政治家たちの批判のための批判 (1)


 国会を見ていると、政治家たちが、相手の政党に対して、批判のための批判をすることが多すぎる。

 全く、バカバカしいの一言に尽きる。

 意見が違う点は当然批判すればよい。だが、同じ意見の点については、むしろ相手の見識の高さを評価して、積極的に支持して、さっさとその政策を実現するよう当然行動すべきである。

 そもそも、政治家には、政治家になるにあたっての、国をどうしたいのかという信念があるはずである。
 その信念に反するものに対して反対し、大いに批判するのは至極当然である。
 だが、信念に合うものには、それを提案したのが誰であろうと、積極的に賛成し、その実現に向けて努力するのも、国のことを真剣に考える者として当然のことである。

 だが、国会を見ていると、全然そうではない。

 相手の政策が、自分の賛成する政策であろうとなかろうと、とにかく相手の政党を批判する。自分たちの支持を伸ばすためには、相手がいいことを言っていたとしても、決してそれをほめてはならず、何か理屈を考えて相手を批判することがとにかく重要である。その結果、国がどうなろうと知ったことではない...。こういう行動原理で、政治家たちが発言しているように見える。


○ 児童手当と子ども手当

 例を挙げよう。
 児童手当と子ども手当の論争ほどばかばかしいものもないだろう。

 2011年夏、自民党、公明党は、民主党にマニフェスト見直しをさせるべく、「民主党は、子ども手当を撤回し、この制度の名称も児童手当に戻せ」と迫っていた。
 民主党は、「児童手当という名称には戻さない」と突っ張り、「子ども手当は存続します。」というビラを刷るなど、子ども手当という名称にこだわっていた。

 (追記: 2011年12月には、民主党は、子ども手当に代わる新しい名称として、「子どものための手当」とする案を示して、野党側から猛反発を買った...。)  全くバカバカしいに尽きる。
 そんなメンツ争いをしている場合なのだろうか。

 そもそも、子ども手当と児童手当は、若干の違いはあるが、子どもを育てる家庭を支援する似たような制度である。具体的な金額的や、子どもの年齢に応じて差をどの程度つけるかなどに多少の違いはあるが、制度としてほとんど同じようなものなのだから、制度の名称はそのままで金額や支給の仕方を議論すればいいだけの話である。にもかかわらず、国民に、制度を撤回させた、とアピールしたいがために、そんな名称のことで争っている。全く、不毛にもほどがある。

 だが、これは、名称を戻せといっている自民党・公明党だけの問題ではない。
 そもそも民主党が、児童手当という名称を、選挙目当てで、わざわざ子ども手当に変えたのである。
 メンツのため、元に戻せというのもバカバカしいが、そもそも目玉政策としてインパクトを与えたいがために、児童手当という名称をわざわざ変更した側の自業自得だとも言える。

 それから、これに絡んで、高所得者には子ども手当を支給しないようにすべきだという、所得制限の問題でも、意味のない議論に多くの時間が割かれていた。高所得者の比率は非常に少ないので、「鳩山首相のような高所得者の子どもにも子ども手当を支給するのか!!」などと訴えれば大多数の国民はそれに喝采する。だが、所得に応じて子ども手当を支給するかどうかを決定することになれば、煩雑な行政事務が発生する。そこには、事務処理費用もかかってくる。となれば、子ども手当はシンプルに全家庭に支給し、高所得者には所得税をより多くかけるとか、控除の仕方で対応するとか、もっと簡単でいいやり方がある。
 政治家も、バカではないのだから、もちろんそれを知っている。
 知っていながら、パフォーマンス的に相手の批判を続けるために、そういう言いがかりをつける。全くバカバカしい。


○ 民主党による政権交代

 子ども手当ばかりではない。

 そもそも、民主党が政権をとったときの対応が非常にバカバカしい。

 2009年の夏、自民党の麻生政権は第一次補正予算を組んでいた。この補正予算は、当時の経済状態が非常に悪かったために、景気を少しでもよくするためのものであった。だが、総選挙で民主党が政権をとってから、その補正予算には無駄が多いから大幅な組み替えをするんだと言って、その予算のうちの3兆円分ほどを執行停止にした。それを無駄の削減だと声高に叫んでいた。ところが、民主党が初めて組むことになった第二次補正予算の中には、当時の自民党・公明党が作っていたものと同じようなものがたくさん復活して入っていたのである。こんなばかばかしい二度手間をわざわざかけたというのも問題なのだが、経済状態が悪いのを支援するための補正予算をわざわざ何カ月も遅らせ、経済を回復させるのを妨げたのだから、その罪はさらに大きい。

 まだまだある。自民党・公明党は、高速道路の割引制度を導入していた。ETC搭載車を対象に、休日上限千円というのは、高速道路があまり使われていない休日に、行楽などに使ってもらうことを目的にしており、観光産業も潤うことになるから、制度としてなかなかいいものであったと思う。そして、ETC搭載車が増えれば、高速道路の流れもスムーズになるし、人件費も減らせることになり、これは大いに推進すべきものであるから、ETC搭載車を割引の対象にして、ETC搭載車を増やすというのも非常に合理的である。民主党は、選挙で高速道路無料化を訴えていたが、一気には無料化できなかったため、制度を変えたという成果を見せるために、割引のやり方をわざわざ変えようとした。休日の上限1000円はやめ、ETC搭載車だけでなく、全ての自動車を対象に、平日も休日も上限2000円にする、というものである。
 だが、これに一体何の意味があるのか。これでは、ETC搭載車も増えないし、そもそも混んでいる平日をもっと混ませるし、休日は以前の割引に比べ値上げになるため、行楽へは悪影響であろう。
 これは、すなわち、変えたというパフォーマンスを目的としたものでしかない。
 こんなばかげたことに、政治家は貴重な議論の時間を費やしているのである。
 政治家の身勝手で、こういう変更を繰り返しても、それが無料で簡単にできるのならいいが、これには変更に伴う大きなコストがかかるのである。そして多くの人たちがこれに振り回される。その社会的コストは非常に大きい。意味のないことをする政治家が、この無駄な作業を発生させたのだ。
 ただの見せかけのために、こんなことをして社会に負担をかけるのは、とんでもないことだと思う。

政治家たちの批判のための批判 (2)に続く!



光太
改訂 2011年12月19日
公開 2011年9月13日

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