放射能と差別 (3)



これは(3)です。「放射能と差別 (1)」から読むのをおすすめします。



○ がれき処理   震災から1年

 震災から1年以上が経ったが、がれき処理が進まない。がれきを受け入れる自治体がないことが一つの原因である。
 だが、もちろん、がれきは処理しなければなくならない。がれきが被災地の復興の障害になっている。
 福島原発の周りの、本当に放射線レベルが高いところのがれきを受け入れたくないというのはもちろんわかる。そして、安全なレベルとはいえ、放射線レベルが比較的高めの地域からのがれきを受け入れたくないというのもまあわかる。だが、宮城県や岩手県などの、放射性物質が全く検出されないがれきも嫌だというのは、何たることだろうか。こうしたがれきには、もちろん害はない。
 これを受け入れないというのはどういうことか。

 特に、東京電力管内の住民は、これまで、福島原発の作った電力を使わせてもらい、日々の生活をさせてもらってきたのである。だから、無害であることが保証されているがれきが、間違った思いこみで拒否されてしまっている状況では、率先して受け入れてもいいはずである。
 なのに、そういう自治体が次々と現れないというのは、一体どういうことなのか。

 受け入れを行わないという決定をしている市長や知事たちもおかしい。住民の一部が嫌だと言っても、そんなことは根拠がないのだから、そういう声には毅然とおかしいと言い、積極的に受け入れを支持し、被災地を少しでも助けるのは当然であろう。
 被災地は困っているのである。それを、助けようとしないというのはいったいどういうことだろうか。
 害のあるものを受け入れよ、と言っているのではない。全く無害であることがわかっているものを受け入れるのは当然だ、と言っているのである。
 市長や知事になるくらいの人たちは、がれきの処理を、日本中で協力してやらなければいけないことくらいわかっているだろう。被災地の自治体がとても困っていることも知っているだろう。そして、自分たちの自治体が万が一そういう被害にあったとき、他の自治体にも協力してやってもらわなければならないことくらいわかっているだろう。そして、そうであれば、当然、がれき処理に協力しなければならないことくらいわかっているだろう。
 だが、ごく少数を除いて、市長や知事たちはそういうことを率先して言わない。いったい何なのか。人々や国のことを考えているとは到底思えない態度である。
 不合理な懸念の声など一蹴すればよいのである。
 本当に何か危険性があるなら、当然慎重に判断すべきだ。本当に危険があるなら、そういう声を当然聞き入れるべきだ。だが、何も危険性がないことがわかっていてそんな態度をとるなんて本当に怒りを感じる。
 こういう、一部の理不尽な声におじけづき、そういう声に媚びている人々を、政治家といえるのか。

 こういう場面で、信念に基づき、人々を説得するのが政治家たるものである。そして、全体のことを考えて、全体の利益になると思うことをするのが政治家である。
 ここで、選挙が怖いからと、一部の住民の声に右往左往するべきではない。住民が誤った感覚にとらわれていたら、確固とした意志を持って、その誤解を解く方向に導いてあげるのがリーダーの役割である。

 この点、がれきの受け入れをいち早く表明した静岡県の島田市長は立派である。また、石原東京都知事は、普段から差別的国家主義的であり、自分はそういう人をろくな人だとは思わないが、この件については、きっぱりと受け入れを表明しており、喝采に値する。黒岩神奈川県知事もしかりである。本当なら、大多数の市長や県知事にこれくらいの気概がなくてはだめだろう。

 そして、この件で一番うれしかったことは、各種の世論調査によれば、おおよそ60から80パーセントの人が、できればがれきは受け入れるべきだと答えていることである。
 こうした調査を見て、自分はとてもうれしかった。
 日本人も捨てたものではない。


○ BSE(狂牛病)

 これは、放射能とは関係がないが、放射能への対応について考える上でのいい例なので、ここに取り上げておきたい。

 BSE(狂牛病)が2000年代初頭に話題になった。
 イギリスでは、18万頭以上の牛がこの病気に感染した。そして、イギリスでは、176人の人が変異型クロイツフェルト・ヤコブ病という病気にかかった。だが、日本でBSEの感染が確認された牛は、たったの26頭である。イギリスでは、これだけ多くの牛が感染し、また、イギリス人は日本人よりも牛肉の消費量がはるかに多い。にもかかわらず、たったの176人だけしか変異型クロイツフェルト・ヤコブ病にかかっていない。単純に計算すれば、BSEにかかった牛1000匹あたり、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病にかかる人間は1人くらいの割合だから、日本人が一人でもこの病気にかかる確率は、約3%となる。日本の人口は、約1億3千万人だから、一人当たりの危険性は、ごくわずかである。つまり、日本人が変異型クロイツフェルト・ヤコブ病にかかる可能性は非常に小さいということになる。
 でも大騒ぎになった。

