箱男 (1)


「箱男」   安部 公房 (著) (新潮社) 1973年

評価: 42点


 安部公房の小説は、これまで読んだことはなく、この小説が初めてであった。
 安部公房の小説は、発想がおもしろいらしいことはなんとなく知っていたので、読む前から、かなり期待を持っていた。

 確かに、この箱男という小説も、かなりおもしろい発想がベースになっている。

 そして、この小説は確かに、世間や人間からの逃避(隠遁)、見る(覗く)ことの快感などを描き、小説における語り手(記述者)の問題などを提起しているとは言えるのだろう。

 まあ、そういう部分は確かによく表現されていておもしろいのかもしれないが、自分はこの小説を読んでかなり不満が残った。


○ 気づかないはずが...

 まず、第一に不満に思ったのは、町中の箱男の存在に周囲の人々が気づかないという不自然さである。

 段ボール箱をかぶって生活する人間という発想はかなりおもしろい。その発想は非常に高く評価できる。

 ところが、段ボールをかぶった人間が、町中にいて、歩いたり食べ物あさりをしたり、店頭のものを盗んだりしているのに、周りの人たちが気にもとめず、存在にも気づかないなど、どう考えてもありえない。

 大きな段ボールがその辺に置いてあるだけでも、普通は目について片づけられてしまうだろう。しかも、段ボールに窓がついていて、中から人が不気味に外を注視しているということになれば、警察に通報され、警察が駆けつけて終わりだろう。だが、百歩譲って、その場合はまだ、誰にも気づかれない可能性もあるかもしれない。
 しかし、段ボールの中に人が入っていて、段ボールから二本の足が出て、その辺をのこのこ歩いていたら、人に気づかれないはずはない。気づかれないどころか、目立ってしょうがない。段ボールをかぶって歩いている人を見つけたら、みんなが注目し、人垣すら作りかねない。現代であれば少なくとも携帯をとりだして写真を撮るだろう。そして、次々にFacebookやブログに写真をアップロードするだろう。

 これは、大きな問題である。
 箱男は、人から見られるのが嫌で、人から気づかれたくない存在であるはずなのに、実際には最も注目されてしまうはずの存在なのである。
 小説の根幹に関わる部分に大きな欠陥があるように思えるのである。

 ただ、もしかしたら、安部公房はそういう批判から逃げられるのかもしれない。

 例えば、見られたくないと思ってしている行動は、実は一番見られているのであるといったような隠れた逆説を表現している、などという逃れ方もまずは思いつくだろう。
 だが、文章中で、箱男に誰も気づかないと言ってしまっていることから、こういう言い逃れはできないと思われる。隠れているつもりが実は注目されているなら、少なくとも、誰も気づかないとは書いてはいけないはずだが、そうはっきり書かれてしまっているから、こういう逆説を表現しているとはもはや言えまい。

 また、もう一つは、この不自然さが、この文章全体が虚構であることを明確に示しているという逃れ方である。こんな箱男のような存在が周囲に気づかれないはずはないのに、文中では気づかれないと書かれているところから考えて、この文章全体が誰かの単なる妄想であるということはわかるだろ、というわけである。
 実際に、この小説では、途中から、これは箱男の箱の中の落書きでした、的な展開になる。だんだんそれすらよくわからなくなってくるわけだが...。いずれにしても、まあ、とにかく、そういうことであれば、とりあえず、「誰も気づかない問題」に対しては、矛盾のない答えが与えられる。

 しかし、である。
 こういう展開は、はっきり言って、不愉快である。

 ちょっと話がそれるが、ここで、こうした展開について書いてみたい。

 こうした展開は、何もそれほど驚く展開でもなく、どんでん返しをしてやろうともくろむような小説としてはそこそこありふれた展開である。こうした「世にも奇妙な物語」的展開は、SFなどではよく用いられる。

 だが、最初からなんでもありのSFならともかく、この種の小説でそんなことをしていったい何がおもしろいのだろうか。
 そもそも小説というものはノンフィクションでない限り、当然ながら虚構である。だから、どんな小説でも、最後に、これは誰かさんの夢でした、と終わらせることは可能である。
 だが、そういう展開は、心地よいものではない。例えば、「白い巨塔」や「シャーロック・ホームズ」や夏目漱石の「こころ」を読んでいたら、いきなり最後に、これは誰かの夢でしたということになって中途半端に終わってしまったりしたらどうであろうか。
 そんなことばかりされたら、小説を読むのがばかばかしくなって、小説を読む人はほとんどいなくなるだろう。個人的には、発想としてはありふれたこういう展開は、別に驚きもなく、ストーリーを破壊してしまうだけだと思うし、不快に感じる。
 それとも、こうした発想は現代ではありふれていると言えるが、この安部公房の時代には、これはあまりまだ使われたことのない非常に斬新な手法で、人々はこの展開に大いに驚嘆し、驚き拍手喝采たのだろうか?
 だが、いずれにしても、少なくとも、現代においては、この展開は、むしろ陳腐なものになってしまっていると言えよう。


○ さらに、さらに、不自然さがいっぱい...

 さて、箱男が周りから気づかれないということの他にも、この小説には不自然なところがいろいろある。

 箱の中に生活に必要な物が格納されている様子について、小説中に記述があるのだが、小さな箱の中に、どうやって、生活に必要な全てのものが収容できるのかよくわからない。説明されているものだけでは、とても現実的に箱の中で生活できるようには思えないのだ。例えば、服や下着はどこにおいてあるのだろうか...。
 さらに、いろいろ疑問は沸いてくる。箱男はどうやって寝るのだろうか。そして、夏の暑さについては書いてあるが、冬はどうするのか。沖縄でもない限り、冬はかなり寒いはずだが...。雨の日はどうするのか、多少の対策はしてあるにしても、強い風などで箱が濡れたらどうなるのか...。

 箱の作り方や箱の中の様子を書くところがやけに具体的に描写されているので、ある程度写実的なストーリーという前提で小説に入り込むと、現実に考えて意味不明な点が次々と浮かび上がってきて混乱しまう。これは、ちょっと小説としていかがなものか。

箱男 (2)に続く!

光太
公開 2012年6月17日

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