周囲の人々は、土屋が中沢にお金を貸してと要求したのに、それが受け入れられなかったために絶望し、中沢を憎んで亡くなったと想像していたのだが、そうではなかったのだ。土屋にとって、お金のやりくりができなかった苦悩は厳しいものであったかもしれないが、最後は昔の友達の中沢に会えたことを、本当に楽しかったと思って亡くなったのである。亡くなることになったのは残念ではあろうが、子どもの頃の楽しかった記憶を思い出して死んでいった土屋は、ある意味、静かな気持ちで亡くなったのだと思う。土屋の温和な性格や心境が伝わってくる。とても心温まる話で、自分はこのエピソードに非常に感動した。(自分は、主人公が最後に穏やかな気持ちで自殺していく、「アメリカンビューティ」という映画を思い出した。)

 このドラマには、こうした非常に質の高いエピソードが挿入されていることは評価できるし、遺留品捜査を元にしたストーリー構成もよかったが、ストーリーに不自然な点がいろいろあるのが気になった。


 このドラマは、タイトルの通り、遺留品をメインな題材としている。したがって、現実ではありえないような遺留品が不自然に残されていたり、遺留品から、簡単に、多くのことがわかりすぎる点などは、ドラマだから当然ある。したがって、そういうことに文句をつけてしまうとおしまいなので、それはおいておく。
 また、登場する警察の人たちのほとんどは、不自然に粗野な性格であったり、主人公に対しても冷たい。こんなおかしな性格の人間ばかりの職場がありうるとは思えない。こんな雰囲気の職場設定にする必要があったとはあまり思えない、という点も、自分には直してほしかったところである。
 ...といったこともあるだが、それ以前に、根本的なストーリー自体がかなり不自然なのである。


 このドラマは、視聴者を最後に殊更に感動させようとする作りになっている。
 一般的に、このドラマでは、最初、遺族は死者に対してあまりよい思いを持っていない。だが、主人公が、現場に残された遺留品から、残された人々に対する亡くなった人の温かい思いを明らかにする。そして、残された人々は、それを聞いて泣き崩れ、ドラマの視聴者は感動する、という展開である。
 それは基本的にいい展開だと思うのだが、どうもそれが不自然なことが多いのである。


 以下に例を挙げよう。


 例えば、第6話の、野球選手とその兄の話がある。兄は、亡くなった父親の借金を背負って、一人でそれを返済し続け、弟にはそれを黙って、心おきなく野球を続けさせようとしてきた。だが、弟はそれを全く知らず、兄を、いい加減でお金をせびるような人間だと誤解し、兄を嫌悪しており、兄と弟の間には何の交流もなかった。そういう状況のままで、兄は殺されてしまう。弟は、死んだ兄に対して、憎しみしか持っていない。そこで、主人公が、亡くなった兄の、弟に対する気持ちを明らかにするわけである。
 もちろん、弟に心配をかけまいとする気持ちから、この兄が、借金のことを弟には知られないようにしようと考えるのはありうることかもしれない。だが、弟が、兄を誤解して兄を疎み、嫌悪し、交流すらないような状況は明らかに兄弟のどちらにとってもよくない。兄は弟のことを本当に強く思っていて、弟のためにいろんなことをしており、当然弟とはいい関係でいたかったはずである。事情を話せば、そんな著しい険悪な状態はすぐに解消するはずなのに、長年その誤解を解かないでいたというのはあまりに不自然である。主人公の糸村が兄の気持ちを明らかにしても、兄の気持ちに感動する前に、兄の誤った意味不明の対応のばかばかしさの方が気になってしまう。
 弟の恋人であるスポーツ紙記者も、兄の背負っている借金を返すために兄にお金を渡していながら、そのことを弟に言わず、誤解によって弟が兄を嫌う状態を放置しているのも全くおかしい。