 そして、日本は、アメリカなどからの牛肉の輸入を止めた。そして、再開するにあたって、生後20か月以下の牛まで含めた牛の全頭検査を始めた。だが、BSEは、20か月以下の牛がかかることはない。だから、普通の国々はこの年齢の牛の調査などしていない。
 なのに、日本は、20か月以下の牛まで含めた全頭検査をするといってそれをずっと続けていた。過剰な潔癖主義と言えるだろう。こうした牛は安全だという報道はそれなりにあると思うのだが、だから検査をしなくてもいいだろうと言う声はなかなか表面には出てこない。そして、無根拠な恐怖の感情に支配された人々が声高に全頭検査しろと叫び、それに行政機関がふりまわされている。
 科学的根拠はないのに、科学的でない不安感情を全面に押し出す人々を政治や行政の側が説得することもなく、批判されることが怖くてそういう全頭検査を続けている。

 だが、これは税金で行われており、こうした検査に膨大な費用が費やされてきた。
 こんなに無駄遣いなことも珍しい。
 こんなことにお金を使う余裕があるなら、国の膨大な借金を少しでも返すのに使う方がはるかに有益である。
 こうした無駄遣いが国の借金をより膨らませ、将来大人になる子供たちにその負担を押しつけているのだ。

 子供たちの健康ために、などと口では言いながら、結局は、ただでさえたいへんな借金を負わされてしまった子供たちに、さらなる苦痛を与えているだけである。
 あまりにも無知で身勝手な要求と言わざるを得ない。

 危険のないものを、勝手に危険だと妄想して声高に要求するのも悪いし、そうした理不尽な要求を受け入れる方も受け入れる方である。こうした声には毅然と対応し、こんな無駄なことはしなくていいのである。

 現に、日本では、BSEのために死んだ人など一人もいないのである。

 こうしたことは、2009年春の新型インフルエンザにも当てはまる。社会が極端に敏感になり、これが日本に入るのをくい止めようと大騒ぎした。町中にマスクがあふれ、咳をするのもはばかられる雰囲気になった。
 だが、新型インフルエンザは結局、日本中、そして、世界中に広まり、今では普通のインフルエンザと変わりなく、一般的なものになっている。そして、今ではニュースになることもない。あのとき、世界の多くの国々は、日本ほど敏感になることはなかった。
 この時も、恐怖に陥り、過剰な対応を取った人々はかなりいただろう。

 我々は、科学的に信頼できる情報をしっかりと得たうえで、こうした無知な恐怖に打ち勝たなければいけない。


○ 最後に

 以上、原発事故による放射性物質を、過剰に恐れることによって引き起こされてきた、様々な理不尽な事例を見てきた。
 科学的なデータを信じないことは自由である。それで、自分自身が恐怖に陥ることも自由である。だが、人々の恐怖を煽り、無害なことがほぼ確実であるものを害があるようにふれ回ることは、多くの人に多大な被害と迷惑、悲しみ、怒りを与えることになる。それはいけないことである。

 ここではあげていないが、福島から他県に転出して、放射性物質がらみでいわれのないひどい言葉をぶつけられている子どもたちもいるようである。
 避難を余儀なくされているだけでも気の毒なのに、何の罪もない子どもが、そんな言葉までぶつけられるような社会にしてはいけない。

 そして、多くの家庭で、放射能に対して、家庭内対立も起こっている。放射性物質を過剰に恐れてしまい、子供に外出もさせず、放射線測定器を買って一心不乱に周囲の放射線の量を測定し、学校にもクレームをつける母親と、そんなことしなくてもいいだろうという父親...。そして、住民間でも、不安に陥って放射線対策を声高に主張する住民と、大して害もないのだし、費用もかかるのだから、そこまですべきなのかと思っている住民との間などで、対立が起きている。
 これらも、本来、無用な対立である。

 放射性物質の健康への影響に対する正しい知識が普及していないことにより、こんなことが起こってしまっている。

 昔から、差別は無知により生まれてきた。問題のないものを、問題があるかのように恐れる気持ちから生まれてきた。
 差別はそういう恐怖心から容易に生まれてくる。

 我々は、そんな理不尽なことが起きないように、過去のデータに基づいて本当の危険性をしっかり理解しなければならない。
 差別をなくす大きな要素は、正しい知識の普及である。

 そして、恐怖に陥った人の声ばかりが社会を席巻しないように、本当の影響を理解している人たちも声をあげていく必要がある。
 放射能の恐怖に基づく差別的な出来事が少しでも減るようにできることをしていこう。
 福島や東北に対する風評被害が少しでも減って、その農産物や海産物がどんどん売れ、復興が加速することを切に願いたい。

 危険性の科学的な検討もしないで、理不尽に一方的に風評を煽り、東北地方の復興を妨げ、福島や東北の人たちを結果として傷つけるような声には、科学的なデータに基づいて、冷静かつ、毅然として対応していくようにしたい。

(完)

光太
公開 2012年7月9日

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