学校での体罰 (1)


○ はじめに

 2012年12月、大阪市立桜宮高校で、バスケットボール部のキャプテンだった生徒が自殺した。

 この生徒は、部の顧問の教師から、日常的に、ひどい体罰を受けていたということである。
 そして、この自殺の前日、練習試合があったときにも、ひどく殴られていたようで、本人は何十発も殴られたと語っているし、外部監察チームによる事後の調査でも、このときに20発程度も、そして、その5日前にも、何発も殴られていたことが確認されている。

 この生徒は、日常的にひどく殴られて、しかも、キャプテンはみんなの手本にならねばならない、といったような名目で、周りの部員よりも集中的に殴られていたとのことである。そして、それを苦にして毎日思い悩みながら亡くなっていった。この生徒が耐えきれなくなって書いた、その顧問に渡すはずだった手紙には、その苦悩がつづられている(なお、この手紙は、顧問に渡すとより体罰が激しくなるだろうから渡さない方がよい、という友人の助言により、生きている間に顧問に渡されることはなかった。)。一生懸命やっているのに、どうして自分だけがたくさん殴られなければならないのかわからない、といった、苦痛の思いがこの手紙にはつづられていた。亡くなった生徒は、家族にも、そのつらさについて話していたようだ。将来のある高校生が、ほとんど落ち度もないのに一方的に殴られて、自ら人生を終わりにするように追い込まれたことは、本当にいたたまれない。
 もう、彼が戻ってくることはない。

 この生徒を自殺に追いやった、この顧問の教師は、市の教育委員会の聞き取りに対し、「体罰で生徒が良い方向に向かう実感があった。自殺した生徒にもそうなってほしかった。」などと言っていたそうである。

 後の調査により、このキャプテンの生徒ほどではないが、この生徒以外の多くの生徒もこの顧問の教師から体罰を受けていたということである。


 しかし、この顧問のしていたことは、教育的意味からの体罰などでは全くない。
 これは、完全に、子どもに対する暴行、子供に対する継続的な虐待である。


 体罰であれば、何十発も殴る必要はない。日常的に継続的に殴る必要もない。

 この顧問のしていたことは、いじめにも近い。教師という立場を利用して、子供が逆らえない状態で、半ば快楽的に子供を殴っている。本当にひどい。

 これが学校以外で起きていれば、子供に対する卑劣で残酷な暴行事件として起訴されるだろう。一般社会では、大人同士でも、こんなことはありえない。学校という閉鎖された空間で、こうしたことが許されてしまっていることに大きな問題がある。

 「体罰」を認めるべきか認めないべきか、という質問を一般の人たちにすると、ある場合には認めるべき、という答えも多い。
 これは、多くの人たちが、子供は、大人が口で諭しただけではどうしても言うことを聞かないことがあり、そういう場合は、たたいたりすることも必要だ、と思っているからだろう。一切たたかない、などというのは、単なる空理空論だと思っているからだろう。たたく、というのは、教師がそれだけ真剣に子供を指導しようとしている証拠だ、などとも思うからだろう。
 そして、多くの家庭において、子供が言うことを聞かない場合、たたいたりすることもあるのだろう。

 しかし、学校で起こっている「体罰」は、多くの場合、教育的配慮に基づいて行われているわけではない。


○ 自分の見てきた体罰教師 (小学校・中学校)

