学校での体罰 (3)



これは(3)です。「学校での体罰 (1)」から読むのをおすすめします。



○ では、子どもが言うことを聞かないとき、どうするか?

 その上で、子供たちが、他の子供をいじめたり、暴力を振るったりするような場合に、口で注意してもそれを聞かなかったらどうするか、という問題を考える必要がある。よく、体罰を批判する場合に、体罰はだめだ、と訴えるだけで、こうした場合にどうするかという対案に全く言及しない人たちもいるが、それは無責任である。言葉で粘り強く説得するのはもちろんだが、それではどうしようもないケースは確実に存在する。他の子供に対する暴行が行われていたら、どうにかしなくてはならない。暴行をされている子供の安全が脅かされているのだから、これは何としてでも止めなくてはならない。

 これについては、まず、学校全体で情報を共有し、教師全体としてそうした子供に対処すると共に、端的に言えば、これは警察に持ち込むべきである。こうした子供たちに対しては、私的な体罰などで対応しようとするのではなく、法的な懲罰、出席停止や隔離、転校で対処すべきである。学校内でのこうした暴行は、犯罪であり、決して許してはならない。そして、学校は、生徒の安全を確保する義務がある。したがって、学校側は、こうした加害生徒たちをしっかりと警察に突き出すべく、徹底的な証拠固めをしておく必要がある。
 学校は、いじめなどを内部で処理したり、隠蔽しようとしたりすることがある。それは、加害生徒への教育的な配慮だったり、いじめの発生を知られることを学校の不祥事的なものだととらえて、隠そうとしたりするのだろうが、被害生徒は、身体的暴力を加えられているという重大な状況にあるのだから、それを守ることを第一に考えるのは当然である。もし、学校が、警察への通報を躊躇するなら、それは、犯人の隠秘であり、学校もその暴力の共犯者として罪に問われるべきである。子供の安全確保は第一に重要であって、いじめや暴行が行われているのは、学校の責任で直ちにやめさせる必要がある。警察への通報を躊躇するなど論外であり、加害生徒を許さないと言う強い意志のもと、加害生徒の暴行の証拠をできるだけ多く警察に渡すよう努力するのは当然である。
 社会やメディアの側も、学校がいじめや生徒の暴行の事実をきちんと公表した場合には、その学校の責任を問うのではなく、その姿勢を評価するようにしなくてはならない。いじめや生徒の暴行は学校の指導がどうあろうと起こってしまうこともあり、その発生を問題にするのは間違っている。社会やメディアが、いじめや暴行が起こった学校に対して、不合理な批判や責任追及をするのはやめるべきである。そんなことをするから、学校はそうした事実を隠蔽しようとするのである。学校が事実を公表したときではなく、そうした事実を隠蔽しようとしたときにこそ、徹底的な批判が行われるべきである。いじめや暴行の事実を隠蔽することは、子どもを守ることを第一に考えていないということに他ならないからである。学校が、いじめの証拠をしっかりと集めて警察に報告した場合には、学校の、被害を受けている子供を守ろうとする正義の行動に対して、社会やメディアはきちんと評価するべきである。

 また、もう一つの案としては、各学校内に、反省部屋、お仕置き部屋といったような、人が一人入れるくらいの、窓もないような部屋を作り、他の子どもや教師に暴力をふるうような子どもは、その中に入れて反省させる、というのも考えられるだろう。その中にいるときには、もちろん、誰とも話せないし、外も見ることはできない。本を読んだりもできない。子どもにとって、こうしたやることのない状態というのは退屈きわまりない地獄の苦しみのはずである。この措置は、そういった子どもには、かなり効果的だろう。だが、これは、子どもにとってかなりの苦痛だろうから、教師が自分勝手に恣意的に子どもをそこに入れることのないよう、この措置を実施する際には、職員会議での決定を必要とするものとすればいいだろう。これにより、粗暴な教師の気ままで傍若無人な体罰を防ぐことができ、子どもにもそれなりの罰を与えることができ、しかも、公平性がある程度担保される。このお仕置き部屋の運用が適切に行われているかを調べるため、専門の外部監査委員会を作って、各学校を定期的にチェックするシステムもいいかもしれない。

 こういう提案をすると、学校で、牢獄のようなものをもうけるのは子どもの人権を侵害する、といったような反論が出るだろう。もちろん、子どもの人権について配慮することは大切なことだとは思うが、いじめを受けたり暴力をふるわれている方は恐怖に怯えているのであり、加害生徒には、そうした行為はすぐにやめさせる必要がある。また、教師の気ままな暴力を認めることの方が、はるかに大きな問題であり、こうしたシステムを導入する方が、結果的には、加害者の子どもの人権も守られるだろう。

