ブタがいた教室 (1)


「ブタがいた教室」   前田哲 (監督) 2008年

評価: 97点


 この映画は、非常に深いテーマを扱った映画であり、また、非常におもしろかった。そして、かなり感動もした。

 ハリウッド映画や、最近のおかしなジブリ映画などとは比べものにならない優れた映画であった。
 アクションだけで中身がなく、ストーリーも単純で意味もないハリウッド映画や、最近の支離滅裂なジブリ映画を見て、いい映画だったなどと言っている人たちは、この映画を観た方がいい。


 この映画では、小学校の教師が、小学生にブタを飼育させて育てた後、最後にみんなでそのブタを食べるという試みをする過程を描いている。この試みは、子どもたちが日常食べている食べ物が、どれだけ手をかけて作られているかを、子どもたちに理解させることが主な目的である。

 これが実に感動的な映画なのである。
 感動的なのは、子どもたちがブタと接するシーンや、ブタをどうするかについて真剣に話し合うシーンから、子どもたちの感情がひしひしと伝わってくることが大きい。

 だが、感動的だからという理由だけで自分はこの映画を評価しているわけではない。
 基本コンセプトからしてかなりの評価に値すると思うのだが、それだけではなく、映画の中に、すばらしい要素が他にも非常にたくさん見られるのである。

 以下にそうした部分について説明していこうと思う。
 (感動的である、という部分については、誰でも見れば感動すると思うので、映画を見てほしい。ここでは、それ以外のことを主に論評していく。)


○ ブタを育てて食べるという試みの是非

 さて、この話は、そもそも、実話を元にしている。

 だが、ブタを育てて食べるというこの試みには、実際にも賛否両論があったらしい。

 まず、この試みに対する自分の考えを述べようと思う。

 今の社会に住む人々は、自分に都合の悪いことを見ないようにしていることが多い。
 例えば、アフリカには、毎日、飢餓に苦しんで死んでいる子どもたちがたくさんいる。だが、人々は、そういうことを本当は知っていながら、見ていないことにして、日常生活を生きている。そして、自分の目に見えやすい範囲だけに対しては、あたかも優しい人間であるかのようにふるまっている場合が多い。飼っている犬や猫に愛情を注いで、それらが病気になると、病院につれていったりする。そして、愛情を注いでいる自分自身に対しても、ペットをちゃんとかわいがっている、優しい人間なのだと思っている。
 だが、犬や猫が病気になって病院につれていくお金を、アフリカの子供たちのワクチンや食料にあてれば、それで何人かの子供の命が助かるかもしれないのである。そのお金を、いくら自分の自由に使っていいお金とはいえ、人の命を助けるのに使わず、犬や猫のちょっとした病気の治療に使うのが優しい行為であろうか?アフリカで飢餓で死んでいる子どもたちがいるのを、本当は知っているのに、知らないふりをして、なかったことにして生きるのが、本当に優しい人間のすることだろうか?

 自分は、みんなが、アフリカの子どもたちを助けるべく最大限の努力をするべきだと言っているのではない。自分も、そんなことはしていない。ここで言いたいことは、そうではなくて、我々人間とは、そして、生きるとは、そういう非情で冷酷なものだということをちゃんと理解しておくべきだと思うのである。

 肉を食べるのも、都合の悪いことを見ないようにしているという点では同じことである。多くの人は、肉をおいしいと言って食べている。だが、肉は、本当は生きている豚や牛の一部であって、その豚や牛は、もともとは誰かが愛情を注いで育ててきたものであって、それが、残酷に殺され、肉にされ、焼かれて、食卓に上るものである。だが、多くの人は、こういう残酷な真実を、わざと見ないようにしている。
 そうした過程は、畜産農家や屠殺場の人たちなどに負わせて、自分たちは、出てきた、パック詰めの肉だけを、おいしそうだといって買うわけである。

 なんというご都合主義なのか。

 食通を自認する、お金持ちの奥様方が、「このお肉はおいしそうだわね」などと言ってスーパーで肉を選び、「やっぱりやわらかくておいしいわ」などと言って食べる。
 だが、その肉が、愛情を持って育てられたあげくに残酷に殺された結果できたものなのだということを、知っていながら、なかったことにしている。
 そして、家のなかでチワワを飼い、目に入れても痛くないかのようにかわいがる。
 つまり、動物という意味では同じ対象を、一方では残酷に殺しておきながら、一方ではかわいがり、そこの矛盾をなかったことにしている。

 こういう現実というものを、我々は当然、認識しておくべきである。

 そうでなければ、ずるい。

 映画の中で、食肉センターに送る側の意見の子どもたちも、このことをつたない言葉ながらしっかりと説明しているが、これは、本当に、ずるい。

 そんな残酷な場面を子供たちにわざわざ見せる必要はない、愛情を注いで育てた生き物を殺させるという残酷な経験をさせるのは、子供たちを傷つける、といったような意見もあるが、そうした真実を隠して、なかったことにするのがまさにずるいと言っているのである。

 子どもたちが傷つくぐらいのことを実際に経た上で、肉というものが食卓にやってくるのだということこそ、深く認識しておく必要がある。

 これができなければ、肉を食べる”資格”がないのではないかと思う。これを直視できないなら、ベジタリアンになればいい。

 自分の考えは、この経験を通じて、子どもたちに食べ物の大切さを学んでほしい、というのとはちょっと違う。それよりはむしろ、どんなことでも、真実を知るべきだ、知った上で、いろいろな判断をするべきだ、と自分は思っている。食べ物は大切だと思うかどうかも、このブタが育てられ、殺され、食べられるという事実を理解した上で個々が判断すればいいと思っている。

 だが、いずれにしても、自分は、この映画の先生のやっていることには、基本的に大賛成である。


ブタがいた教室 (2)に続く!

光太
公開 2012年2月5日

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