殺人の原因は環境か? (1)


 2014年7月、長崎県佐世保市で、高校1年の少女が、同級生の女の子を殺害するという事件が起きた。遺体は、頭部と左手首が切断されていたということである。

 この加害者の少女は、警察の取り調べに対し、「人を殺してみたかった」「遺体をバラバラにしてみたかった」と証言した。

 この加害者少女と殺された女の子の間には特にトラブルもなかったようだ。
 加害者少女は、過去には、何度もネコなどの解剖もしていたらしい。

 この事件が衝撃的で恐ろしいのは、友達の家に遊びに行ったら、突然殺されてしまったというところである。何のトラブルもなかったにも関わらず、である。トラブルがある間柄であれば、もしかしたら何かのきっかけで殺されてしまうかもしれないという推測も成り立つ。また、例えば、通り魔であれば、こちらは、予測はつかないが、世の中には不特定多数の人々を人間とも思わないようなおかしな人がいて、そういう人が突然襲いかかってくることもあるということは、理解はできなくても想定はされる。
 しかし、この事件では、加害者少女は、仲良くしていた友達を自分の家で殺している。突発的にけんかになってかっとして殺したのでもない。少女は、ノコギリやハンマーを事前に準備していたということである。これは恐ろしい。見ず知らずの人が近づいてくれば、多少なりとも警戒はする。仲良くしていると思っていて、何のトラブルもない相手といるときには、当然、無防備な状態にある。そういう相手にいきなり殺されてしまうとすれば、もはや、人を信じることは不可能になると言ってもいい。


 さて、こういう事件が起きると、まず、加害者の環境要因が分析され、そこに原因を求めようとすることが非常に多い。この事件で言えば、1年近く前の2013年の秋に、少女の母親は亡くなっており、父親はその数ヶ月後に別の女性と再婚した。そして、加害者少女は、(周囲の証言によれば)その再婚に反対していて、事件当時は、その両親とは別居して一人暮らしをしていた。こういうことに原因を求めようとするわけである。

 そして、「命を大事にすることを十分に教えられなかった」「他人の痛みや気持ちが理解できるようにする教育が不足していた」などといった反省の言葉や、「今後、命を大事にすることをもっと伝えるようにしていかなければ」「他人への共感を育てなければ」といった声が上がる。

 しかし、そんなことは全く的外れであると思う。

 この加害者の少女は、すでに、小学校6年の時に、学校の給食に漂白剤やベンジンを混入させる騒ぎを起こしている。これは、母親が亡くなるよりはるか前の、母親が健在であった頃である。人を殺してみたいという興味は、中学生の頃からあったと少女自身が話している。
 人を殺してみたいという衝動は、環境要因というよりは、ある程度は、その人が生まれつき持っている性質だったり、その子供が強烈な欲求を持っていて、外部から変えようとしても限界があるものなのではないか?

 こういうタイプの快楽的殺人は、特に、普通の人間が持っている常識的な理屈で説明できるものではない。周囲の環境のせいで殺人をしたくなったのではない。そういう嗜好なのだ。牛肉が好きな人に、それをやめろと言っても、それは難しいのに似ているのではないか。

 例えば、男性と女性を比べると、殺人などにおいて、男性の犯罪率の方がはるかに高いが、それはどう考えても、環境要因で説明できるものではないだろう。男性と女性をほぼ同じ環境においたとしても、やはり、殺人などの犯罪率は、男性の方が高くなるだろう。

殺人の原因は環境か? (2)」に続く!

光太
公開 2014年9月23日

気に入ったら、クリック!  web拍手 by FC2
光太の映画批評・ドラマ評・書評・社会評論