かもめ食堂


「かもめ食堂」   荻上直子 (監督) 2006年

評価: 18点


 この映画は、想像を絶するほど退屈な映画である。
 何か特別な事件や出来事が起こることもなく、また、ストーリーをおもしろくさせるような、登場人物の間の心理的な対立などが起きることもない。ただただ延々と、淡々とした場面が流れていくのみである。自分がこの映画を見たときは、なんて退屈な映画だろうかと思いつつも、そのうち話が盛り上がってくるのだろうと期待しながら見ていた。だが、結局最後まで、大したことは起こらず、全く盛り上がることなく映画は終わった。
 こんなに退屈な映画も珍しい。
 これなら、自分の友達の日常を適当につなぎ合わせて映画にしても似たようなものではないか。いや、その方が、まだましなものができるかもしれない、と怒りがわいてきた。

 あまりにばかばかしく、また、この映画を見たことを後悔し、ネットの「かもめ食堂」の評価サイトを見てみた。自分だけでなく、この映画を見た多くの人が怒っているだろうから、それらを読むことでネット上の他の人たちと意識を共有し、この怒りを鎮めたいと思ったのである。不特定の人たちと容易に意見を共有できたりするインターネットは、こういうときも、非常に便利なものである。
 だが、その期待は完全に裏切られた。なんと、そうした評価サイトでは、好意的な評価のレビューがほとんどで、しかも、他のもっと有名な映画と比較しても非常に多くのレビューが書き込まれていることに、愕然とした。

 一般的に、平均的な人々の多くは、刺激やドラマ性を好む。だから、この映画が万人受けする映画とはとても思われない。普通の人がこの映画を見れば、多くは自分と同じような思いを持つだろうと思う。

 ではなぜ、ネットに高評価の声があふれるようなことが起きるのか?

   この映画を映画館で見た人の数は、30万人程度らしい。ミニシアター系の映画としては大ヒットのようだが、他の一般映画に比べて多くはない。ネット上のレビューの数の多さや高評価は、非常に限られた層(主には女性だろう)の、たいへん強い支持によるものだと考えられる。

 では、どういう理由でそうした層が、この映画を強く支持しているのかを次に考えてみる。

 まず第一に、この映画が北欧を舞台にしていることで、北欧にある種のあこがれを持つ人たちがこの映画を好んでいると思われる。そして、北欧では、人々は時間に追われてあくせくとは生活しておらず、時間の流れがゆったりしているというイメージがあるが、この映画はそのイメージに沿って作られているため、一部のスローライフを愛するような人たちをひきつけているということはあるのだろう。また、海外にあこがれを持つ人たちの中で、イギリスやフランス、アメリカ、カナダ、そしてオーストラリアなどは人気があるが、北欧はそれらに比べると、知名度の点でも劣っており、それほど人気があるというわけではない。だが、人々の中には、自分自身が他人と同じでは嫌だ、私は他の多くの人たちとは違うのだ、と考えたがる人がいる。そうした人たちは、自分自身が他の人とは違うことを、自分の趣向が一般の人とは違うということによって示そうとしたがる傾向がある。そうした、他の人たちからの差異化を望み、趣向に少しでも独自性を持たせたい人たちが、その差違化の一つとして、この映画を好んでいる面はあるだろう。

 また、この映画では、この食堂で出しているいくつかの食べ物がフォーカスされて魅力的に取り上げられている。特に女の人たちは食べ物に関心が強いから、こうやって食べ物がおいしそうに取り上げられていると、映画に好感を持つようである。料理番組では、もっともっとおいしそうな食べ物たちが、まさに焦点を当てて取り上げられ、親切なことに作り方まで教えてくれるのだから、そっちの方がはるかにいいではないか、とも思うのだが、映画という媒体で、ストーリーの中でこうした料理が取り上げられていると、より魅力的に見えてしまうのだろう。

 それに加えて、出演者している女優たちが、全くかわいくもないし、美人でもないという点も重要なファクターであろう。この映画には、その辺にいる、普通の女の人たち、おばさんたちのような人たちしか出演していない。これは映画にしてはかなり珍しいことである。男の人たちの多くは、これを非常に残念に思うだろうが、かわいくきれいな女性たちがもてはやされる社会において、女の人たちの中には、この映画のこういう部分に安堵感を感じる人も多いのだろう。

 また、この映画は、北欧で食堂を開くという話だが、それが、多くの女の人にとっても、実際に実現不可能なことではなく、ある程度、実際に実現可能なことであるのも大きいだろう。海外にあこがれを持つ女の人は多い。そこで暮らすこともそうだが、店を出すというようなことに憧れる人も多い。そして、それは夢としては非現実的なほど大きなものではないので、ちょっと真剣にがんばれば実現可能である。それをこの映画は体現してくれる。しかも、主人公をはじめとして、店の運営に関わる人たちはほとんどがんばっていないように見えるのに、最後は店が大成功する。

