バーバー吉野


「バーバー吉野」   荻上直子 (監督) 2003年

評価: 97点


 自分がミニシアター系のこの作品を見ようと思ったのは、この映画に登場する少年たちの変な髪型の写真だったか映像だったかをどこかで見かけて、興味を惹かれたからである。もう一つは、少年時代をテーマにした作品が、そもそもけっこう好きだからである。
 荻上直子監督には、熱狂的なファンがいる。だが、自分はそうではない。自分は、この映画を、特に先入観なく見た。同じ監督の、「かもめ食堂」を見たが、そっちは全く受けつけなかった。だが、「バーバー吉野」は、自分はかなり気に入った。

 この映画は、かなり笑える。

 この少年たちの、まっすぐに切りそろえられた60年前のような髪型がまずおかしくてしかたない。

 今でも、ときどき、こういう髪型の子供を見かけるが、そういう子供たちの多くは、恐らく家で髪を切ってもらったのだと思う。子供が親に髪を切ってもらうというのは、ほほえましい光景ではある。だが、親たちは、通常の学校教育において、髪の毛を切るという科目を受講していないから、いざ子供の髪が長くなってきた、それを短くしなければならない、という事態に直面し、普通に切りそろえればよいだろう、と単純に思うのかもしれない。そして、中でもきちょうめんな親たちは、無意識のうちに、まっすぐに切りそろえてしまうのかもしれない。だが、そうすると、前髪は、日本人形もびっくりの、見事な直線になってしまう。
 そうして髪を切られた子供は、自分の髪が、戦時中の子供の髪のようになってしまったことに、大きなショックを受けるだろう。夜、寝ている最中に、戦時中にタイムトリップして、汚い服を着た周りの子供たちと遊んでいる悪夢にうなされる可能性もある。この髪型は明らかに、どう見ても、仮に、滝沢秀明がやったとしても、かっこ悪い。この髪型にされてしまった子供はかわいそうである。ショックのあまり、もう生きていけないとすら思うかもしれない。自分が子供の頃にこんな髪型にされたら、恥ずかしさのあまり、自殺していたかもしれない。そして、子供たちの中には、この親の大失態に対して、色をなして抗議する子供も多いだろう。そして、多くの親は、たとえ子供の抗議を受けなくても、自分の失態を目の当たりにして、自らの罪深さを深く悔いることだろう。おお、まっすぐにハサミを入れると、こんな風になってしまうか...。私は、我が子の心に、なんとひどいことをしてしまったのだろう...。子供が心的外傷後ストレス傷害になったら、私の責任だ...。神よ、もしもいるのなら、私のこの深い罪をお許しください...。 そして次回からは、ハサミを縦に入れるようになるだろう。学習である。だが、中には、学習しない親たちもいる。そうなると、延々と、その子供たちはこの髪型にされることになる。残酷きわまりないことである。このような不幸な家庭に育った子供たちが、学校でからかわれたりいじめられないことを祈るばかりである。
 ところが!、である。この映画では、よりによって、髪を切るプロフェッショナルである床屋によって、この不幸きわまりない髪型にされてしまうのだ!これは、まさに前代未聞のたいへんな事態である。
 この悪名高い髪型をした少年たちをまじまじと撮るこの映画のおもしろさは、なかなか他には例を見ないほど絶妙なものなのである。

 それから、変な髪形をして変な服を着たした少年たちが、田んぼでハレルヤを歌うシーンも見ていておかしくてしかたない。あの白い、カッパのような、白衣のような、床屋で髪を切るときに着せられる髪よけのような服はなんなのだろう。
 そして、歌う場所は、ホールでも、学校の講堂でも、公民館でもなく、なぜか田んぼなのだ。
 さらに、田んぼの中の少年たちの配置も絶妙だ。合唱をするなら、普通なら整然と整列して歌うところだが、そうではない。少年たちが、ところどころに点々と、まるで荒れ地に生える雑草のごとくに、かたまって歌っている。意味がわからないが、えもいわれぬ笑いがこみ上げてくる。

 映画館では、笑いをこらえるのがたいへんだった。

 さて、この映画では、この町の少年たちは、一人の床屋によって、全員が、この変な髪型にされている。そして、少年たちは、それをずっと当然のこととして受け入れてきた。それ以外の世界を知らなかったからである。

 しかし、この髪型に疑問を持たず過ごしていた少年たちは、自分にとっては他人事ではない。自分は1980年代に小学生だったが、毎日登下校の際には白いヘルメットをかぶるのが決まりだった。かっこいいヘルメットではなく、工事現場でおじさんたちがかぶっている、かなりかっこ悪いあの白いヘルメットである。そのヘルメットを登下校中に脱ごうものなら、先生に言いつけられた。夏の暑いときなどは、たいへんである。そして、小学1年生などは、まだ頭の大きさも小さいので、ヘルメットをかぶった姿は見るからにかなり重そうであった。だが、脱いではいけないのである。そして、自転車に乗るときも、そのヘルメットをかぶることが義務づけられていた。かぶっていなければ不良呼ばわりされた。
 そして、自分は、日本中、どこの学校でも、小学生たちは同じように白いヘルメットをかぶって学校に行っているものとずっと思っていた。これが全国標準でないと知ったのは、大学生になってからである。
 なぜヘルメットをかぶるのか?それは、交通事故で死ぬのを防ぐためということであった。そして、小学校の毎週月曜の朝礼では、毎回校長先生が話をするのだが、ヘルメットをかぶることがいかに重要かという話が、かなりの頻出トピックだった。こうやって、ヘルメットをかぶることが、人生において、なによりも重要なことであるかのように、繰り返し、継続的に刷り込みを受けて育ってきた子供たちがたくさんいることは、なかなか興味深い。
 だが、これには意味不明な点があった。登下校時に歩くときはヘルメットをかぶらねばならず、自転車に乗るときもかぶらなくてはいけないのに、学校から帰ってきてから、友達の家に歩いて遊びに行くときには、ヘルメットをかぶらねばならないという規則はなかった。これに対してどういう論理的説明が可能なのか、実に興味深いが、当時、子供たちは、この規則を、神から授かったもののごとく粛々と守っていたのである。

 さて、話を「バーバー吉野」に戻そう。この独特のほのぼのした妙な雰囲気を作り上げた監督はすごいと思う。仮にこの世界観にはまれなかったとしても、この映画を見ると子供の頃のことがリアルによみがえってくる。特に、男の人は、子供の頃を思い出して、かなり懐かしい思いを持つのではないだろうか。

 また、少年たちの、この吉野刈りという慣習へのささやかな抵抗を見ていて、自分は、「ぼくらの七日間戦争」を思い出した。映画の中の少年たちの成長を見ながら、少年たち、がんばれと声援を送りたくなる。
 そして、見終わった後はさわやかな気分になれる映画である。

 この映画の中の、東京から来た転校生の坂上くんがとにかくかっこいい。実際にいたら、学校中の女の子たちからはかなりもてそうだ。いや、他校の女の子の間でも有名になるかもしれない。そして、男の子たちからも、憧れの存在になるだろう。

(完)

光太
公開 2011年5月30日

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