 第3話の食品加工会社の不正(釜飯に入っているあわびの偽装)をどうにかしたいと思っていた専務の話も、どうも変なのである。糸村の捜査の結果、この専務は、自分の会社から既に出荷された偽装の釜飯を、自分で車でスーパーを回って購入することで、回収しようとしていたということが明らかになる。だが、釜飯の大量購入にかかる費用は膨大なはずで、そもそもそんなお金のかかることが可能であるとは思えない。そして、いろいろなスーパーに既に出荷した釜飯を、一人の人間が、自分の仕事の片手間に自動車でスーパーを一軒一軒回って回収するなど、時間的にも無理がある。
 殺された専務はこうしたことを一人でやっていたということを、最後、主人公が明らかにし、専務の妻らは、夫の行動とその意味を最後に知り、夫の思いを知ることになる。だが、そんな行動をとるのがそもそも現実的でないのだから、この夫の正義の行動に素直に感動するわけにもいかないのである。


 第7話の、過去に妻子を残して家を出て以来、ずっと家に帰っておらず、娘に会いたくてネットカフェで他人の衣服を盗んで殺された父親の話は、遺留品の点でもかなり無理があった。鍵の跡が財布に残されていたことから、鍵が旅行カバンの鍵であることを特定し、その財布の鍵の跡から、そのカギのマスターキーまで復元してしまうだが、革でできたような財布にそんな詳細な跡が残ることがあるのだろうか?長年鍵が財布の内側の同じ場所に押しつけてあったとしても、そこにちょっとしたくぼみはできることはあるかもしれないが、いくらなんでも、革の財布に、鍵のマスターキーまで復元できるような跡がつくとは到底思えない。


 第9話の、公園で写真を撮っていた被害者の撮った写真の背景に、たまたま猿のマスクを手に持った婦女暴行犯が写っていたため、その婦女暴行犯が写真を撮っていた被害者を殺したという話も、がさつである。婦女暴行の時に猿のマスクをしていた強姦魔が、写真に写る写らないはともかく、白昼堂々と、人に見てくれと言わんばかりにこのマスクを手に提げて近所を歩いているなど、ありうるとは思えない。犯人は、婦女暴行の時に、顔を隠したいからマスクを使ったのである。それなのに、外に出たら、そんなことは忘れて、あんなに目立つ猿のマスクを、バッグに入れるという原始的な行為すら思いつかず、そのまま手に提げてのんきに歩いているなど、霊長類の中でも最も大脳の発達した人類のやることとはとても思えない。婦女暴行は、犯人の家の近所で行われていたようだが、これ見よがしに猿のマスクなど持っていれば、近所の子供たちが集まってきて、「おさるおじさん」や「モンキーマン」などというあだ名をつけられて人気者になってしまうだろうし、近所の大人たちの間でも、○○さんの旦那さんは、おかしなマスクをもっていたとすぐに噂の的になるだろう。
 これは、いくらなんでもおかしい。


 また、そもそも、主人公の糸村は、加賀見課長に呼ばれてこの科学捜査係にやってきた。そして、最終回、18年前の事件が解決し終わったとき、課長は最後に、糸村をここに呼んでよかった、と言う。糸村を呼んだのは、18年前の事件のことが気になっていたからだというようなことを、この課長は言っていた。

 だが、中盤で、主人公が日本音響研究所の江藤奈津子と会った時には、この課長は非常に真剣な顔で、糸村に、江藤奈津子とはもう会うなと警告していた。「とばすぞ。」とまで言っていた。なのに、最後は、主人公が18年前の事件を解決したことに満足の意を示し、科学捜査係に呼んでよかったと話す。
 この18年前の事件を解決したかったのであれば、江藤奈津子と会うことは必要だったはずである。なのに、途中でのあの真剣な警告は、いったい何だったのだろうか。課長は、中盤では、18年前の事件に触れられたくないと思っているような行動を明らかにとっているわけである。
 この事件を解決してほしかったのなら、最初から、主人公がそれを解決するのを促すような行動をとればいいはずである。それを阻止するような行動をとっていたのは全く意味不明なのである。
 視聴者はこういう支離滅裂な課長の態度に、混乱をしたと思う。


 なかなかおもしろいドラマであったとは思うが、ここで述べてきたようにあまりにも不自然な流れも多かった。
 刑事もの、推理ものなどでは、物語の整合性は、わざわざ恭しく述べるまでもなく、非常に大事である。
 第2弾があるなら、ストーリーをもうちょっと緻密に練ってほしいと思う。


(完)

光太
公開 2012年1月7日

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