 もし、体罰が完全に公平に、冷静に行われるなら、他の子供に危害を加えるようなこうした場合に限って、体罰を認める、という考え方はあるかもしれない。しかし、そこに客観的な線を引くのは、実際上、非常に難しい。そして、こうした特例が体罰容認の空気を広めることとなり、結果的に粗暴な体罰教師をのさばらせることになろう。だから、こうした場合にも体罰は禁止し、こうした重大な件には、警察等、しかるべき機関に加害生徒を送り、その罪に応じた懲罰を受けさせる、または、暴力でない公平なやり方で罰を与えることが適切である。


○ 運動系部活の体罰

 運動系の部活の体罰についても、少し触れておこう。桜宮高校の件もそうだが、運動系の部活の体罰は、非常に頻繁に起きている。そして、そうした体罰は、不正行為などに対してではなく、試合で負けた、プレイに失敗があった、などの場合に行われることが多い。気合いが入っていない、などといちゃもんをつけて行われる。
 だが、こうした部活の顧問たちは、子どもたちが自分の思い通りに動かないことが許せないのである。桜宮高校などのように強豪校の場合は、部活の顧問が、勝敗を絶対的なものと感じてしまい、その教師の思い通りに動けないような子どもたちを虐待するということが起こる。子どもなりに一生懸命やっていても、結果的にプレイがうまくいっていなければ、体罰を受ける。なんという理不尽なことだろうか。子どもたちは、それが理不尽でも、顧問に文句を言うことはもちろんできない。体育会系特有の強固な上下関係もあるし、文句を言った場合に、試合の出場選手を決める場合に不利な扱いを受けることもある。
 そして、運動系の部活では、不必要な体罰が日常的に行われた場合、それを経験してきた子供たちが、将来、指導者になり、同じような体罰を次世代の子供たちに繰り返す。それを当然のやり方だと思ってしまう上に、やられたことは誰かにやり返さないと理不尽だとも感じることもあるだろう。
 こうしたことは、学校における体罰だけにとどまらない。2007年、大相撲時津風部屋の17歳の力士が、親方らの暴力により亡くなった。時津風親方は、この少年の額をビール瓶で殴り、さらに数人の力士に「かわいがってやれ」などと暴行を指示するなどしていたそうである。
 そして、オリンピック選手レベルにおいて指導者の暴力が蔓延していることも広く知られることとなった。2013年1月、女子柔道強化選手たちが、園田隆二監督の暴力・暴言を告発した。指導において日常的に暴力をふるい、「お前なんか柔道やってなかったら、ただのブタだ」、「死ね」などという暴言をはき、選手たちはその暴力や暴言に怯えていたという。だが、選手選考で不利な扱いを受けることなどを恐れ、なかなかそれを訴えることができなかった。意を決して2012年9月に、全日本柔道連盟に申し立てを行ったが、柔道連盟は大した聞き取り調査もせず、2012年11月、監督の続投を決めた。選手たちは、どうしようもなくなって、2012年12月にその事態を日本オリンピック委員会(JOC)に訴え、2013年1月、事態が社会に広く知られることとなった。それでも柔道連盟は園田監督を辞めさせないと言っていたが、その後、園田監督は辞任を余儀なくされた。オリンピック選手レベルでもこうした暴力が横行していることは、日本のスポーツ界に、こうした体質が根強く存在していることを如実に示している。不利益が及びかねない不安もある中で、勇気を持ってこうした暴力を告発した15人の選手たちの行動に敬意を表する。同時に、多くの学校、スポーツ団体で、こうした告発が、勇気を持って次々と行われ、一人でも多くのこうした傍若無人な粗暴な暴力人間たちが、一掃されることを強く願う。


○ 最後に

 運動部に限らず、学校で体罰を受けて育った子供たちは、暴力で怯えさせて人を支配することの有効性を知り、そうした人間になるだろう。そして、日常的な暴力は、暴力への心理的抵抗を著しく低くし、子供間のいじめも助長するだろう。親から虐待を受けて育った子供は、大人になったとき、自分の子供に虐待をする確率が高いことはよく知られているが、体罰においても同様のことが起こるのはほとんど自明である。体罰は、暴力に抵抗のない、そういう恐ろしい人間たちを増やすという負の側面もあるのである。

 体罰を容認するような空気が日本にはあった。だが、理不尽きわまりない体罰の結果、子供が自殺するという事件も起きた今、学校の体罰は、多くの場合、粗暴な教師の気ままな暴行であるという本質をきちんと理解し、社会がそれを許さないという姿勢を確固としてもつことが重要である。

 桜宮高校の亡くなった生徒は、一生懸命努力しているのに理不尽に殴られることに対し、深く苦悩し、もうどうしたらよいのかわからなくなり、制服のネクタイを使って、自分の部屋で首をつって亡くなった。

 もう、二度と、教師からの日常的な暴行が原因で、子供が自殺するなどということは、起こしてはいけない。


(完)

光太
公開 2013年2月17日

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