風の歌を聴け (1)


「風の歌を聴け」   村上 春樹 (著) (講談社文庫) 1979年

評価: 3点(100点満点中)


 この作品は村上春樹のデビュー作ということである。

 だが、個人的には、この小説は全く好きにはなれなかった。

 内容が全くない。
 そして、エキサイティングな展開も、現実味も、機微にいる心理描写もない。

 村上春樹の「ノルウェイの森」は、不満な点も多かったものの、評価できる点もあったため76点としたが、こちらは全くだめだった。

 それどころか、あまりの内容のなさに、読んでいて、怒りが沸いてきた。

 まず、この作品の文体は、一般的な文章の書き方とは違い、断片的な文章のつなぎ合わせのようになっている。だが、自分は、これが斬新でおもしろい試みだとは思わない。そんな書き方をしても、理解しづらくなるだけでバカバカしいから賢明な他の人々は採用しないだけである。それでも本当に初めての試みなら意味もあるかもしれないが、もちろん初めてですらない。時折、奇をてらってこういうことをしようとする人はいるが、失敗に終わるだけで、意味がないから、この手法が多数派になっていかないだけである。
 また、この作品は、いかにも重要な意味が隠されているかのように時間軸もばらばらに構成されている。しかし、そこに大した意味があるようには思えない。そこに何か深遠な伏線があるなら、そうしたことは価値ある試みになりうるが、そうした洗練された構成でもないのだから、これは文章をわかりにくくするだけでくだらないことである。

 そして、この作品では、洋楽の曲名やアルコールの名前をいろいろと使ったり、ハートフィールドという架空の外国人作家の名前を持ち出してきたりしている。いかにも、クールでかっこいいだろう、と言わんばかりにこういうものが文章中にちりばめられているのだが、個人的には、こうしたものはただ気取ろうと無理をしている文章にしか思えなかった。

 普段生活していて、実際にも、こういう感じのことを話す人々に出会うことがある。英語好きや外国人好きな人たちに多く、性別では、圧倒的に女の人たちに多い。しかし、自分はそういう人たちとの会話があまり楽しいとは思えない。もちろん、興味の対象が日本のもののみというのは、視野が狭すぎるといえよう。興味の対象を日本だけにとどめず、海外に興味があるのは、まことに結構なことである。もし、そうした人たちが海外の文化や習慣を題材にいろいろと考察し、自分なりの深い考えを披露してくれたりするのであれば、それはおもしろいし、非常に価値ある行為であると思う。だが、彼らのほとんどは、ただ、そういう外国人の名前や歌のタイトルを出してきて、その知識や好みがさも高尚なことでであるかのように話していることが多い。
 だが、それは、そういうことを好きな自分自身に酔っているだけで、非常に薄っぺらいことのように思える。
 この「風の歌を聴け」の文章を読むと、そういう人たちのことを思い出す。

 また、不満に思った第三点目は、この作品に出てくるどの登場人物も、人間としての心の動きを持っていないことである。登場人物たちには、人間的な意思が全く感じられず、ただただ淡々としている。現実にこんな人々は存在しないだろう。よくもここまで非現実的な人間を登場人物にできるとかえって感心してしまう。彼らは嫌なことがあっても嫌と思わず、うれしいことがあってもうれしいと思わず、悲しいことがあっても悲しいと思わないのである。これほどまでに現実味のない人々では、どんなストーリーを設定しようともはや意味をなさないであろう。こうした人々は、人間の性質どころか、生物としての性質を大きく逸脱している。いっそのこと、そういう不自然な生命体で構成される社会を描くSF作品にでもすれば、かなり興味深い作品ができるかもしれない。

 不満に思った点はまだまだある。
 この作品には何人かの人の死が出てくる。通常、人の死とは、人間や社会にとって、最大のイベントと言ってもよい。死は、多くの人にとって、最も大きな心理的作用を与える出来事であり、極めて重要な意味を持つ。だから、死は、当然のことながら人々の関心をひく。だが、この小説では、死という大きな事象を持ち出しておきながら、それらの死の詳細が小説中で語られることはない。
 死を小説中にただただ羅列し、意味ありげに謎めかし、しかも文中には、それを解釈する何の手がかりもない。こうしておいて、読者に対して、後は勝手に想像してくださいよ、という文章は、卑怯であると思う。村上春樹は、死や精神疾患が好きなのかもしれないが、そういう言葉をちりばめて読者の気を引こうというのは、手法としていかがなものかと思う。

 それから、登場人物たちの年齢の設定がかなり非現実的である。彼らの行動や発言、心の動きなどを考えると、本当は、ここで設定されているより、みんな10歳近く年上だろう。年齢を十代後半あたりにすれば、当然、人物たちの容姿は魅力的になり、想定される感性はみずみずしくなる。だが、実際のその年代の人たちは、この登場人物たちのような考え方はしないし、このように落ち着いてもいない。であるのに、それを年齢が低いように設定している。そんなふうにして人物の魅力を高めようというのは、小説における人物の描き方として姑息ではないだろうか。
 子供向けのアニメでは、世界が危機に陥ったとき、経験豊富で知識もあるはずの大人たちをさしおいて、子どもの主人公が世界を救う。子どもにとって、これは非常に魅力的な設定である。だが、大人が見れば、「それはあり得ないよ。」「子供向けだからね。」と、相手にされないだろう。

 そして、次が一番訴えたいところである。

風の歌を聴け (2)に続く!

光太
公開 2011年8月13日

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