ガリレオ


「ガリレオ」   (フジテレビ) 2007年

評価: 86点


○ 信じる前に考えよう!

 このドラマは、超常現象的なものが関わる事件の謎を大学準教授の湯川が科学的・論理的に解いていくのだが、そもそもそのコンセプトに非常に好感が持てる。

 あろうことか、この現代でも、そういったものを信じる人たちは存在する。
 携帯用情報機器が高度に発達した現在、もし、霊であれ超能力であれ、そうした現象が本当に起きているとしたら、昔と違って、すぐに動画で撮影され、記録に残ることだろう。そして、それがインターネットなどにアップロードされ、全世界に広まるはずだが、そんなものは一向に出てこない(ただし、今では手軽に動画の合成などもできるため、そうやってわざと作ったものも多数あることには注意せよ。)。
 昔から、そういうものは、ほとんど人々の証言だけで信じられてきた。携帯用の動画記録機器が普及したのだから、そうした現象が信頼できる形で次々に報告されていいはずだが、そうなっていない。どうして、こうした機器を誰でも持つ時代になったのに、そうした現象が次々にとらえられないのだろうか。これは、過去のそうした証言が、やはり見間違いやウソ、幻覚などであったということを裏づけているのではないだろうか。
 昔は、心霊写真というものがよくあったが、当時の写真は解像度も粗く、映っているものがはっきりしなかった。今ではデジカメできれいに撮れる。ならば、そうした霊がもっとくっきり映っていいはずだが、むしろ、心霊写真的なものは少なくなっている。これは、以前は、粗い解像度で映ったはっきりしないものを勝手に霊と思いこんだり、昔のカメラのフィルムの問題や光学系の問題で、写真に写ってしまったもの、つまり写真撮影上のミスを霊の仕業と思ってしまっているだけであったことを裏づけていると言えよう。
 人々がいつでも簡単に動画で記録できるようになったこの時代に、そういった現象の存在すらまともに確認されないのだから、常識的に考えれば、そういったものが存在しないからだと考えるのが妥当であろう。そして、ネッシーにしろ、ミステリーサークルにしろ、スプーン曲げにしろ、心霊写真にしろ、いんちきは次々に暴かれている。だから、そういったものを信じるなど、普通に考えれば、考えられないことである。しかし、そういうものを信じる人々が現在も多数存在し、江原啓之とかいうわけのわからない人がはやったり、スピリチュアル的な本が売れているという驚くべき現実があるのである。

 そういったオカルトを無批判に信じる人たちを啓蒙するためにも、こういう現象を説明しうる科学的な知識や、そうしたものを科学的に解明しようとする態度、考える姿勢がもっと広まった方がよい。
 そういう意味で、このドラマの基本的なコンセプトは、非常に評価できる。

 さらに、ドラマ中の湯川の理屈っぽい会話も非常におもしろい。「TRICK」の上田教授や「結婚できない男」の桑野を思い出す。こういう会話のあるドラマがもっと増えてくれたら、と思う。

 また、このドラマのストーリーには、ほのかに悲哀を感じさせるようなものも多い。お金に困っている父親のために、超常現象を体験したとうそをつく子供、善良な夫が殺されてしまい、残されてしまう妊娠した妻、お金に苦しんできた家族に保険金を残そうと自殺した父親...。
 こうしたストーリーは、人間の優しさや人間に対する希望を感じさせ、なかなか上質なものだといえる。


○ これは微妙...。

 次に、ちょっと微妙なシーンを挙げよう。

 それは、謎を解く段階で、さっそうとした音楽と共に、湯川が、地面や黒板などに、何かにとりつかれたかのように、高速で何かを書きつけるシーンである。微分方程式などを書いているが、だいたい、このような謎を解くのに、あんな方程式などいらない。起こっている現象が、レーザーによるものだとか、蜃気楼によるものだとか、共振現象によるものだとかいう概念を思いつくのには、方程式は必要ない。そして、概念を思いついたら、あとは、実証実験をするか、コンピュータで精密計算をするかである。手計算を行うこともなくもないかもしれないが、その場合は、具体的な数値を代入して計算するはずで、あんなふうに微分方程式や積分方程式などを書く必要はどこにもない。
 各シーンで書きつけていた方程式は、解明しているトリックとは全く関係ない、無意味なものであったはずである。その証拠に、ドラマでは、書きつけられた方程式をあまり写さないようにしている。式が支離滅裂で意味のないことがばれてしまうからであろう。

 いくら演出にしても、この数式を書きつけるシーンは、あまりにも非現実的で、興ざめで、見ていてなんだか恥ずかしくなってくる。
 演じさせられた福山雅治も気の毒である。


○ ドラマ中の超常現象のトリック

 また、残念なことは、このドラマの超常現象のからくりが、いまいち非現実的なところである。

 工場を通して見えないはずの車を見たという現象では、工場に液体窒素が流れ出したため、温度差で蜃気楼と同様の現象がおき、工場の向こうの車が見えたというのだが、蜃気楼の基本的な原理はそれでいいが、実際にあの状況で車が見えるほど光が屈折するのだろうか。

 また、ポルターガイスト現象では、工場の配管が家の床下のマンホールにつながっていて、工場が蒸気を流すと、それによって家が共振を起こすということであった。しかし、共振現象は確かに存在するが、揺れやすいものが微妙にかたかたするという程度ならまだしも、それで家全体が、激しい地震にあったときのようにあれだけ揺れることが実際に起こるのだろうか?

 そして、池に雷が落ちたことによって、死者のデスマスクができたというのも、非常に無理があると思う。

 「TRICK」でも、超常現象の見事な謎解きがいろいろあったが、特に一番最初のバージョンでは、比較的現実的なものが多かった。
 こうした謎解きが非現実的に見えると、そっちにつっこみが入ってしまい、一見超常現象に見えるものが、実はそうやって起こされていたのかー、という驚きや納得感を、いまいち得られない。

 最終回では、新しい物質を発明していた、というのだが、そういうことを持ち出したらどんなトリックも可能になってしまう。また、最終回で爆弾を解除するのも、興味深いトリックなどではなく、質の悪いアクション・サスペンスもののようだった。「24」じゃあるまいし。

 だが、例えば、弓を使って、他殺に見せかけて自殺するトリックや、水の上に文字を描くトリックなどは非常によく考えられている。そして、電流を流すと粘性の変わる流体(ER流体)を使ったトリックなどは、新しい科学技術を果敢に取り入れて、犯罪トリックを考え出している点で、その姿勢は非常に評価できる。黄色のコートを着た人を見て、そういうコートをよく着ている特定の人物を見たとリアルに感じてしまう心理トリックなども、心理学的に裏打ちされていることであり、よかったと思う。

 というわけで、謎解きに無理のある点は多かったものの、ドラマのコンセプトは大いに評価でき、湯川の会話は非常に楽しいドラマであった。
 続編を期待する。

(完)

光太
公開 2012年7月9日

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