二十四節気 〜立春・立秋〜 (1)


 非常に怒っていることがある。

 それは、二十四節気、というやつである。

 二十四節気というのは、もちろん、秋分、夏至、立春、大寒...、といったものである。

 これらの中で、春分、秋分、夏至、冬至といったものは、まあいい。言うまでもなく、これらは、太陽の動きに関係して決められた日である。昼と夜の時間が同じになる日、太陽高度が最も高くなる日と低くなる日である。
 これらについては、多くの人が、それらの日の科学的な意味を知っているだろうから、まあいい。
 名前のつけ方が、やや誤解を招く可能性はあるので、もっと適切な名前をつけた方がいいとは思うが、まあ許容範囲である。


○ 立春なのに寒い、立秋なのに暑い...

 一番いやなのは、立春、立秋である。

 これらは、年によって少し変わるが、立春は2月4日頃、立秋は8月7-8日頃である。

 テレビなどでは、立春には、「今日は立春です。暦の上ではもう春なのに、まだまだ寒いですね。」「暦の上では春なのに、今日は雪が降りました。」などとよく言っている。
 また、立秋には、「今日は立秋です。暦の上ではもう秋なのに、まだまだ暑いですね。」「暦の上では秋なのに、熊谷では39℃を記録しました。」...。


 これが一番いやである。

 非常にばかばかしい。

 こんなコメントをするキャスターたちの知性を疑う。

 だいたい、2月4日や8月7-8日というのは、一年で一番寒い時期、暑い時期に当たる。そして、そんなことは誰でも知っている。一番寒い時期、暑い時期を、春とか秋とか呼ぶ方がおかしいことは、誰でもすぐにわかる。
 立春なのに寒いことや立秋なのに暑いのがおかしいのではなく、一番寒い時期を立春と呼び、一番暑い時期を立秋と呼ぶことの方がおかしいのである。

 そして、言うまでもなく、「残暑」という言葉もおかしい。8月7-8日頃の立秋を過ぎたら、「残暑」という言葉を使う、ということになっている。しかし、夏の一番暑いこの時期を「残暑」などというのは全くおかしい。9月の中旬くらいまでは、毎年暑い。これは、暑さが残っているのではない。そもそも暑い時期なのだ。8月中旬に「暑中見舞い」を書こうとして、「いや、この時期は「暑中」を使うのではなく、「残暑」を使うのだ。」と注意された人もいるだろうが、本来暑いこの時期に「残暑」などという言葉を使う方がよっぽどおかしい。
 8月中旬に「暑中」という言葉を使う人に対して、したり顔で、「残暑」という言葉を使うように忠告する人間は、はっきり言って、相当浅はかな人間であると思う。こういう人間は、世間のしきたりや決まりというものを、ただ知っているだけである。何かを知っているというのは、知らないのに比べれば多少いいかもしれないが、重要なことは、それは知った上で、それがなぜそうなっているのか、そして、それは合理的なことなのか、それは改善の余地がないことなのか、などをじっくり考えることである。それが知性というものである。何かをそのまま覚えて知っているというのは、かなり単純で初歩的なことである。知っている内容だけを、さも重要であるかのように人にひけらかすのは、その人間の底の薄さを示している。
 繰り返すが、おかしいのは、8月中旬に「残暑」という言葉を使う人間ではなく、「残暑」という言葉を、最も暑い時期に使うことになっているという点である。本当に思慮深くまともな人は、「この時期には「残暑」という言葉を使うことになっているが、それはおかしいことなのだから、それを変えていく第一歩として、「暑中」という言葉を敢えて使うのもいいでしょう。さらに、なぜその言葉を敢えて使っているかという説明を「暑中見舞い」に書くとなおいいでしょう。」などと忠告するはずである。

 ...と、どんどん怒りが沸いてくるが、気を取り直して論じよう。


○ 立春、立秋とは何か?

 立春は、「春」といっているが、我々が普通に使っている「春」とは関係ないと思っていい。

 せっかくなので、どうしてこうなっているかを簡単に説明しよう。

 まず、冬至とか春分とかは、太陽の動きで決まっているから、そういう意味では、それ自体は正確である。そして、立春というのは、この、冬至と春分の中間の日である。
 冬至が冬のど真ん中、春分が春のど真ん中なら、春の始まりとして、その中間の日を立春と決めてもよいだろう。しかし、そうはなっていない。先ほども書いたように、確かに、冬至は日中の長さが一番短い日であり、春分は、日中と夜間の長さが等しい日である。だが、温度が一番低い日は冬至の日ではない。そして、温度が年間の中間くらいになる日は春分ではない。一番寒いのは1月下旬であり、温度が中くらいなのは、4月下旬である。つまり、温度は、太陽の動きより1ヶ月から1ヶ月半程度遅れるのである。したがって、これを考えずに、冬至と春分の中間を春の始まりの日だと機械的に決めると、おかしなことになる。むしろ、冬至、春分を、それぞれ、冬の始まり、春の始まりとした方が(若干遅れる感じになるが)はるかにましである。

 では、なぜ、太陽の出ている時間が一番短いときが一番寒いのではなく、昼と夜の長さが同じ日に、年間の中間の気温にならないのか、と誰でも思うだろう。
 それは、実は簡単なことなのだが、このエッセイで科学的な内容を論じると、飽きてしまう人もいるかもしれないので、ここでは論じない。興味のある人は、個々で調べてみるといいだろう。ヒントは、海面の温度と水の熱容量である。

 ここまで、立春や立秋について書いてきたが、11月7-8日頃の立冬、5月5-6日頃の立夏も同様である。これらはいずれも、秋真っ盛り、春真っ盛りのころである。


 自分は、こんなばかげた言葉をいつまでも使い、「立春なのにまだまだ寒い」とか、「立秋なのにまだまだ暑い」とか言っている人の知性を疑う。
 こういう人たちは、与えられたものを、自分で考えることもせずに、当然のこととしてただ受動的に受け入れる人たちである。物事を考えようという姿勢も、考える能力もないのだと思う。こうした人たちには、新しい文化や技術を生み出すことも、新しい時代を作っていくことも、社会を改革していくことも決してできないだろう。


二十四節気 〜立春・立秋〜 (2)に続く!



光太
公開 2014年3月21日

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