 自分の経験を書こう。

 小学校の時、自分たちの学校には、特殊養護学級という、障害を持った子供たちのクラスがあった。そのクラスの男性教師は、ひどい体罰教師であった。この学級の子供たちは、精神的にも肉体的にも、ふつうの子供たちとは違うので、なかなかてきぱきとは行動できない。それに対して、この男性教師は、殴るなどの暴力を加えるのである。そのクラスの子供たちが日常的に殴られるのは、見ていてとても痛々しかった。一般学級の子供たちは、特殊養護学級の子供たちは障害を持っているから、親切にしなくてはいけない、と教えられていた。なのに、その体罰教師は、その学級の子供たちにひどい暴力を加えていたのである。自分は子供ながらに、そのクラスの子供たちはかわいそうだと思っていたし、自分の友達たちもそんなふうに思っていたようだった。そんなことがまかり通っていたなど信じられないことであるが、実際にそうであった。これのどこが教育的な体罰なのであろうか。
 その教師は、特殊養護学級の子供たちが、その教師の思い通りに行動できないから、感情的にいらいらして子供たちをたたいていた。それは、周囲には明白であった。小学校の頃の先生たちの名前は、今ではほとんど忘れてしまっているが、この体罰教師の名前は、フルネームで覚えている。
 特殊養護学級のような特別なクラスの先生には、一般のクラスの先生よりもはるかに強い忍耐力が求められる。しかし、この教師は、忍耐力など全くなかった。自分の未熟さからくるいらいらを、子供たちに暴力を振るうことで解消していたのである。

 次は、同じ小学校の6年生の時の担任である。この時の教師は、40代の女性教師であった。この教師は、型破りな教師で、あけっぴろげで豪快な人柄であった。また、オカルト好きで、毎日、1時間目はつぶして、子供たちに幽霊の話をさせていた。自分は子供だったから、それはそれで楽しかった。確かに、この教師は熱血なところがあり、子供たちもこの教師を慕っていた。しかし、時に、この教師は体罰を行ったのである。忘れ物をした子供に対し、その子供を後ろ向きにたたせて、半ズボンの子供の太ももを、はたきの柄で、力一杯打ちつけるのである。はたきの柄というのは、直径が1cmくらいしかない。だから、打ちつけられると、太ももの後ろがミミズ腫れみたいになる。当時、冬でも半ズボンをはくのが規則だったが、特に、冬には、これは非常に痛い。
 この教師は確かに熱血的と言えば熱血的なので、もし、例えば、子供が他の子供をいじめたとか、子供が暴力をふるった、といった理由で、このような体罰をしたのであれば、百歩譲って考慮の余地はある。いじめるとか暴力を振るうことは、いじめられた側にとっては重大な問題で、決して許してはならないことだからである。だが、忘れ物をしただけで、そこまでされるような大きな罪を犯したことになるのだろうか?子供によっては、はたきの柄で太ももを打たれることは非常に恐怖である。頻度の差はあれ、誰もが不注意で時々してしまう忘れ物に対して、そこまでするのは明らかにおかしい。この教師には感情的なところがあり、自分には、この体罰は、教育的指導と言うよりは、感情的に行っているとしか思えなかった。

 次は、中学校の時の体育教師である。当時若かったこの体育教師は、しばしば生徒を怒鳴ったり、体罰を加えたりした。自分は、子供ながらに、この教師は、他の教科の教師に加えて底が浅く、頭が悪いように思えた。この教師は、生徒をしかるときも、ヤクザまがいの口調・表情で、生徒を威嚇する。こういう教師は、生徒を恐怖で支配しようとするのである。中学生は思春期で非常に難しい時期でもあると思うが、他の教師たちは体罰や威嚇によらずに地道に生徒たちと向き合っているのであり、短絡的に体罰をして生徒を支配しようとするのは、教師の怠慢であろう。この教師は、桜宮高校の体罰教師と同じくバスケットボール部の顧問で、やはり、部員たちに対して、頻繁に体罰を行っていた。自分は、バスケットボール部ではなかったが、体育館で、バスケットボール部の隣で部活をしていたから、その様子は手に取るようにわかった。その教師は、体罰を後ろめたいものだとは思っていなかったから、白昼堂々と部員に堂々と暴力を振るっていた。
 なお、噂で聞いたところによると、この教師は、後に、女子生徒の家に行ったとかで処分を受けたようである。


学校での体罰 (2)」に続く!

光太
公開 2013年2月17日

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