ALWAYS 三丁目の夕日'64


「ALWAYS 三丁目の夕日'64」    山崎貴 (監督) 2012年

評価: 47点


 うーん、この映画の展開は、いくらなんでも無理がありすぎだ...。


○ 無理1:評判の悪い医者

 まず、ろくが結婚する医者の評判である。

 この医者は、病院を何度かやめさせられ、それは女がらみらしく、暴力団ともつきあいがあるらしいという評判が立っていて、病院の看護婦が、それを近所のおばさんに告げる。
 しかし、実際には、この医者は、絵に描いたような善人で、病院に行くことができない人々をボランティアで診てあげていた、ということであった。売春婦を診てあげることもあったことから、そういう評判が立ったということだった。しかも、この医者は、病院での出世などにも興味はなく、田舎の実家の診療所を継ごうと考えているような、素朴でいい人物なのだ。

 この医者のことを全然知らない人ならともかく、同じ病院で働いている看護婦が、この医者の日頃の態度や人となりを知らないわけがない。
 これだけの善人なら、病院でも、相当好かれているはずである。

 それなのに、病院で悪い評判が立っているというのは、かなり無理がある。
 不自然すぎる。

 そういう評判が立っているのにもかかわらず、ろくがその医者を信じ、結局それが正しかったという展開にしたいのはわかるが、ここまで不自然だと、感動するどころではなく、ただただ、しらけてしまう。


○ 無理2:茶川を応援していた父親

 茶川は、その父親が死ぬまで、父親は茶川のことを認めておらず、父親は息子が小説を書くなどということを嫌っていたと思っていた。
 ところが、父親の死後、父親が実は、茶川の小説を全て買っており、文学賞に選ばれそうになったときは、本当に喜んでいて、近所の人にも自慢していたことを知る。
 父親の本棚には、茶川の小説が並べられ、父親によるコメントのメモが多数挟まっていたのである。

 感動の場面である。

 しかし、これもあまりにも不自然だ。

 父親が、息子の小説を好きだったり、評価していたら、そんなことは、直接的にも間接的にも、茶川に伝わるはずである。父親自身の息子に対する態度や、近所の人やおばさんなど、それを知る人々から、茶川にそのことは伝わるはずである。
 父親が息子に冷淡な態度をとっているのを知っている人々は、普通に考えれば、こぞって、それを茶川に知らせるだろう。
 それをしないとすれば、あまりにも性格が悪い。
 茶川が誤解し続けていれば、父親が死ぬまでそれに気づかず、茶川は父親に感謝の言葉をかける機会も失うはずである。そして、実際、そうなった。

 父親は、死の少し前に茶川と会ったときにも、息子の小説が好きだというようなそぶりは全く見せず、「俺に息子はいない!帰れ!」などと言っていた。

 支離滅裂である。

 感動させるために、こういう展開が都合がいいのはわかが、これでは白々しいだけだし、そもそも、ストーリーの手抜きだと思う。


○ 無理3:淳之介を追い出す茶川

 茶川のライバルの小説家による小説が、実は淳之介が書いていたものであった、というのは、まあいい。
 できすぎた話ではあるが、それは許容範囲である。

 しかし、それを知ったときの茶川の態度が全くおかしい。
 淳之介に小説を書くのをやめろと言う。
 茶川の小説が打ちきりになり、淳之介の小説が採用されることへ怒っているようにしか見えない演技である。
 その態度は、淳之介のことを思ってではなく、ただただ自分本位に怒っているように見える。

 淳之介がヒットする小説を書いていることを本当は評価していて、内心とても喜んでいて、淳之介を奮起させるのが真の目的のようには全然見えない。
 あの演技で、実はそう思っていることを示しているというなら、演技は稚拙であり、台本もおかしい。

 そして、これは、当然ながら、茶川が父親から受けた態度と同じことを、淳之介に対してしているということなのだろうが、そもそも、前述したように、父親の態度もおかしいわけである。茶川が、もっと思慮深い感じで、淳之介の文学的才能を考えたり、淳之介が独立するのを促すため泣く泣くわざとそのような態度を取るというシーンなどが描かれていれば理解はできるが、全くそんな感じではない。
 ただ、単に未熟でわがままで自己中心的な感じで描かれている。
 脚本が間違っているのではないか?

 これでは、感動も何もない。

 茶川に対する嫌悪感すら沸いてくる。

 一体、なんなんだ、この人物設定は...。


○ 最後に

 三丁目の夕日シリーズは、第一作の、茶川と淳之介のやりとりなどは、本当に感動した。すばらしい作品だった。

 しかし、この作品は全くの駄作である。

 こんなわざとらしく恥ずかしい作品をよくも作ったものである。

 演じている役者たちもかわいそうだ。
 明らかに無理があるのに、ありえないようなわざとらしい演技をしなければならない。

 感動的にしようという意図がありありで、無理ばかりが目立つ作品である。

 こんなことはあり得ないとすぐに見抜かれてしまう。

 この映画シリーズを見て、昭和30年代がいい時代であったかのように錯覚してしまう人がいるようだ。しかし、映画を無理矢理感動的なものにしようとして、ストーリー展開に、ありえないような矛盾があることは、悪い部分が描かれておらず、郷愁だけを誘う昭和30年代の描き方にも通じるものがあると言えるかもしれない。

 映画を見るときに、ぼーっと見て、何でも受け入れてしまう人々もいるようだ。しかし、映画を見る際には、そのストーリーの矛盾などには、冷静に反応できるようでないといけない。
 そうでなければ、質の悪いプロパガンダ映画などにも簡単に騙されてしまうことだろう。

 それはともかくとして、この映画シリーズは、こんなに無理をしなくても、十分に感動的な作品にすることはできたと思う。

   本当に残念でならない。

(完)

光太
公開 2015年9月6日

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