この作品には、一見、思わせぶりなフレーズがたくさん出てくる。それらを、哲学的だとか、深遠な意味を持つ名言だとか、釘づけにされたとか評する人もいる。
だが、そのひとつひとつをきちんと考えてみると、それらは単なる思わせぶりなフレーズであって、中身がないように思う。中には全くおかしいものもあるし、そもそも何の意味もないものもあるし、別に当たり前のものもある。
これらが本当に深いことを言っているかどうか、読者は一つ一つじっくりと考えてみたほうがよいと思う。
以下、例を挙げる。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
これに引き込まれたという人もたくさんいるのだが、別にどうってことないフレーズである。
なぜなら、一般的に言えば、完璧なものはなかなかないからである。
ここで、2文目の「絶望」を「ワイン」に変えてみたまえ。それでも意味が通るだろう。「ワイン」ならまだサマになっているが、「カレーライス」にしてもいい。さらに、1文目の「文章」を、「成功」や「満足」などに変えてもいい。文章として、やはり深遠な感じを受ける人は受けるのではないか。
これは、一般的に言えば、完璧なものはほとんどないと言えるので、何にしてもこのフレーズは成り立つからである。
ここで、終わってもいいのだが、さらに、思索を深めてみよう。
実は、完璧な文章は存在する。
次の文章を読んでよく考えてもらいたい。
「私は人間である。私はいずれ死ぬ。」
どうだ!まいったか!
この文章は正しい。完璧に正確である。そして、これは、単なる科学的に真の命題なだけではない。
これは、全ての人間が、いずれ死ぬことを示唆している。そして、大いなる無常観を読む者に与える。したがって、このごく短い文章の文学性も非常に高いのである。
この文章は短いが完璧であり、これだけで、村上春樹の文章よりはるかに深い内容を読む者に伝えるのに成功しているのである。
「あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない。」
年を取っても常に学ぼうとする姿勢を持つことが重要だということくらい、言い古されたことだろう。
また、そういう姿勢を持っているからと言って、年を取るのが苦痛の人もいるだろうから、ここに普遍性があるとも思えない。
「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」
わざとわかりにくくしているとしか思えない。
例えば、「文章をかくという作業は、自分をとりまく事物を思考することである。必要なものは感性ではなく、思考力だ。」。
こちらの方がはるかに的確である。
「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」
ここには恐らく、人間は全て歳をとっていってしまうこと、それぞれの人間にとって、永続的に一緒に共にあるものは存在しないこと、そして、時間というものは止められないし逆らうこともできず、この世界の全てのものはそれに乗っかっていくしかない、といった意味が含まれていよう。それらに改めて気づかせてくれるという意味では、このフレーズは多少深みがあるかもしれない。
「もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じさ」
これを次のフレーズと比べてみよう。
「もし、この宇宙に人間が一人もいなかったら、何十億光年も広がるこの広大な宇宙は存在しないのも同じさ。」
こちらのフレーズは、深遠である。だが、これに比べると、村上春樹のフレーズは、はるかに不正確で陳腐なものに見える。
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」
ここには、一見、多少みるべきものがある気にもなる。だが、これを次の文章と比べてみよう。「楽観的な人に、悲観的な人の気持ちはわからない。」「成功している者には、失敗している者の気持ちはわからない。」こちらの意味は明白であり、重要なことを指摘している。さて、村上春樹のこのフレーズは、それに比べて本当に深いかどうか...。
以上のように、少し具体的に簡単に論じてみたが、洗練された読者には、これらのフレーズは陳腐だと見抜かれるのではないだろうか。
さらに、完全に蛇足だがちょっと付け加えておこう。
「何故人は死ぬの?」「進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。もちろん、これはひとつの説にすぎないけどね。」
全くの誤り。生物が死ななければ進化することはないが、進化しているから死ぬわけでは全くない。
「真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ。 」
そうやって芸術を生み出した人もいたのは事実だが、そうでない芸術家もたくさんいる。こうした文章を真に受けて、変な影響を受けないことを願う。
いずれにしても、この小説は、人間描写があまりに浅く、メッセージ性なども全くなく、何の意味もなくたくさんの死を持ち出し、また、思わせぶりなフレーズはたくさんあるが思わせぶりなだけで何の内容もない。個人的にはこの小説は全く好きになれなかった。
(完)
光太
公開 2011年8月13日