パラサイト 半地下の家族


「パラサイト 半地下の家族」   ポン・ジュノ (監督) 2019年

評価: 57点


 カンヌ国際映画祭でパルムドールの受賞、また、アカデミー賞作品賞をアジアで初めて受賞した作品、しかも、格差社会を象徴的に描いた作品、さらに、批評家からの評価も高いなどということだったので、期待して観た。

 が、うーん…。

 確かに、貧乏な家族が裕福な家族の家に入り込むというメインの設定はおもしろい。

 が、不自然なところがいろいろ気になった。


〇 人物の品格が豹変しすぎ

 まず、半地下に住む家族の普段の様子と、彼らが裕福なパク家で働いているときの様子があまりにも違うのがかなり気になった。息子ギウは、半地下にいるときには、かなり素朴で鈍い人物のように見えた。ところが、裕福なパク家に家庭教師に行った際には、突然、かなり賢く機転の利く人物になっていた。娘ギジョンも、パク家では絵の家庭教師としてかなり優秀な人物のようにふるまっていた(まあ、ギジョンについては、半地下でもそんなに愚鈍そうには見えなかったが)。父親ギテクと母親チュンスクも、半地下に住んでいた時には愚鈍な厚かましい感じの人間であったが、運転手と家政婦してパク家に入り込んだ際には、かなり品格のよい人たちのようにふるまっていた。いくらなんでも、品格・知性が変わりすぎである。
 半地下であのようにふるまっていた人たちが、付け焼刃で練習したくらいで、あんなに豹変することは無理だ。
 「そんなこと言ったら、ストーリーが成り立たないでしょ!」と言われるかもしれないが、こういう設定は、物語にとって重要な部分である。
 そもそも、あの半地下の家族たちが、あのように品格も知性もあるようにふるまえるなら、最初から家賃の安い半地下に住んでいることはなく、既にそれなりの収入が得られる仕事をしていたと思う。
この半地下の家族は、本当は品格も知性もあるが、何らかの事情であのような半地下に住まなければならなかったという設定なら、納得できたと思う。その程度のストーリーは簡単に構築できると思う。

また、半地下の家族の息子ギウに、裕福なパク家の女子高生ダヘが恋するのも、いくらなんでもご都合主義的ではないか?ギウが雇われる前に、名門大学の大学生のミニョクが家庭教師をやっていたが、ミニョクは見た目もよく魅力的だった。ミニョクもダヘのことを好きだったのに、ミニョクではなく、見た目も微妙で間の抜けたようなギウに恋するというのは、ちょっと考えにくい。


〇 気づかずに隠れていられるか?

 また、他にも気になったことがある。パク家族がキャンプに出かけた日、その家族が途中で急に家に帰ってくることになり、半地下の家族は、ソファーの下に隠れた。しかし、いくらなんでも、その部屋にパク夫妻がいるのに、気づかれないはずがない。人間がいれば、かすかな吐息の音が聞こえるはずである。雨が降っていたが、あの家なら防音はきちんとしていて、部屋の中は静かなはずである。また、人間は数分以上完全に静止していることはできない。その場合、衣擦れの音などがどうしてもしてしまう。それは小さな音だが、耳の聞こえる人間なら必ず気づくはずである。
 半地下の家族の息子ギウが、女子高生ダヘのベッドの下に隠れていたのもかなりおかしい。ベッドなら、ベッドの下の空間とかなりの至近距離である。また、ギウはベッドの下に潜りこんできた犬に向かって喋っていた。絶対にベッドの上のダヘにも聞こえるはずである。


〇 突然のコメディ化

 前の家政婦が雨の中やってきて、チュンスクと地下室に行って話していた際、いきなり、半地下の家族が階段から3人とも落ちて、前の家政婦の夫妻に見つかってしまう場面がある。それなりにシリアスな路線だったのに、ここでいきなりコメディのような展開になるのもちょっと場違いな気がした。


〇 気づかれずに人の家の地下に住めるか?

