千と千尋の神隠し


「千と千尋の神隠し」   宮崎駿 (監督) 2001年

評価: 76点


 この映画は、個人的には比較的好きだし、評価すべき点も多いのだが、一方でわかりにくいところがたくさんある。説明不足な点やいまいち納得いかない点がかなりある。

 自分がいまいち理解できなかった点のいくつかを挙げてみよう。

  • 千尋のお母さんは、普通の家族とは思えないほど冷たい感じに描かれている。だが、ストーリー全体を見たとき、そこに、それほどの意味があるようには思えなかった。強いて言えば、親が冷たいから、千尋が寂しさから架空の世界を夢想したということになるかもしれない。だが、そういう解釈でいいのかどうかもよくわからない。お母さんのあの冷たさには何か特別の意味があるのだろうか?
  • 千尋の両親は、店員がいない店にあった食べ物を食べてしまう。しかし、両親たちは、なにも食い逃げをしようとしたのではなく、店員がきたら、後からお金は払うつもりであった。もちろん、お金を払う前に店のものを食べてしまうのは、ルール違反で、決して好ましいことではない。だが、この両親の行動は、豚にされるほどの大失態なのだろうか?
  • この映画では、カオナシが非常に印象的であり、批評家によっては、カオナシこそがこの映画の主役であったという解釈をしている人までいる。だが、カオナシとは結局なんなのだろうか?カオナシの中に入っていた強欲なカエルが悪いだけで、カオナシ自身はニュートラルな存在なのか?だが、だとすると、強欲なカエルを飲み込むときの恐ろしいカオナシは何なのか?そして、カオナシの外見や醸し出す雰囲気は、そもそも非常に不気味に描かれているが、それは何を意味するのか?それに、カオナシが風呂屋に入ってくるとき、(もちろん、これはカエルを飲み込むより前の状態であるが、)何か不吉なものが入りこんだ、と言われていたが、やはりカオナシ自身に何か負の要素があるのか?しかし、だとすると、物語の最後における穏やかで無害な友達のようなカオナシは一体何なのか?
  • 終盤、千尋たちが電車に乗るシーンがある。その電車には、影のような人たちが乗っている。この影のような人たちは非常に思わせぶりに描かれているのだが、物語の中では一切説明もなく、彼らがどういう存在なのかも、何を象徴するのかも全くわからない。風呂屋の世界においては、風呂屋の中の人たちは普通の存在なのだと思われるが、列車に乗っている影のような人たちは、風呂屋の中の人たちとは種類が全く異なるように思えるのだが、この両者がどういう関係にあるのかも全くわからない。
  • 最初、風呂屋の世界では、人間が入り込んでいるとなると何か問題のように描かれており、千尋は隠れたりしていたが、少しすると、千尋は人間であることが何ら問題ないように振る舞っている。あの世界では人間というのは結局どういう存在として扱われているのか?
  • 千尋は、風呂屋の世界では千という名前になるが、千尋という名前を忘れないように忠告される。一般的に、物語で異界が描かれる場合、多くの物語では、そこにとどまって現実社会を忘れ、現実社会に復帰できなくなることは、よくないことが前提となっている。この物語でも、千尋という名前を忘れることが、それを意味しているのだとは思う。だが、タイトルにもなっているこれだけ重要な名前というテーマについて、説明が不十分で、この物語における名前の位置づけが、結局よくわからなかった。

 こういった数々のよくわからない点に加えて、メッセージ性もいまいち不明確な感じである。基本的には女の子の成長物語と言ってよいのだろう。そして、テーマは、ヘドロの神や、ハクとのエピソードから、何となく、環境問題のようにも思える。しかし、それにしては訴えが弱い。環境問題であるのなら、もっとはっきり描いた方がすっきりするのではないか。
 と同時に、もののけ姫では、自然と文明の葛藤が描かれ、単に、自然を守ろうというのではなく、文明がもたらした利点も描きつつ、両者の葛藤を描いていた。そして、この点を大きく評価している映画評論家も多かった。だが、「千と千尋の神隠し」で描いていたのが、もし環境の保護だとするなら、もののけ姫でのメッセージとの整合性はどうなるのであろうか?

 しかし、こういった不整合や意味が不明な点はあるにせよ、近年の支離滅裂に思える宮崎映画の中では、この映画は個人的にはかなり好きな方である。

 そのよさの一つは、描かれている風景が非常にきれいであることで、特に、水面の風景の美しさには卓越したものがある。向こう岸の夜の街の光が水に映る様子(余談だが、神奈川県の江ノ島から、日が暮れたころに対岸を見たとき、このシーンのような光景を見ることができて感動した。)や、電車が水面を走っていく様子、月明かりの水面など、とてもきれいだと思う。また、龍が空を飛ぶ動きもきれいだし爽快感があってかなりいいシーンである。
 また、音楽の質がかなり高く、感動的なものになっている。BGMを聞くだけでもよい気分になれる。
 それから、物語全体の世界観も、かなり独自性があっておもしろい。単なるヨーロッパの町や、その中世、または日本の田舎や山や森、近未来の世界などというのならありふれている。だが、この映画で描かれている世界は、一般人にはなかなか簡単には思いつかない発想を基に形成されており、新鮮な驚きがあった。水木しげるが独自の妖怪ワールドを作ったのと似たような独自性があり、評価に値すると思う。
 そして、主人公のキャラクターが、やや淡白だが、ふつうにいるような女の子の感じをよく表現していた。一般に、物語の主人公のキャラクター設定は、現実に存在する人間とはあまりにもかけ離れていることが多く、感情移入するのが難しいことが多い。そうした中、この主人公が、極めて普通の女の子の感覚を体現していたのは、個人的にはよかったと思う。

 もともと、映画を見る際、ストーリー&メッセージを重視する自分としては、この映画に確かに不満はあるが、よい点がたくさんある映画だと思う。
 ただ、もちろん、ストーリーは改善の余地が大きい。ストーリーに一貫性を持たせたり、映画の中で起きることに整合性的な説明をしたり、ということは、「崖の上のポニョ」の映画批評の中でも述べたが、比較的簡単なことである。「千と千尋の神隠し」についても、これで、ストーリーさえよければ、と悔やまれるところである。

(完)

光太
公開 2011年5月14日

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