○ 新しい二十四節気
2011年、日本気象協会が、日本の気候に合った、新しい二十四節気を作ろうと提案した。
まことに結構な試みである。
今までの、実態に全く合わないおかしな言葉を、科学的に意味のある言葉にしようというのだから、非常に評価できる試みである。
二十四節気でおかしいのは、立春、立秋などにとどまらない。あまり知られていないが、11月22日頃の小雪、12月7日頃の大雪もおかしい。日本の大半の地域において、11月22日に雪が降ったり、12月7日頃に大雪が降ったりすることはない。また、小満、芒種に至っては、知っている人はほとんどいないし、もはやこれらの漢字を見ても、その意味すら分からない。
こうした中で、より季節にあったわかりやすい言葉ができれば、多くの日本人にとって、その言葉から、まともな季節感を受けることができるようになり、多くの人が、季節をより深く感じることができるようになるだろう。
自分は、この試みに、心の中で喝采していた。
ところが、である。
この、まことに重要な試みは、反対の声が多くあがったため、とりやめになったそうである。
特に、俳句などをやっている人たちなどから、これまでの季語と変わってしまう、などという声が上がったらしい。
何たることか...。
まず、この気象協会の試みは、何も、俳句など、個々の分野に、その新しい二十四節気を強制するものではない。
本当の季節感に合った、まともな言葉を、みんなで作っていこうというものであり、とりあえずやってみようというものである。世間の人がそれを使うようになれば、それはそれでいいだろう、というくらいのものだったと思う。
俳句の世界がそれを採用したくなければ、採用しなければいいだけである。
なのに、人のやることに反対する筋合いはない。
まともなことをしようとしている人を、自分たちが直接の影響を受けるわけでもないのに阻止するなど、厚かましいにもほどがある。
それに、(これは当然、個々人やグループの自由な判断に任されることではあるが、)個人的には、俳句の世界だって、その新しい二十四節気を、むしろ積極的に取り入れていけばいいのではないかと思う。
どんな世界も、不合理な点は改良していくべきである。そうした努力をしていかなければ、その分野は、そのうち世間からかけ離れていき、廃れるだけであろう。
これまでとの継続性は多少考慮してもいいが、著しい不合理があったら、それは速やかに改めればいいのだ。
過去には、女性には投票をする権利がなかったが、それを伝統としていつまでも続けるのは不合理である。
また、過去、日本には、肉を食べる習慣はなかったが、そんなことを伝統として守っていくのは間違っていると自分は思う。
俳句だってそうである。
(その分野の多くの人が嫌なら無理してそうすることはないとは思うが、)個人的には、どんどん、本当の季節を表す言葉を取り入れていけばいいと思う。
これまである程度頭打ちになっていたかもしれない文化において、そういう新しいものを取り入れることで、また、一気にいろいろな可能性が花開いていくということもあるだろう。
技術でも文化でもそうだが、時代を切り開く新しいものが発明されたり、これまでの文化に、新しい技法が取り入れられた場合など、その後に一気に、その技術や文化が発展したというのは、歴史上、いろいろな例が見られる。
そういうものに抵抗しているようでは、時代に取り残されて終わりだろう。
俳句界を中心に、「実際の季節からすると不合理かもしれないが、この二十四節気は、長く使われてきたものであり、日本の文化として根づいているのだから、変えるべきではない。」などという反対の声があがったそうだが、そういう思考をしていること自体、かなり恥ずかしいことであると自分は思う。あまりにも視野が狭すぎる。よくもそんな恥ずかしい言葉を堂々と口にできるものだと、聞いている方が恥ずかしくなる。そんな人たちは、女の人に投票権がない社会で、肉も食べずに生きていけばいい。もっと言えば、大昔は文字もなかったのだから、文字を書くなどという、それまでの伝統を破壊する行為をすべきでもないだろう。
まあ、いずれにしても、それは、それぞれの文化に関係する人々が決めていけばいいことだが、他人のやることや世間の流れを、自分たちのこれまでのやり方に合わないからと反対してつぶしてしまうのは、やめてもらいたい。
○ 最後に
いずれにしても、こんなにおかしな言葉を、したり顔で使うのはもうやめよう。
日本を含め、ヨーロッパやロシアや北米など、中緯度の地域には四季が存在する。
季節にあわせて、動物や植物が活動する。そして、それは我々の周囲の景色をも大きく変える。
すばらしいことである。
実際の季節に合わない、不合理で季節感のない言葉を、強弁して無理して使うのをやめ、本当に季節に合った言葉を使うように変わっていこうではないか。
そうすれば、日本にすむ人たちは、そういう言葉を通じて、季節というものをより適切に、より深く感じることができるようになるだろう。
(完)
光太
公開 2014年3月21日