また、裕福な家の地下にずっと人が気づかれずに住んでいることの不自然さも甚だしい。いくら深い地下とはいえ、前の家政婦の夫グンセが、4年以上暮らしていて気づかれないことがあるだろうか?地下では、水洗トイレも使っていた。昼間は外の音があるにしても、静まり返った深夜に、完全に無音でいられるだろうか?
だが、グンセの場合はまだいい。本当に地下深くで、もしかしたら防音が本当にほぼ完ぺきなのかもしれない。少なくとも、食料は、妻である前の家政婦ムングァンがタイミングを見計らって運ぶことができる。
より問題なのは、半地下の家族の夫ギテクが、最後に地下で暮らす場面である。食料を新しい家政婦がいない隙を見計らって冷蔵庫から調達しているということであった。しかし、いくらなんでも、冷蔵庫から食料が日常的に繰り返し繰り返しなくなっているのに、その時の家政婦がそれに気づかないはずはないではないか。普通は、家政婦がそれに気づき、当然、家の主である夫妻に報告する。家の主の夫妻は、当然警察に連絡し、警察の捜査が入るであろう。仮に警察に連絡しなかったとしても、通常は、このレベルの家庭なら、監視カメラを冷蔵庫の付近につけて監視してみることになるはずである。何しろ、日常的に食べ物が不自然になくなるという極めて奇妙な現象が発生しているのだから。それなのに、そんなことにもならずに、ギテクはずっと地下に住んでいることになっている。

ちょっとご都合主義的すぎる。


〇 不自然さについてのまとめ

こういうところで不自然さが目につくと、興味が失せてくる。
ストーリーはもっと丁寧に作ることはいくらでもできる。

ちょっと考えて作品を作ってもらいたい。

韓国の作品は、ドラマも含めて、ドラマチックな展開にしたいがためにこういうところをおろそかにしている作品がけっこう多い気がする。

映画の設定自体はおもしろいのに、もったいない。

次は、もうちょっと整合性なども考えて作品を作るよう期待したい。


〇 素朴な疑問

 息子ギウは、父親ギテクにずっと敬語で話していた。これは韓国では普通なのだろうか?実の父親に敬語で話すのだろうか?でも、娘ギジョンは父親に対して敬語では話していなかった。息子は父に敬語で話すが、娘は敬語では話さないのだろうか?
 韓国文化にあまりなじみがないのでよくわからないが、疑問に思った部分だった。


〇 感じた理不尽さ

 この映画は、どうも納得いかなかった。
 裕福な家族は、別に意地悪でもなく、大きな落ち度もない。
 別に、悪事を働いたり、誰かを陥れたりして、そのお金で裕福になったわけでもない。  半地下の家族は、裕福な家族を騙し、卑劣な方法で前の運転手や前の家政婦をやめさせた。
 やり口が汚い。
 半地下の家族は、その結果不幸な状態に陥り、それは当然の報いであると思うが、裕福な家族も父親を殺され、大変な目にあった。
 裕福な家族は、大して苦労もなく資産を手に入れ裕福な暮らしを満喫しているかもしれず、半地下の家族から見たら妬ましいことなのかもしれない。また、においが…、という発言は、半地下の家族の父親ギテクには許しがたいと思ったかもしれないが、それだけで、ここまでのことをしていい理由にはならない。
 だとしても、貧乏な側からしたら、裕福な人たちが憎いと感じるのかもしれず、それがテーマの一つなのかもしれないが、個人的には、後味の悪さだけが残った。

 そもそも、いろいろなほのめかしを含む映画がいい映画のような風潮もあるのだが、そんなことは大した意味のあることなのだろうか?この映画は、いろいろな暗示をしながら、格差問題を描いているのかもしれないが、格差を描いたもっとストレートな良質のドキュメンタリーなどは数多くあるのではないだろうか?その方が、いちいち余計な解釈などはせずに、ストレートに格差問題の理不尽さが伝わるのではないだろうか?

 個人的には、この映画は、高い評価を与える気には全くならない映画だった。

(完)

光太
公開 2021年2月6日

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