ノルウェイの森 (1)


「ノルウェイの森」   村上 春樹 (著) (講談社文庫) 1987年

評価: 76点


 この小説は、自分が初めて読んだ、村上春樹の小説である。

 この小説の文体は、とにかく読みやすい。読みやすさが、村上春樹のセールスポイントなのだろう。村上春樹ファンはたくさんいるが、こうした読みやすさが、人気があることの理由の一つだと思う。だが、個人的には、そうした理由だけで村上春樹の文章を好むというのは、いささか底が浅い趣向だとは思う。

 もちろん、同じことを書くのであれば、読みやすく書くのは非常に大事なことであり、歓迎すべきことである。同じことを書くのにわざわざ難しく書くのは、読む人に失礼である。哲学書などの中には、非常に難解な言葉を用いていて、1ページを1時間かけて読んでも、意味が不明なものがある。自分は、そんな文章を書く人々はばかなのではないかと思う。人にわかってもらうつもりがないのだろうか?分かりやすい文章を書くと品格が落ちる、または浅はかだと思われることを恐れているいるのだろうか?それとも、その人自身がよくわかっていないから、わかりやすく書くことができないのだろうか?若しくは、わかりやすく書くと、その内容の浅さを多くの人が理解してしまい、低い評価を受けたり、容易に反論されてしまうリスクにおびえているのだろうか?
 だが、内容に自信があるのなら、少なくとも、多くの人に読んでもらう文章を書くに当たっては、読みやすい文章を書くべきだと思う。
 しかし、一方で、読みやすいからという理由で、内容が全くないのにこの作家のファンになるのはどうかと思う。村上春樹のファンを自認する人々には、自分が村上春樹の小説を好きなのは、単に文章が読みやすいからという理由ではないかどうか、もう一度自問してみることを薦める(もちろん、内容はないことはわかっているが、読みやすいから好きでどこが悪い、と堂々と開き直ってもらってもいいのだが...。)。

 さて、この本にはセックスの描写が多い。
 現代は、ほとんどの人がインターネットを利用しているから、誰でも手軽に、家族などに証拠を残すことなく、セックスを扱った文章を読むことができる。しかし、以前は違った。セックスを赤裸々に描いた本を、家族に見つからないように家の中においておくことは容易ならざる技であった。また、そういった外的な要因でなくても、まだ若い女の子たちの中には、セックスに関心があるなんて不潔なことだとか、ふしだらなことだと何となく漠然と考えている子たちもいる。そういう子たちは、自分自身がエロ本を読みたいなんていうのは、自分自身が汚らわしいと感じてしまうことがあるのである。
 だが、この小説は、文学作品の顔をしている。実際には、この小説には高尚なメッセージなどは全くないので、結局は、中身はストーリーつきのエロ本と変わりないと思うが、まことに好都合なことに、文学作品の顔をしているのである。
 つまり、セックスに関心がありながらも、関心があると公言することに恥ずかしさを感じる少女たちは、この本を読むことで、文学作品として堂々とそうした描写を楽しむことができるのである。こうした点は、この作品の売り上げが伸びた理由の一つだろうし、そういう文章は社会にとって必要だろうと思う。


 さて、この小説は、次を読みたいと思わせる展開になっているため、害のない架空の物語だと割り切れば、十分楽しめるのだが、読んでいて気になった点もいくつかある。次に、そうした気になった点について述べていきたい。

 この小説には、自殺が頻繁に登場する。物語の中で自殺する、または自殺した人物は、計4人である。だが、自殺を多用して読者の気を引くのは、小説として品がないと思う。一般的に、自殺は、現実社会でもそうなのだが、どうしても謎を残す場合が多い。したがって、自殺というモチーフを使うことは、読者に先を読ませるとしては有効かつ容易である。だが、この小説の自殺の多さは、やはりやり過ぎだと思う。一つ一つの自殺に込められた意味が、小説中で全く消化されていないと感じる。なぜ、この登場人物は自殺したのだろう、という問いの答えを求めて先を読んでいく読者の気持ちを裏切り、結局、その意味が不明なままで、読者には、不可解な気分だけが残る。

 そして、登場人物たちはいずれも、人間としてのリアリティが全くない。こんな人々は、現実には存在しない。欲求も感情も感じられず、ひたすら淡々としている。したがって、この小説から、現実の人間関係に重ね合わせて何か有益な示唆を得ることはないだろう。

ノルウェイの森 (2)に続く!

光太
公開 2011年5月30日

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