本当は恐ろしいグリム童話


「本当は恐ろしいグリム童話」   桐生 操 (著) (WANIBUNKO) 2001年

評価: 56点


 グリム童話は、子供向けの童話という表向きの顔とは裏腹に、本当は怖い話であったり性的な話であったりするといったことをよく聞く。だが、そうした解説を実際に読んだことはなかったため、童話に隠された歴史的な背景やオリジナルに近いグリム童話の姿を知りたいと常々思っていた。それで、非常に興味を持ってこの本を手に取った。

 読み終わってみて、この本は確かに物語としてはおもしろいと思った。

 だが、この本を読んでいて、どこまでが歴史的にちゃんと資料をさかのぼった内容を再現していて、どこからが作者の創作なのかがさっぱりわからなかった。
 作者自身も述べているように、精神分析家たちの解釈に沿って、作者が創作した部分がかなりあるということである。
 だが、一般に精神分析家たちは、何かを分析する際、何の根拠もなく、ただただ勝手に解釈を加えている。そんなはずはない、彼らは専門家なのだから、何かちゃんとした根拠があって、それに基づいて解釈をしている、と思うかもしれないし、自分にとっても驚きであったのだが、これは本当である。過去、自分は、精神分析家たちの解釈にはもっともな理由があってそういう解釈をしているのだと思っていた。だが、勉強すればするほど、精神分析家たちの分析というものには何の根拠もなく、ただ、思いのままに、解釈という高尚な言葉には全く当てはまらない、独自の想像を述べているだけであるということがよくわかってきた。(これについては、例えば、「フロイト先生のウソ」などを読むことをお勧めする。)
 そして、この作者は、精神分析家たちのこうしたいい加減な解釈(想像、または、捏造と言ってもいい。)に基づいて、グリム童話が本当はどういう話であったかとは全く関係なく、グリム童話を、ただただセンセーショナルに改変してしまっている。しかも、この創作部分というのは、この本の重要な部分の大半を占めているように思われる。

 これでは、本書のタイトルの「本当は恐ろしいグリム童話」という趣旨に大きく反している。そして、グリム童話の本当の姿を知りたいと思って本書を手にした、自分のような多くの読者を明らかに裏切っている。これは、「本当は恐ろしいグリム童話」では全くない。「グリム童話をセンセーショナルに勝手に改変した物語」が本書の題名として適切だと思う。

 この本は、お話として読むなら恐らく楽しめるものだと思うし、自分も熱中して読めたことは確かである。だが、それは、作者が童話をセンセーショナルに改変したものだから、センセーショナルなものが好きな俗っぽい人間たち(自分を含む)には、読んでいて楽しいのは当たり前だとも言える。しかし、知的探究心が強く、ある程度学術的な面や文学的な観点からグリム童話の成り立ちなどに関心がある人には、全く薦めることはできない。そうした情報は全く得られないといっていいだろうし、本書の、本当の姿でないグリム童話を、誤って本当のグリム童話のイメージとして持ってしまうという危惧すらある。

 本書の各話の末に、簡単な解説があるが、もし、この創作のスタイルを貫くなら、自分としてはこの解説をもっと増やして、ページ数の1/3か1/4程度を、グリム童話が歴史的に”本当は”どういう話であったのかを詳しく紹介してほしかったと強く思う。それなら、「本当は」を名乗る資格が出てくるだろう。

 それから、この本に収録されている「白雪姫」や「シンデレラ」は、誰でも知っている話なのでおもしろかったが、「青髭」や「ネズの木」といったあまり普通の日本人にはなじみのない話も含まれており、それらはそもそも知らないので、個人的にはそれほど興味深くは読めなかった。

(完)

光太
公開 2011年5月7日

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