一千兆円の身代金


「一千兆円の身代金」   (フジテレビ)    香取慎吾 (主演)     2015年

評価: 93点


 このドラマは、普通の2時間ドラマだったので、気軽な気持ちで見始めた。

 しかし、これはかなりいいドラマで、見始めてすぐに、目が離せなくなった。

 やはり、国の借金の返還を身代金にして誘拐事件を起こすという発想がいい。

 結局は、それが本当の目的ではなかったのだが、嘆願ブログで国の借金を憂いていた犯人の想いは本物であろう。


○ 日本の借金

 日本の借金は、たいへんなものである。なのに、政治家のほとんどは、まるでそんな問題はないかのように振る舞っている。
 これがどんなに重大な問題なのかは、「少子化」で少し論じているので、読んでみてほしい。
 非常に危機的な状況にあるのに、政治家たちは、へらへらとして膨大な借金を続けている。
 これを少しでも減らしていく努力をしないと、将来たいへんなことが待っているのに、IMFが警告しても、日本の国債の格付けがサウジアラビア、韓国、中国などの国債より下がっても、政治家たちは、この問題を無視し続けている。信じがたいことだ。
 日本は実は税金が非常に安いのだが、政治家が無責任で有権者たちの気分を損ねたくないため、その事実さえ、国民に説明しようとしない。消費税は、欧米諸国では20%程度以上だが、日本は高齢者の割合が圧倒的に高く、社会保障費に膨大な予算が使われるため、本来、消費税はもっと高くしなければならない。しかし、それも説明せずに、10%にするかどうか、などというところでばかばかしい議論をしている。
 社会保障も削ったりしていかなければいけないが、政治家たちは、そんなことはとてもじゃないが、怖くて言えない。
 結果として、どんどん減少し続けている数少ない若い世代が、老人たちの社会保障を全て支えなければならない上に、これまでの世代の残した膨大な借金を利息も含めて返していかなければいけない。

 これは、たいへんなことである。

 自分は、こんな状況なのに、誰も大して怒らずに、事態をそのままにしているのを、常々、じくじたる想いで見てきた。
 特に、若者は、本当に厳しい状況を押しつけられているのに、ほとんど何もアクションがないことを、不満に思ってきた。

 だから、一千兆円の借金をちゃんと責任もって考えろ、という犯人の要求に、ものすごく共感した。  身代金として要求する、というところまでいかなくても、現実社会でも、これをどうにかしろ、というデモや座り込みがあってもいいと思う(のだが、実際にはない)。

 一千兆円を身代金として要求するという、この作品のアイデアは、画期的で本当に優れたものだし、国の借金を真剣に憂いている自分としては、やられた、という感じである。


○ 本当の動機

 この誘拐事件の本当の動機は、実は、一千兆円の借金ではなく、少女の親子関係を再生させることだ。
 ストーリーとしては、こちらがメインだ。自分にとっては、こちらはメインではなかったが、こちらも大いに共感できる内容だった。
 こうした親子関係は、決して一般的ではなくごく少数ではあろうが、一定の割合でこうした親子がいるのも確かだろう。たまに、虐待や育児放棄の末亡くなる子どもがニュースになるが、本当にいたたまれない。このドラマのように事態が解決されればいいが、実際にはなかなか難しい。そうした子供たちを社会が救えるようなシステムができるといいと思う。ちなみに、アメリカなどでは、虐待が疑われるとすぐに通報されるようになっているようであり、そうした子供たちを救うための参考になるかもしれない。


○ 情報操作

 しかし、ストーリー展開において、あまりにも意図的な情報操作をしているのは、ちょっといかがなものかとも思った。最後の瞬間まで、犯人と少女は、あくまでも誘拐犯と被害者と印象づけるような描き方になっている。実は二人は仲がいい知り合い同士だが、それは見るものには隠されている。二人がもともと知り合いであることすら想像できない描き方をしている。途中で一カ所だけ、あれ?と思う部分がないこともなかったのだが、基本的には、終始、二人は面識のない犯人と誘拐被害者のように描かれていた。
 実際には、この犯行は、二人で計画的に仕組んだものだったのだが、誘拐中の二人の仲のいい会話は、事件が終わった最後にまとめて示される。
 ドラマというものが、展開において視聴者を驚かせる必要があるものだとは言え、これは、さすがに、視聴者に対して不正実じゃないだろうか。

