「そして父になる」 福山雅治 (主演) 是枝裕和 (監督) 2013年
評価: 97点
本当にいい映画だった。
テーマが本当にすばらしいのだ。
だいたい、一般的に、映画にはつまらないものが多すぎる。
ただ、爆発したり、逃げたり、殴ったりして、何の意味もないものが大半である。
そんなものを見ても、自分にとっては、ただただ時間の無駄である。
といっても、いい映画かどうかは、見る前にはなかなかわからない。
ばかばかしい映画の可能性が高ければ当然最初から見ないが、時間を無駄にすることを恐れて何も見なければ、いい映画を見ることもできない。
で、よさそうだと思われるものを選んで見るわけだが、いい映画にはなかなか巡り会わない。
がっかりすることが非常に多い。
そうした中、この映画は、本当にレベルが高かった。
自分が最も評価するのは、当然のことながら、ここで扱われているテーマである。
主なポイントは2つある。
一つは、遺伝的につながっている子どもと、血はつながっていないが一緒に生活してきた子どもと、どちらが本当に強い絆があるか、ということである。
そして、もう一つは、父親はどうあるべきか、という問題である。
○ 遺伝か、一緒に過ごした経験か
この映画の設定は、遺伝的につながっている子どもと、血はつながっていないが一緒に生活してきた子どもという対比を非常にダイレクトに考えさせるものとなっている。
着眼点とコンセプトが非常にいい。
この映画の中での設定のように意図的でなかっただろうが、赤ちゃんの取り違えという問題は、過去に実際に起こっていた。
そのことの影響は、この映画で描かれているように本当に甚大である。
それが判明したとき、遺伝的つながりをとるか、一緒に生活し、愛情を注いできた時間を重視し、その子どもを選ぶかは、かなり難しい選択だろう。
映画の中では、こうした場合、100%、遺伝的につながっている子どもを選択する、と言っていた。
かなりつらい思いはしなければならないが、恐らく普通は、そして、自分だったとしても、そうするんだろうなあとは思う。
この映画では、血がつながっていなくても親子足りうるか、という関連するテーマについては、もっともっと一般的なケースを挙げている。
つまり、再婚相手の子どもを本当の子どもとして育てていけるか、その子どもは、継母を本当の親として受け入れられるか、ということである。
この映画では、主人公の母親は、再婚した継母であり、また、赤ちゃんを故意に取り替えた看護師も、再婚しており、相手の子どもを育てていた。
現実社会では、その他、養子、というケースもあるだろう。
自分は、血がつながっていなくても、親子ということは十分になり立つと思う。
「八日目の蝉」も、これに関連したテーマを扱っていて、非常にいい映画であった。
まだ見ていない人は、ぜひ見てほしい。
○ よい父親
この映画では、ごく最初の方では、主人公の家はお金にも余裕があり、恵まれた家庭のように描かれている。一方、相手方は、子どもも多くてお金に余裕がない、子育てに適さない家のように描かれている。
しかし、次第に、相手方の家の方が、非常にいい家庭に思えるようになっていく。
子どもたちといつも一緒にいてくれ、一緒にお風呂に入ってくれ、遊んでくれ、おもちゃを直してくれる父親。兄弟たちとの楽しい時間。
一方、主人公の家庭は一人っ子であり、主人公は、仕事が忙しいために子どもといられる時間はすごく少なく、子どもと同じ目線で戯れたりはせず、お風呂も別々、おもちゃが壊れたら、新しいのを買おうと言う。
子どもにとって、どっちがいい父親かは明らかであろう。
こちらのテーマについては、非常にシンプルなので、一つ目のテーマがとても深いものであるのに対し、特に新しいわけでも深いわけでもないが、重要なテーマであることには変わりなく、この映画の題名は、そこにも比重を置いていることを示している。
○ 最後に
自分の書く批評は、いつもはもっと批判的である。いい映画についても、いろんな注文を付けている。そして、映画で取り扱っていないことにもいろいろ言及し、関連事項について論じている。
しかし、ここに書いているこの映画の批評は、新しい視点もなく、いかにもつまらないものであったと思う(この批評だけを読まれた方は、誤解しないでほしい。他の映画の批評はもっとおもしろい。)。
これは、この映画が、自分にとっては非常に満足度の高いものであり、ほとんど非の打ち所もなく、必要なことは映画の中でほぼ全て描かれているということなのである。
これは、本当にすばらしいことである。
ほとんどの映画が、ばかばかしく意味もない中、重要な問題を考えさせるこの映画は、極めて貴重である。
自分は、このような映画がもっともっと増えてほしいと心から思う。
(完)
光太
公開 2016年2月21日