 また、最初に述べたように、この映画では、特別な事件などは起こらず、淡々とした場面が流れていくのみである。だが、刺激を求める大衆をターゲットとする映画が多い中、そうした刺激を好まない層が、アンチテーゼとして、この映画のそういう淡々としたところに、非常に強く共感していることもあるだろう。
 個人的には、確かに、世の中の映画の多くは、刺激を求めるため、ばかばかしく無用な事件を設定したり、不自然なほどにドラマティックな展開にしたりして、見ていて失望することも多い。だが、だからといって、あまりに淡々とした退屈きわまりない無意味な映画を評価するというのもいかがなものかと思う。

 さて、個人的には、この映画には、究極的な退屈さの他に、いくつもの納得できない点を感じた。以下では、それらについて論じていくことにする。

 フィンランドでオープンしたこの食堂には、最初客がほとんど来ないが、最後は客でいっぱいになる。現実社会では、いきなり、北欧に日本のレストランを開いても、うまく成り立たせるのは難しいだろうと思う。日本食は、健康にいいし、日本のレストランは北欧にはあまり多くないから、けっこう流行るのではないか、と思うかもしれない。だが、恐らく、現実はそうは甘くない。食文化の違う人たちに、食べ物を食べてもらうというのは、そう簡単なことではない。アメリカの食べ物よりはるかにおいしく、健康にもよいと思われる日本食のレストランが、アメリカにはたくさんある。アメリカ人たちは、町中で日本食レストランを日常的にも多く目にするだろうし、実際にそこで日本食を食べた経験もあるだろうと思う。しかし、多くのアメリカ人たちは、自分たちの不健康であまり豊かとも思えない食生活をほとんど変えようとしない。こうしたことからも、食文化の違う場所で、食べ物を供することの難しさはうかがえる。こういう場所で日本の食堂を開くとなれば、マーケティング調査をきっちりと行い、相当考えて有効な戦略をとっていかなければ、うまくいくことは恐らくないだろう。この映画のようなやり方では、食堂の客が増えていくことはありえないと思う。

 また、コーヒーの味がおいしくなる入れ方のシーンがある。が、映画の中の方法で、コーヒーの味が見違えるほどおいしくなることは、どう考えてもありえないと思う。普通に入れるのとほとんど何も変わらない。こういうことを書くと、「この映画が何もわかっていないな。おまじないを唱えることで、小さな奇跡が起きるというのがこのシーンの趣旨で、すてきなシーンなのだ。」などと反論する人もいるかもしれない。だが、この世界がハリーポッターの世界ならかまわないが、現実をベースにした世界の中で、明らかに味がおいしくなるとは思えないことをするだけで、コーヒーの味がおいしくなるという展開を平然と見せられると、興ざめもいいところである。そして、これでコーヒーがおいしくならないことは、簡単に証明できてしまう。実際に、自分で同じやり方を実験してみればよいのである。(当然のことだが、このとき、プラシボ効果が影響するのを防ぐ必要がある。最初から、どれがこの入れ方で入れたコーヒーかをしっている自分自身でコーヒーを飲んではもちろんだめである。これではフェアな結果は出ない。通常の入れ方のコーヒーを2杯と、この入れ方のコーヒー1杯を用意し、どれがこの入れ方で入れたコーヒーかを知らない人に、この入れ方をしたコーヒーを正しく選ぶことができるかどうかを実験するべきことは言うまでもない。)

 そして、究極的に納得できなかったのは、最終盤、プールで、いきなりたくさんの人が現れて拍手する場面である。これはいくらなんでも、唐突で不自然きわまりない。もちろん、「なんという洞察力のなさだ。これは、主人公の心象風景であって、現実ではないのだ。そんなこともわからないのか。」などと反論する人もいるかもしれない。だが、そんなことを言うのは、とにかくどんな論理を持ち出しても、盲信的にこの映画を肯定しようという無理なロジックに聞こえる。このシーンになるまで、この映画にはそんな心象風景は全く描かれておらず、このシーンがあまりにも唐突なのである。
 それなら、いっそのこと、映画の中で誰かがおもしろいことを言ったりする度に、このプールの拍手隊が出てきて拍手するというギャグっぽいトーンの映画にすればよかったと思う。

 同じ荻上直子監督の「バーバー吉野」は、非常におもしろく、自分としてはかなりの高評価の映画である。だが、「かもめ食堂」は非常に退屈で、きわめて納得のいかない映画であった。
 荻上監督には、少数でも熱狂的なファンがいるからと、「かもめ食堂」のような映画を今後も作るのではなく、「バーバー吉野」のようなすばらしい映画をどんどん生み出していってもらうことを大いに期待したい。

(完)

光太
公開 2011年6月18日

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