ライ麦畑でつかまえて


「ライ麦畑でつかまえて」   J・D・サリンジャー (著), 野崎孝 (訳) (白水社) 1964年

評価: 67点


 何かの書評で、「”ライ麦畑でつかまえて”は、一部の読者には非常に大きなインパクトを与え、生き方に大きな影響を与えることもある。」といったことが書かれていた。もしかしたらそれは、この小説が、ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマン、及び、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーの愛読書だったからということなのかもしれないが、それだけの評価を得るということは相当衝撃的な内容の小説なのだろうと思い、かなり興味を持って購入した。

 さて、この小説には、1964年に出版された野崎孝訳と、2003年に村上春樹により翻訳されたものがある。そして、自分は、村上訳ではなく野崎訳を選んだ。その理由の一つは、村上訳のほうは、主人公の言葉の"毒"が薄まっていて、品がよくなっているという論評を読んだことがあるからである。また二点目は、村上春樹が翻訳をすると、ライ麦畑の登場人物たちが、村上春樹の小説に独特の、淡泊すぎる非人間的な登場人物たちのようになってしまうだろうと考えたためである。こうした理由から、原作に忠実に訳されたほうを読んでみたいと思い、野崎版の方を選ぶことにした。

 しかし、読み終わって、正直なところ、自分には、この物語のどこがそれほど衝撃的なのか全く理解できなかった。読む前には、この小説を読んで、もし、そんなに大きな影響を受けてしまったらどうしよう、自分のこれからの生き方が変わってしまうこともあるのだろうか、とも思っていたが、全くの杞憂であった。

 主人公の世間や大人たちを見る目は確かにおもしろいし共感もできる。ある意味で彼は非常に素直で純粋あると思う。そして、彼の心理描写の中には、純粋に考えていけば全くその通りで、思わずクスッと笑えるような部分も随所にある。個人的には彼の感覚は好きだ。それに、若者たちが世間の常識に全く従順になるのではなく、この主人公のような感覚をある程度持っていなくては、社会に変化や進歩はないだろうとも思う。

 余談だが、自分の友達にもこの主人公のような感じの人がいる。といっても、それは発言や感覚の面であって、行動形態は主人公のようではないのだが、その友人ことを思わず想像しながら読んだ。

 この作品は、発表当時としては、もしかしたら若者に大きな影響を与えるものだったのかもしれないが、この程度の世間への批判的見方や行動がありふれたものになっている現代では、この作品がもはや大きな刺激として読者に訴えなくなったということなのかもしれない。

 また、ライ麦畑の話や、主人公が妹をあれほどまでにかわいがっている理由などについては、よく理解できなかった。こうした部分は、彼の純粋なものへの思いの表れなどとも解釈できようが、作品中の描写だけから、彼の気持ちの奥底や本質をつかむのは難しいとも思った。
 もしかしたら、作者の経歴や他の作品などに表れている作者の考え方に関する知見などを予備知識として持っていたりすれば、そうした部分を理解できるようになっているのかもしれないが、仮にそうだとしても、1作品中でそうしたものは完結してほしいと思う。

(完)

光太
公開 2011年5月4日

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