 もちろん、誘拐事件が起こってる世界で、周囲の人々は、二人が結託して誘拐事件を起こしているなどとは思っていない。それを見る者にも共有させたいということだったのではあろうが、見る者は、誘拐されている二人の様子を特権的に見られる立場にいるのである。そこで、二人が、犯人と誘拐被害者のような対話をしている瞬間だけを切り取って見せられたら、見る者は、二人が犯人と誘拐被害者だということは当然のことであると思わされる。
 ドラマにおいて、このような情報操作が可能なら、なんだってできてしまう。
 もちろん、いずれのドラマにおいても、少なからず(というか、大いに)、情報操作は行われている。推理ものでは、見る者に、少しずつ情報を見せていく。しかし、許容レベルというのがあると思う。ここまで意図的に、瞬間瞬間を切り取って、つなぎ合わせて編集されたら、見るものにどんなふうにも受け取らせることができてしまう。
 ドラマの演出の自由や多様性に制限をつけたくはないのだが、これは、さすがに、見る者に対する欺きなんじゃないだろうか。


○ 最後の演説

 最後、犯人が、公園の噴水で演説する場面がある。
 自分的には、若者が政治に関心を持つことは非常に大事だと思うし、2015年に活躍したSEALDsの若者たちもすばらしいと思う。
 だから、そうした訴えをすることにも、そうしたことをまじめに演説するのも大いに賛同する。
 しかし、どうも、この場面は、かなりわざとらしい感じがして、その演説に素直に感動できなかった。
 一つは、なぜ、ここで自殺する必要があるのか、と思ったことが原因だろう。

   また、もう一つの違和感は、一千兆円の借金をどうにかするというのが、どういうことなのかに関わっている。
 確かに若者にとって、この借金は非常に危機的な問題であり、自分は、今のうちにこの借金を少しずつでも返していかないとたいへんなことになると思っている。もう一度書くが、詳しくは、「少子化」を読んでほしい。自分は、このためには、今のうちに、国民が非常に大きな痛みを我慢する以外にないと思っている。消費税は20%にする、所得税の税率も上げる、年金支給年齢は75歳にする、移民を相当数受け入れる...。そもそもは、政治家が責任を持ってやってこなかったのが悪いのだが、今まで、国民は、少ない税金で、それなりの福祉を享受してきたつけを負うしかないのである。借金をどうにかする、とはそういうことである。日本は、税金が低く、福祉は中程度に行っている。そして、ほとんどの医療・社会保障費は老人が使っているが、日本の高齢化率は世界一である。だから、痛みを国民が応分に請け負うしかない。自分は、将来の子どもたちを困窮させないためには、それでも、こういう痛みを負うべきだと思っている。
 しかし、多くの若者は、それに賛成するだろうか?一千兆の借金をどうにかするため、消費税は20%にせよ、と政府に迫るだろうか?年金支給年齢を75歳にせよ、と政府に迫るだろうか?
 一般市民や若者たちの要求として、税金を低くしろ、というのは非常にありそうなことである。しかし、自分は、若者たちが、事態を正確に把握して、痛みを伴う要求を自らするようになるとはとても思えないのである。ドラマの中で主人公は、一千兆円の借金を解決するための具体策は全く言っていないが、主人公の言うことや若者の将来を考えれば、当然、かなりの負担を国民が負っていくということなのであり、主人公が若者たちを鼓舞したところで、そうした現実的で困難な方向性を若者たちが訴えるはずもないから、自分は、なんだかしらけてしまったのである。


○ 最後に

 いろいろ書いてきたが、自分は、このドラマは、非常にいい作品だったと思っている。
 一千兆円の借金は、本当にどうにかしなければならない。
 そして、子どもの心を傷つけるような親はだめである。
 ストーリーのアイデアと、メインのコンセプトには、ものすごく共感するドラマだった。

 こうした質の高い作品が、今後もたくさん生まれることを大いに期待している。


(完)

光太
公開 2016年2月21日

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